Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第12巻 「天舞」 天舞

小説「新・人間革命」

前後
1  天舞(1)
 希望は、歓喜の調べを奏でる。
 希望あるところ、前進の活力がみなぎる。
 太陽の光を浴びて、升目のようにデザインされた白大理石の壁が、まばゆく輝き、天に向かってそそり立っていた。
 一九六七年(昭和四十二年)九月一日――。
 東京・信濃町の学会本部に隣接して、創価文化会館が完成し、この日、待望の落成入仏式が行われたのである。
 創価文化会館は、地上七階、塔屋三階、地下一階の建物で、南北の外壁には、ユーゴ産の白大理石が使われ、まさに白亜の殿堂の観があった。
 館内には、五階に大広間があるほか、地下一階に集会室が、また、三階・四階は、映画、演劇、コンサートなどに使用できる、イス席のホールになっていた。
 さらに、各種の会議室のほか、最新式の電動書架をもつ図書室もある。
 また、大きな柱を使わない、新しい工法が用いられ、どのフロアも明るく、広々としていた。
 この創価文化会館の建設が発表されたのは、六四年(同三十九年)の五月三日の本部総会の席上であった。
 そして、六六年(同四十一年)一月に起工式を行い、ここに完成をみたのである。
 参加者は、近代的で工夫に富んだ建築に感動を覚えながら、やや緊張した顔で式典の会場に向かった。
 メーン会場となった五階の大広間は、二百五十余畳で、壁には樹齢六百年以上の杉の大木が使われ、それが、重厚さと温かさを漂わせていた。
 この大広間のほか、地下の集会室、隣の学会本部三階の広間も会場に使用され、ここには、メーン会場の模様が、最新装置によって、映し出されることになっていた。
 建物は荘厳であり、設備は時代の先端をゆくものであった。
 将来、世界の一流の舞台に躍り出ていく青年たちのために、一流のものを呼吸させておきたいというのが、山本伸一の願いであったのである。
 午前十時半、はつらつと式典は開始された。
 歓喜の声が見事に唱和した読経・唱題のあと、施工者や芸術部長、文化局長らが、次々とあいさつに立った。
 どの話にも、文化創造の牙城が誕生した喜びがあふれていた。
2  天舞(2)
 最後に、山本伸一のあいさつとなった。
 彼は、設計・施工者、現場の工事関係者らに感謝の意を表したあと、力強い声で語り始めた。
 「親愛なる代表幹部の皆様方とともに、第三文明建設の新しい雄渾なる第一歩を、この立派な創価文化会館から踏み出せましたことを、私は、最大の喜びとするものであります」
 大拍手が鳴り響いた。
 「広宣流布とは、一口にしていえば、日蓮大聖人の大仏法を根底とした、絢爛たる最高の文化社会の建設であります。
 そして、世界の人びとの幸福と平和を基調とした、大文明の建設であります。
 すなわち、色心不二の大生命哲学を根幹とした、中道主義による文明の開花であります。
 今や、資本主義も、社会主義も行き詰まり、日本も、アジアも、さらに世界も、大きな歴史の流れは、一日一日、一年一年、この中道主義に向かっていることは間違いありません。
 また、それが時代の趨勢であると、私は断言しておきたい。
 この信念をさらに深くもって、仲良く、朗らかに、さっそうと、誇り高く、再び未来への大行進を開始していこうではありませんか!
 日蓮大聖人は、私ども一切衆生のために、茨の道を切り開いてこられました。また、在家の代表であり、大聖人の仏法を実践し抜いてきた創価学会も、同じく、茨の道を歩んでまいりました。
 しかし、今、いよいよ広宣流布の機は、熟しました。
 私たちは力の限り、広布の″金色の道″″黄金の道″を堂々と切り開きながら、新しい前進を開始していくことを、ともどもに誓い合い、本日のあいさつとさせていただきます」
 「文化会館」という新鮮な響きの名称も、山本伸一の提案であった。
 文化は、人間性の発露である。
 ゆえに、優れた文化を創造するには、まず、人間の精神、生命を耕し、豊かな人間性の土壌を培うことである。そして、それこそが宗教の使命といえる。
 その土壌のうえに、芸術、文学はもとより、教育、政治など、広い意味での優れた文化が、絢爛と花開くことを、伸一は確信していたのである。
3  天舞(3)
 落成入仏式に続いて、午後一時からは、創価文化会館の落成を祝賀するオープニングショーがホールで開催された。
 第三文明建設への開幕となる、広布の第二ラウンドの初舞台である。
 スポットライトに照らされての琴の独奏で幕を開けた舞台は、祝典の日本舞踊に移った。
 「雪」「月」「花」の三部からなる、総勢二十六人の芸術部員による、華麗なる舞台である。
 なかでも、「雪」の部で、十界論を基調に、生命の変化を表現した創作舞踊は、多くの観客を魅了した。
 これは、芸術部のメンバーが、仏法を根底にした新しい芸術の創造をめざして、思索を重ね、創り上げたものであった。
 苦しみの地獄界から平穏な心の人界へ、さらに人界から喜びの天界へ――と変化しゆく、人間生命のダイナミズムを、江戸末期の風俗を通して表現した舞踊には、新しき文化創造の気概が脈打っていた。
 舞台は、一転して「現代のリズム」に変わり、ダンス、ハワイアンの演奏などが続き、次いで合唱となった。
 都民合唱コンクール一位の実績を誇る、女子部の富士合唱団が、「さくら」など三曲を披露すれば、富士少年合唱団、希望少女合唱団が、「風車」など八曲を、はつらつと合唱。
 歓喜の熱唱に、大拍手がこだました。
 オープニングショーの掉尾を飾ったのは、富士交響楽団による演奏であった。
 ベートーベンの交響曲第五番″運命″の調べが場内を圧した。
 われらの手で、人間文化の花を咲かせゆかんとする、力強い、魂のこもった演奏であった。
 山本伸一は、青春時代から、この″運命″を、こよなく愛してきた。
 不自由な耳、次々と襲いかかる苦難の嵐――しかし、その運命の怒濤に、敢然と立ち向かっていったベートーベン。
 伸一は、この曲に、楽聖の魂の凱歌を聴く思いがしていたからである。
 ″無名の民衆である創価の同志もまた、宿命を使命に転じて、自らの運命に打ち勝ってきた。
 そして今、その凱歌のなかに、新しき人間文化の創造に立ち上がろうとしているのだ!″
 そう思うと、伸一の胸は高鳴るのであった。

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