Nichiren・Ikeda
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1 幸風(1)
午前八時前であった。
学会本部の理事長席の電話が鳴った。一九六五年(昭和四十年)八月十四日のことである。
出勤していた理事長の十条潔が、受話器を取ると、前日、アメリカに出発した理事の黒木昭の、緊張した声が響いた。
「もしもし、十条理事長ですか。黒木です。
今、ロスから電話をしておりますが、こちらは、戦争のような状態です。商店などが燃えており、空港も、銃を持った警備の人で固められていました……」
ロサンゼルスでは、十一日夜(日本時間では十二日昼)から、アフリカ系アメリカ人、いわゆる″黒人″に対する差別への怒りが爆発し、大騒動が起こっていたのである。
実は、アメリカでは、現地時間の八月十五日夜、会長山本伸一と日達法主を迎え、ロサンゼルス郊外のエチワンダで、海外初の寺院の起工式と野外文化祭が行われることになっていた。
黒木は、副理事長の岡田一哲らとともに、その先発隊として、十三日の朝、日本を発ち、ロサンゼルスに向かったのである。
事態は、予想以上に緊迫していた。
「車でフリーウエー(高速道路)を通りましたら、街には火の手が上がっていましたし、略奪も繰り返されているという話です。
また、今後、ますます、騒動は広がっていきそうだということでした」
この騒動のきっかけは、ロサンゼルス南部のワッツ地区で、パトロール中の白人警察官が、二十一歳の黒人の青年に、飲酒運転の容疑で職務質問したことであった。
ワッツ地区の住民の大多数は、アフリカ系アメリカ人である。
この白人の警察官の態度は、甚だ侮蔑的であったようだ。
黒人青年と警察官は言い争いになり、彼を逮捕しようとする警察官に、彼の母親、兄弟も抗議した。
次第に、周りに黒人たちが集まってきた。
そこへ、次々と、サイレンをけたたましく鳴らしながら、パトロールカーがやって来た。これが、群衆の怒りを誘った。
このロサンゼルスにあっても、アフリカ系アメリカ人は、理不尽な差別に泣かされ、長い屈辱の歳月を送ってきた。胸にたまった、その悲哀と憎悪の油が、火を噴いたのだ。
パトカーや警察官への投石が始まり、車はひっくり返され、火が放たれた。
こうして、ワッツでの、六日間にわたる、混乱が始まったのである。
2 幸風(2)
翌十二日朝(現地時間)には、街は平静を取り戻したかに見えた。
だが、日没になり、黒人少年が、白人に投石したのを契機に、再び騒動が始まった。
黒人約七千人が、深夜まで投石などを繰り返したのである。
白人の店のショーウインドーは割られ、商品の略奪も行われた。
「燃やせ、ワッツを燃やせ!」という言葉が、あらゆる建物の壁に、ペンキで書かれた。
また、教会や商店など、多くの建物が放火された。
銃砲店から、銃を奪う者もいた。
火は、真夏のロスの夜空を焦がした。
それは、白人による、黒人への長い不当な差別に対する、怒りと怨念の火を思わせた――。
黒木昭は、その翌日の十三日の朝、ロサンゼルスに着き、日本が朝になるのを待って、電話をしてきたのである。
十条潔は、眉間に深い皺を寄せながら、受話器を握り締め、黒木の話を聞いていた。
「したがいまして、山本先生のご一行がロスに来られることについては、安全面で、大きな問題があることは確かです」
「そうか。さっき私も、新聞の朝刊を見て、ロスの事件を心配していたところなんだ。
ともかく、事態が変化したら、すぐにまた、連絡をしてくれないか」
十条は、こう言って、国際電話を切った。
彼は困惑した。
山本会長は、宗門の日達法主夫妻を案内し、この日の午後十時の便で羽田を出発し、ロサンゼルスに向かうことになっていた。
また、十条自身も、副理事長の清原かつ、泉田弘らとともに、同行することになっていたのである。
十条は、早速、首脳幹部と対応を検討した。
皆、一様に頭を抱えていたが、″ロサンゼルスが危険な状態にある今、山本会長と日達上人に行っていただくべきではない″という結論に達した。
渡航は延期してもらおうというのである。
代表して十条が、山本会長に首脳幹部の意見を伝えることになり、会長室に向かった。
十条の顔を見ると、山本伸一は言った。
「ロスの騒ぎのことを言いに来たんだね」
「はい。そうです」
十条は、すべてを見通しているかのような、山本会長の言葉に、驚きを隠せなかった。
3 幸風(3)
山本伸一は、笑みを浮かべた。
「もうそろそろ、十条さんが、何か言ってくるころだと思ったよ」
十条潔は、険しい顔で言った。
「実は、先発隊として出発した黒木君から電話が入り、ロサンゼルスの状況を報告してまいりました。
それによると、かなり危険であるとのことです」
「私も、朝から、ロスの事件の報道を見て、いろいろと、考えていたところなんだよ。
それで、十条さんは、私に、ロス行きは中止にせよと言いたいんだね」
伸一の言葉を聞くと、十条は、安心したように、頷いた。
「中止でなくとも、せめて、延期していただいて、事態が治まり、安全が確認された段階で、出発してはどうかと思います」
しかし、伸一は、きっぱりと言った。
「そういうわけにはいかないんだ。みんなの気遣いはありがたいし、気持ちもよくわかるが、私は、今こそ、ロスに行き、メンバーを全力で励まさなければならない。
今こそ、アメリカの同志に、立ち上がってもらいたいんだ。
こうした騒ぎが、なぜ起こったのか。その原因は、不当な人種差別にあることは明白だ。
差別をなくすことは、黒人(アフリカ系アメリカ人)の悲願であった。また、心ある政治家も、差別の撤廃に取り組んできた。
そして、黒人の公民権を保障する法律も、ようやく整ってきた。
しかし、法のうえで平等が定められても、依然として差別はなくならないのはなぜか。
差別は、人間の心のなかにあるからだ。
法の改革から、人間の心の改革へ――アメリカ社会を、真実の自由と民主の国にしていくには、そこに向かって、進んでいかざるをえない」
伸一の声は、ここで、一段と力強さを増した。
「その人間の心の改革を、生命の改革を可能にするものは、断じて仏法しかない。
アメリカの野外文化祭が行われる八月十五日は、日本と時差はあるが、終戦二十周年の記念日だ。
私は、この日を、民衆の本当の幸福と平和の哲学である仏法の旗を、アメリカの大地に、高らかに打ち立てる日にしたい。
日本の敗戦は、悲しく、痛ましかったが、戦後、日本は、アメリカによって、信教の自由が保障され、広宣流布の朝が訪れた。だから、私は、そのアメリカに恩返しをしたいんだ」