Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第11巻 「暁光」 暁光

小説「新・人間革命」

前後
1  暁光(1)
 深き闇を破れ!
 険しき峰を越えよ!
 そこに、新世紀の希望と栄光の眺望が広がる。
 一九六六年(昭和四十一年)三月十日――。
 ジェット機は、未明の南米大陸上空を、ブラジルのリオデジャネイロに向かい、順調に飛行していた。
 乗客は、皆、眠りについているようであったが、山本伸一は、一晩中、寝つけなかった。
 前々日、ニューヨークで発熱し、その熱がまだ完全には下がらず、朦朧としているのに、頭の芯だけが妙に冴えていたのである。
 ″あの時も、そうだったな……″
 伸一は、初めてブラジルを訪問した折も、著しく体調を崩していたことが思い出された。
 ――それは、五年半前の六〇年(同三十五年)十月のことであった。
 長旅の疲れからか、発熱が続き、いよいよニューヨークからサンパウロに向かうという日の前日には、伸一の体の衰弱は極限に達していた。
 同行の幹部は、必死になって、彼にブラジル行きの中止を勧めた。
 もし、このまま、ブラジルに向かえば、伸一は倒れてしまうのではないかと、誰もが感じたからだ。
 しかし、彼は、強い語調で言った。
 「私は行きます。私を待っている同志がいる。みんなが待っているのに、やめることなど断じてできない。……戸田先生が戦いの途中で引き返したことが一度でもありましたか!
 私は戸田先生の弟子です。行く、絶対に行く。もし、倒れるなら、倒れてもよいではないか!」
 この時、伸一は、初めてブラジルの天地に立った。そして、死力を尽くして、指導、激励にあたり、海外で初の支部を結成したのである。
 御本仏の御遺命であり、世界の「平和」と民衆の「幸福」を実現する広宣流布の道が、平坦であるはずがない。
 常に逆境であった。常に死闘であった。常に不可能と言われ、嘲笑を浴びせられてきた。
 だが、そのなかで、岩盤に爪を立てる思いで、険しき山を越え、嵐のなかを駆け抜け、栄光の勝利の旗を打ち立ててきたのが、創価学会の尊き歴史である。
 伸一が精魂を込めて、広布の源流を切り開いたブラジルも、会員約八千世帯に発展し、三月の十三日には、サンパウロ市内で、大々的に文化祭を開催することになったのである。
 この文化祭に出席するための、伸一のブラジル訪問であった。
2  暁光(2)
 今回の北・南米訪問のために、山本伸一が日本を発ったのは、三月六日のことである。
 サンフランシスコを経由してロサンゼルスに入り、ここで一泊し、現地時間の七日午後五時半過ぎにニューヨークに到着した。
 その夜には、二年半前にオープンしたニューヨーク会館を初訪問し、翌八日の午前中も、会館でメンバーの質問を受けるなどして、指導に全力を注いだ。
 このころから、彼の体調は崩れ、悪寒がし、発熱が始まったのである。
 八日の夜は、学会と取引のある企業の駐在員らと、食事をする予定でいたが、理事長の泉田弘ら、同行の幹部たちに出てもらい、やむなく、彼は欠席したのであった。
 同行していた妻の峯子が、持参してきた解熱剤をのませ、冷たいタオルで頭を冷やし、懸命に看病してくれた。
 翌日になると、多少、熱は下がった。しかし、まだ、微熱があった。
 峯子は、不安そうに伸一の顔を見たが、彼は、声を弾ませて言った。
 「これなら大丈夫だ。ブラジルに出発できるぞ!」
 彼の心は、既にブラジルに飛んでいた。
 その日の午後十時、伸一たちは、ニューヨークを発ち、ブラジルの最初の訪問地である、リオデジャネイロに向かったのである。
 機内で眠れぬ夜を過ごした伸一は、目にしていた本を閉じると、窓に額をこすりつけるようにして、外を眺めた。
 地平線がほのかに白み始め、眼下には、大地を縫うように、大河が流れているのが見えた。有名なアマゾン川であろうか。
 やがて、地平線の彼方に太陽が昇り始めた。世界を暖かく包みゆくような緑の大地が、果てしなく広がっていた。
 きらめく暁光を浴びながら、彼は決意を新たにした。
 ″アマゾン川のような、ブラジル広布の悠久の大河の流れを開くぞ!″
 リオデジャネイロに到着したのは、現地時間で十日の午前十時前であった。
 空港には、南米本部長の斎木安弘、彼の妻で南米本部婦人部長の説子をはじめ、数人の地元幹部、また、先にブラジル入りしていた婦人部長の清原かつらが迎えに来ていた。
 伸一は、斎木夫妻とは約七カ月ぶりの対面である。
 「いよいよ文化祭だね。
 ブラジルに″文化の華″″平和の華″″幸福の華″を咲かせよう。新しい歴史を開こうよ」
3  暁光(3)
 山本伸一の一行は、ホテルに着くと、直ちにスケジュールなどの打ち合わせに入った。
 その時、電話のベルが鳴った。
 同行の十条潔が受話器を取り、すぐに伸一にかわった。先発隊としてサンパウロにいる、副理事長の岡田一哲からである。
 彼は、緊張した声で話し始めた。
 「先生、実は、学会を取り巻く、ブラジル社会の状況は、非常に険悪なものがあります。昨日、サンパウロ日本文化協会に行きましたところ、私と同じ岡山出身の協会の幹部がおりまして、かなり打ち解けた語らいになりました。
 その時、この幹部は、ブラジルの政治警察が、学会をどう見ているか、教えてくれました。
 彼の話では、当局は、創価学会は宗教を擬装した政治団体であり、今回の先生の訪問は、ブラジルで政党を結成する準備のためであると考えているそうです。
 また、学会は、社会転覆をもたらす危険な団体という認識だと言います。それで、会合等の開催は認めるが、厳しく監視し、何かあれば、逮捕も辞さない構えだと言うんです」
 伸一は尋ねた。
 「しかし、なぜそんなことになったのかね」
 「一つは、二年半ほど前に、アメリカの有名な雑誌が、偏見だらけの学会の特集を組んだことが影響しています。
 学会は世界征服をねらう教団であるなどと報じたことを真に受け、ブラジルのマスコミも、同じようなことを書き立ててきました。そして、政府や警察も、それを信じてしまっているようなんです。
 また、ブラジルの社会には、日本から既成仏教をはじめ、さまざまな宗教が入ってきておりますが、その関係者のなかに、学会に敵意をいだいている日系人有力者がかなりおります。
 実は、彼らが、政府や警察に、学会は共産主義者たちとつながっており、危険極まりない教団であるなどと、吹聴していると言うんです」
 ブラジルでは、一九六四年の三月三十一日に政変があり、ゴラール政権が倒れると、それまでの民政から、軍政にかわり、陸軍参謀総長のカステロ・ブランコが大統領になった。
 彼は、インフレの克服や経済開発の実現をめざす一方、反共政策を打ち出し、言論、思想、政治などの活動を厳しく規制してきた。そして、多くの識者や文化人を、追放してきたのである。

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