Nichiren・Ikeda
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1 入魂(1)
黄金の「時」が来た!
天王山の「時」だ!
決勝点は近い!
一九七二年(昭和四十七年)の元日を迎えた山本伸一の胸には、天をも焦がさんばかりの闘魂が燃え盛っていた。
元旦、家族で自宅の御本尊に向かい、唱題しながら、彼は「夫れ仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし」との「撰時抄」の冒頭の一節をかみしめていた。
時を逃せば、何事も成就しない。それまでの努力も、苦労も、すべては水泡に帰してしまう。
日蓮大聖人は仰せである。
「権実雑乱の時法華経の御敵を責めずして山林に閉じ籠り摂受を修行せんは豈法華経修行の時を失う物怪にあらずや」
仮の教えである権経と、真実の教えである法華経とが入り乱れている時に、果敢に折伏を行わないのは、法華経修行の時を失う、とんでもないことであると、厳しく断言されているのだ。
立つべき時に立たず、戦うべき時に戦わなければ、自身の一生成仏のチャンスも、広宣流布の好機も逃してしまう″
伸一は、今こそ、全同志が総立ちする「まことの時」が、遂に来たことを、痛感していた。
トルストイが、「時間は一瞬間の休みもない無限の運動」と述べている通り、時は過酷なまでに素早く、走り去っていくものだ。
この一九七二年という年は、広宣流布の未来への壮大な流れを決することになる、極めて重要な一年であった。
いよいよ、この年の十月に、大聖人が後世の弟子たちに建立を託された、本門の戒壇となる正本堂が、総本山大石寺に落成するのだ。
この正本堂の建立によって、広宣流布の流れは、立正安国の本格的な実現の段階に入るとともに、世界広布の新展開を迎えることになる。
その新しき大建設のためには、全同志の胸中に永遠に崩れることのない堅固なる信心の柱を打ち立てねばならない。
伸一は、正本堂の建立までが、日本の広宣流布の流れを決する「勝負の時」であると、固く覚悟していた。
今こそ、わが生命をなげうつ決意で、命の限り、走り抜くことを、強く心に誓っていたのである。
2 入魂(2)
この一九七二年(昭和四十七年)は、創価学会として「地域の年」と名付け、立正安国を実現する基盤づくりに、全力で取り組んでいった。
社会の繁栄や平和といっても、それを支えるものは地域であるからだ。
近隣に始まり、わが町に、わが村に、仏法の人間主義への共感を、そして人権と平和の連帯を、どれだけ広げることができたか――すべては、そこに集約されるといってよい。
地域建設に心躍らせる同志たちの、大きな励ましとなったのが、「聖教新聞」元日付に掲載された山本伸一の「わが友へ」と題する短文指導の贈言であった。
伸一は、折あるごとに青年部をはじめ、各部のメンバーに、書籍や色紙などに励ましの一文を記して贈ってきた。
それは、一人ひとりの幸福と、人材へと成長しゆくことを祈りながらの、誠実にして真剣な戦いであった。
これらの贈言は、聖教新聞社の強い要請で、前年の六月から「若き友へ贈る」と題して、折々に掲載されてきた。
元日付では、「わが友へ」と題して、一ページを使い、十数編の贈言が掲載されたのである。
「われらが地上に 新しい 春が来た。 負けるまい。恐れまい。 白雪の王者 富士の如く
寒風も 烈風も 思いきり 受けながら 毅然として動じまい」
「われらの前途には 荒野が待つ。 風が吹き 大地に塵が 舞い上がるのは当然である。
しかし 共に久遠の兄弟として 疾風のなかを あの 真如の都を目指して
まこと溢れる 励ましあいを忘れず 馬上凛然と 今日も進むことだ」
この年の新年勤行会では、学会本部をはじめ、全国各地の会場で、贈言「わが友へ」を読み合い、決意を新たにする光景が見られた。
伸一が、敬愛するわが同志に、″勇気の火をともしたい。希望の光を注ぎたい″と、生命を振り絞るようにして紡ぎ出した言葉である。
その強き一念から発する言葉だからこそ、友の心を打つのである。
3 入魂(3)
山本伸一は、元日の午前十時から、学会本部での新年勤行会に出席し、引き続いて、創価文化会館で行われた元旦祭に参加した。
皆が新時代到来の歓喜にあふれていた。
元旦祭では、芸術部員による希望と喜びに躍動する舞や、はつらつとした少年部員の組み体操などが披露され、参加者から盛んな喝采をあびていた。
翌二日、伸一は四十四歳の誕生日を迎えた。
この日、彼は、総本山に行き、初代会長牧口常三郎、第二代会長戸田城聖の墓に詣でた。
伸一は、戸田の墓前で深い祈りを捧げながら、この意義深き一年の決意を報告した。
″戸田先生! 先生が私に遺言として託された正本堂も、いよいよ今年の十月には落成の運びとなりました。
その落成の式典には全世界から同志が集まり、盛大にお祝いいたします。すべて先生のご精神を受け継ぐ、先生が蒔かれた種子が広がり、誕生した弟子でございます。
そして、この正本堂の建立をもちまして、広宣流布の流れは、線から面へ、立正安国の本格的な実現の時代へと移ってまいります……″
伸一は、師の戸田をしのぶと勇気がわいた。元気が出た。どんな苦難をも耐えることができた。
人間は、崇高な理想に生きようと決意しても、ともすれば、自分の心に生ずる、恐れや迷い、怠惰、さらにまた、増上慢によって、敗れ去ってしまうものだ。
ゆえに大聖人は、「心の師とはなるとも心を師とせざれ」との経文を引かれて、自分の心が中心となることを戒められているのである。
だが、心に「師匠」という規範をもつ人は、自身の弱さに打ち勝つことができる。
伸一の胸には、常に戸田の声が響いていた。
厳しい叱咤の声もあった。呵々大笑しながらの励ましの声もあった。
伸一にとって、戸田は厳たる灯台であった。
師は、どんなに激しい嵐の夜でも、進むべき未来の航路を照らし出し、見守り続けてくれているというのが、彼の実感であった。
戸田という師をもてたことが、いかに幸せであったかと、伸一は、しみじみと思うのである。