Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第14巻 「大河」 大河

小説「新・人間革命」

前後
1  大河(1)
 青空を、薫風が吹き渡っていた。
 人類の幸福と平和の大海原をめざす創価の流れは、いよいよ「渓流」から、「大河」の時代へと入った。
 一九七〇年(昭和四十五年)五月三日――。
 山本伸一の会長就任十周年となる第三十三回本部総会が、東京・両国の日大講堂で行われた。会場正面には、十周年を示す金色の「10」と、「新生」の赤い文字が浮かぶ、大パネルが掲げられていた。午前十時五十分、開会が宣言された。
 管弦楽団の荘重な響きが場内を圧した。総会祝典序曲の演奏である。合唱団、鼓笛隊、吹奏楽団などの歌声と調べが、参加者を魅了した。
 続いて第二部に移り、開会の辞、経過報告などがあり、会長山本伸一の講演となった。
 新聞、テレビなど、報道関係者も多数出席しており、伸一が立ち上がると、一斉にフラッシュがたかれ、煌々と撮影用ライトがつけられた。
 伸一は、参加者に向かって深く一礼すると、よく通る声で話し始めた。
 「この十年間、皆様方の真剣な努力精進によって、広宣流布の輝かしい時代を見事に築き上げることができました。力なき私に、誠意の限りを尽くし、不眠不休の活躍によって守ってくださった皆様方に対し、私は、感謝の言葉もございません。
 ありふれた言葉でありますが、この胸にたぎる万感の思いを込めて、私は全学会員の皆様に御礼申し上げたい。本当にありがとうございました」
 それは、彼の心からの思いであった。
 健気なる、大誠実の同志がいたからこそ、学会は、嵐を乗り越えて大前進することができた。勇敢なる大確信の同志がいたからこそ、学会は常に微動だにしなかった。
 伸一は、一人ひとりを抱き締めたかった。諸手をあげて、皆を讃え、励ましたかった。
 この日の朝、伸一は詠んだ。
   打ち続く
     死闘の大難
       乗り越えて
     きら星光る
       人材育ちぬ
 この同志のために、わが人生を捧げようというのが、十周年を迎える彼の誓いであった。
2  大河(2)
 伸一は、十周年の意義に触れ、これからの十年は、「創業の時代」「建設の時代」を終え、「完成期」に入ったとして、社会での一人ひとりの活躍が、最も望まれることを訴えた。
 そこから、彼の話は、広宣流布観へと移った。
 学会は、二年後の一九七二年(昭和四十七年)十月の正本堂の完成をめざし、さまざまな目標を掲げて前進していた。そして、それを達成すれば、その日を境に、時代も、社会も一変してしまうかのような思いをいだいている人も、少なくなかったのである。
 「広宣流布とは決してゴールではありません。何か特別な終着点のように考えるのは、仏法の根本義からしても、正しくないと思います。大聖人の仏法は本因妙の仏法であり、常に未来に広がっていく正法であります。
 また、日蓮大聖人が『末法万年尽未来際』と叫ばれたこと自体、広宣流布の流れは、悠久にして、とどまるところがないことを示されたものといえます。広宣流布は、流れの到達点ではなく、流れそれ自体であり、生きた仏法の、社会への脈動なのであります」
 その話に、参加者は眼が開かれた思いがした。
 広宣流布が「流れそれ自体」ということは、間断なき永遠の闘争を意味する。ゆえに、広布に生きるとは永遠に戦い続けることだ。そこに生命の歓喜と躍動と真実の幸福がある。
 さらに伸一は、「宗教は文化の土台であり、人間性の土壌である」と述べ、広宣流布とは″妙法の大地に展開する大文化運動″であると定義づけたのである。そして、「いっさいの人びとを包容しつつ、民衆の幸福と勝利のための雄大な文化建設をなしゆく使命と実践の団体が創価学会である」と語り、こう呼びかけた。
 「私どもは『社会に信頼され、親しまれる学会』をモットーに、再び、さっそうと忍耐強く進んでいきたいと思いますが、皆さん、いかがでありましょうか!」
 賛同の大拍手がわき起こり、会場の大鉄傘を揺るがした。参加者は、崇高な社会建設の使命を、一段と深く自覚したのである。
3  大河(3)
 伸一は、ここで、あの「言論・出版問題」に言及していった。
 「今度の問題は、学会のことを『正しく理解してほしい』という、極めて単純な動機から発したものであり、個人の熱情からの交渉であったと思います。ゆえに、″言論妨害″というような陰険な意図は全くなかったのでありますが、結果として、これらの言動がすべて″言論妨害″と受け取られ、関係者の方に圧力を感じさせ、世間にも迷惑をおかけしてしまい、まことに申し訳なく、残念でなりません」
 さらに彼は、今回の問題をめぐって、幾つかの新聞や雑誌が、フランスの作家ボルテールが述べたとされる、「私は、君の言うことには反対だ。しかし、君がそれを言う権利を、私は命をかけて守る」との言葉を引用していたことに触れた。
 そして、その考え方のなかに、「言論の自由の根本」があるとして、こう語った。
 「名誉を守るためとはいえ、私どもはこれまで、批判に対して神経過敏にすぎた体質があり、それが寛容さを欠き、わざわざ社会と断絶をつくってしまったことも認めなければならない。関係者をはじめ、国民の皆さんに、多大なご迷惑をおかけしたことを、率直にお詫び申し上げるものであります」
 伸一は頭を下げた。
 参加者は驚きを隠せなかった。
 ″先生が、なぜ謝らなければならないのだ!″
 ″学会は、法に触れることなど、何もやっていないではないか!″
 複雑な表情で壇上を見上げる人もいれば、悔し涙を流す人もいた。
 ある人は、学会の会長として、すべて自分の責任ととらえ、真摯に謝罪する伸一の姿に、申し訳なさと感動を覚えながら、心に誓った。
 ″私たちは、社会に迷惑をかけるようなことは絶対にしてはならない。それは、学会に迷惑をかけることになるのだ″
 また、ある人は、伸一が、今、発表した「社会に信頼され、親しまれる学会」というモットーを思い返した。
 そして、社会を大切にし、大きな心で人びとを包む寛容さを、会長は身をもって示したのだと思った。

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