Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第14巻 「智勇」 智勇

小説「新・人間革命」

前後
1  智勇(1)
 紺碧の空に希望は広がり、集い来た創価の勇者の頭上には、太陽が燦然と、王冠のごとく輝いていた。
 決戦の幕が開いた。新しき歴史の歯車が、さらに大きく回り始めようとしていた。
 一九六九年(昭和四十四年)五月三日――。
 東京・両国の日大講堂で行われた、第三十二回本部総会に集った二万人の同志は、固唾をのんで会長山本伸一の講演に耳を澄ませた。
 凛とした伸一の声が響いた。
 「来年の五月三日までの、この一年は、昭和三十五年(一九六〇年)の私の会長就任から満十年に至る、総仕上げの一年間となります。同時に、この一年は、″第七の鐘″が鳴り終わる昭和五十四年(七九年)までの、十年間のスタートであり、勝利への飛躍台となる一年であることを、知っていただきたいのであります」 
 そして彼は、国内における学会世帯数は、七百二万七千二百九十六世帯に達したことを述べたあと、参加者に呼びかけた。
 「そこで、来年五月三日までの目標として、七百五十万世帯の達成を掲げて進みたいと思いますが、皆さん、いかがでしょうか!
 賛成の方は手をあげてください」
 ウォーという歓声とともに、全員が挙手し、大拍手が広がった。
 「大願とは法華弘通なり」との日蓮大聖人の誓願を、わが誓願としての、決意の拍手であった。
 伸一は言葉をついだ。
 「布教は、宗教の生命であります。布教なき宗教は、もはや″死せる宗教″であります。
 思えば、戸田先生は、批判と嘲笑のなか、七十五万世帯の生涯の願業を成就されました。
 私は、それを受けて、来年の戸田前会長の十三回忌、そして、私の会長就任十周年を七百五十万世帯で飾り、恩師に報いる道とさせていただきたいのであります」
 再び、割れんばかりの大拍手に包まれた。常に新しき決意で、広宣流布に敢然と勇み立つことこそが、創価の大精神である。その時、地涌の菩薩の大生命が脈動し、自身の境涯革命がなされていくのだ。そして、そこに、わが人生の栄光と大勝の道が開かれるのである。
2  智勇(2)
 次いで山本伸一は、一九七一年(昭和四十六年)の開学をめざして着々と準備が進められている創価大学の在り方と、現今の学生運動について言及していった。
 「現在、各大学で紛争が続発し、深刻な社会問題となっておりますが、この泥沼化した姿こそ、新しい理念と思想による全く新しい大学の出現を待望する、時代の表徴であると考えたい。
 創価大学の第一の特色は、教授はたとえ無名であっても、青年のように旺盛な研究意欲をもち、教育に生命をかけて取り組んでいく人をもって、構成するということであります。そうした人びとを核にして、あとはテーマに応じて、創価大学設立の精神に賛同する、内外の一流の学者などに、どしどし教壇に立っていただこうと考えております。
 私も勉強し、もし、大学当局のお許しをもらえれば、文学論の講義をさせていただきたいと思っております」
 拍手が高鳴った。「しかし、おそらく、だめでしょう」
 すると、今度は、どっと笑いが起こった。
 伸一は、学生運動の提起した問題の本質は、教授の精神の老い、権威主義などによる教授と学生の隔絶感、対立にあるととらえていた。
 吉田松陰という一人の青年教師が、長州・萩の松下村塾で、近代日本の夜明けを開く原動力になった塾生たちを育んだように、教師の情熱、魂の触発を、彼は最も重要視していたのである。
 「教授と学生とは、相互に対峙する関係ではなく、ともに学問の道を歩む同志です。いわば、先輩と後輩であり、あくまでも民主的な関係でなくてはならない。
 したがって、学内の運営に関しても、学生参加の原則を実現し、理想的な学園共同体にしていきたいのであります」
 さらに伸一は、民衆に開かれた大学として、将来、通信教育部を開設する展望を語っていった。
 彼は、建学の構想の段階から、いち早く「通信教育部」に焦点を当てていたのである。
 「かつて一人として民衆の要求にもとづく大学の設立を考えた者はいない」とは、文豪トルストイの指摘だ。今、伸一は、その課題に、敢えて挑戦しようとしていたのである。
3  智勇(3)
 また、仏教東漸の道となったシルクロードへの学術調査団の派遣や、人間主義経済の研究等も行っていきたいなど、創価大学の構想を語っていった。
 次いで、創価大学の基本理念として、「人間教育の最高学府たれ」「新しき大文化建設の揺籃たれ」「人類の平和を守るフォートレス(要塞)たれ」との、三つのモットーを発表したのである。
 「このモットーの第一は、人間を社会のメカニズムの部品と化し、人間性を無視している現代の教育界の実情に対して、あくまでも社会をリードしていく英知と創造性に富んだ、全体人間をつくっていく大学でなければならないということを示したものです。
 モットーの第二は、行き詰まっている現代文明のなかにあって、仏法の生命哲学を根底に置き、人間生命の限りなき開花を基調とする、新しい大文化を担っていくことであります。
 そして、モットーの第三に、人類の平和を標榜したゆえんは、新しき文明の建設も、未来社会の開拓も、平和の実現なくしてはありえないからであります。
 世界を戦乱に巻き込んで、民衆を不幸のどん底に叩きこむようなことがあっては、絶対になりません。
 いかにして平和を守るか。これこそ、現代の人類が担った、最大の課題であります。
 今、私どものつくる創価大学は、民衆の側に立ち、民衆の幸福と平和を守るための要塞であり、牙城でなければならないと申し上げておきたいのであります」
 フランスの哲学者アランが、「われわれの未来全体が、教育にかかっている」と述べているように、いかなる大学をつくるかが、いかなる次代の指導者を育むかを決定づける。それは、そのまま日本の、さらに、世界の未来を決定づけてしまう。
 たとえば、日本を代表する大学である東大設立の目的は、鎖国による遅れを取り戻し、西欧文明を急速に吸収し、国家のために働く人間をつくり出すことにあった。 
 この考えは、その後にできた大学にも、深く浸透していった。伸一は、ここに、今日の日本の大学教育の限界があると考えていたのだ。

1
1