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日蓮大聖人・池田大作

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第9巻 「鳳雛」 鳳雛

小説「新・人間革命」

前後
1  鳳雛(1)
 若さには、無限の可能性がある。
 その胸には、果てしない希望の翼が広がり、熱き情熱が脈打ち、向上の心が泉のごとくあふれている。
 人類の無限の財宝――それは次代を担う若き力だ。
 「このたび、青年部に、新たに、『高等部』『中等部』を設置いたします!」
 青年部長の秋月英介がこう発表すると、東京・台東体育館は大拍手に揺れた。
 一九六四年(昭和三十九年)六月一日に行われた、六月度男子部幹部会でのことである。
 高等部は、高校生を対象とした部で、学生部に所属し、また、中等部は、中学生と小学校の五年生以上を対象に、支部ごとに、男女青年部が育成にあたっていくことになった。
 この発表に、胸を躍らせ、大喜びしたのが、高校生たちであった。
 当時の高校生は男女青年部員として活動し、第一線組織のリーダーとして、十人ほどのメンバーの責任をもつ人も少なくなかった。
 山本伸一の周辺で、この高等部、中等部のことが、最初に話題になったのは、二カ月ほど前であった。
 伸一は、青年部の数人の首脳幹部と協議した。
 その時、学生部長の渡吾郎が、学生部の強化のために、浪人生や高校三年生なども、学生部が激励していくようにしたいと、提案したのである。
 伸一は言った。
 「浪人生は、その方向でよいが、高校生については、三年生だけでなく、全高校生をどうするか、考えていこう。これは、今後の日本の大きな問題にもなってくる」
 彼は、前々から、学会のみならず、日本の将来のことも考え、高校生の育成の大切さを痛感していた。
 高校生が男女青年部員として活動することは、世代を超えた交流を図り、信心の触発をもたらすうえでは、大きな意味がある。
 しかし、高校生にとっては、学業の励みになるような組織の在り方が大事であると、伸一は考えていた。
 そして、それには、高校生だけの独自の組織をつくるべきではないかという、強い思いがあった。
 彼は、言葉をついだ。
 「たとえば、学生部があるのだから、高等部をつくるというのも、一つの方法ではないかと思う。
 今、戦後ベビーブームの世代が高校生になり、数も非常に多く、潜在的な大きな力をもっている。だが、そのエネルギーを、どう引き出せばよいのかわからないというのが、今の社会の現状だ」
2  鳳雛(2)
 男子部のある幹部が、発言した。
 「実は、中学生や、小学生の高学年のなかにも、男子部、女子部として活動したいというメンバーが増えております。
 高校生の場合もそうですが、学会の子供たちは、喜々として信心に励む両親の姿を見て育っていますので、自分たちも、学会活動がしたくて仕方ないようなんです。
 しかし、男女青年部の場合、平日の夜の会合も多いですし、会合の終了は、午後の九時ごろになってしまいます。
 そうした時間の活動に、中学生や小学生が参加するのは、問題があります。したがいまして、中学生などの場合も、独自の組織をつくってはどうでしょうか」
 男子部、女子部には、子供たちをも魅了してやまない輝きがあった。
 この四月の時点で、男子部は、年間目標である部員百五十万の達成に向かって驀進中であった。一方、女子部も、部員百万をめざし、歓喜に燃えて奮闘していた。
 その青年たちの力は、各支部や地区でも、いかんなく発揮され、各部のメンバーの″希望の星″であり、″学会の顔″といってよかった。その姿はまた、子供たちの憧れの的にもなっていたのである。
 学会員の子供に、将来はなんになりたいのかと聞くと、「男子部!」や「女子部!」と答える子供も少なくなかった。
 そして、男女青年部として、本格的に活動する日を夢見ながら、学会の音楽隊や鼓笛隊に入るメンバーも多かった。
 山本伸一は言った。
 「そうだね。中等部をつくることも検討しよう。大切な着眼点といえる。
 ところで、先日、発表された『青少年白書』でも、青少年の非行化の深刻さが浮き彫りにされていたね。
 日本の未来を考えると、これから、若い世代をいかに育成していくかということが、極めて重要なテーマになってくる。
 それを、本当に行うことができるのは、創価学会しかない」
 この年の三月に発表された、『青少年白書』(一九六三年版)によれば、少年犯罪は、年々、増加の一途をたどっていた。
 しかも、犯罪の低年齢化が進み、特に十四歳から十五歳では、前年比三五パーセント増となっていたのである。
 さらに、中流家庭層の子弟による犯罪の増加が、指摘されていた。
3  鳳雛(3)
 青年部の首脳幹部は、真剣な顔で、山本伸一の話に耳をそばだてていた。
 「私は、『青少年白書』のなかで、″都市化″が青少年の非行にも、深くかかわっていると論じていたことが、強く印象に残っているんだよ。
 大都市の盛り場などに遊びに行くと、大勢の人がいるから、そのなかに埋もれてしまったような感覚になる。それで、自分の存在感が希薄になって無責任になり、誤った行動を起こしやすいと分析しているんだ。
 また、近年の少年の犯罪は、かつてのように、貧困が原因ではなく、普通の生活をしていながら、犯罪に走っているとあったが、これも見過ごしてはならないことだと思う。
 日本は、戦後の貧困を完全に脱した。経済的には、確かに豊かになった。
 大学や高校への進学率も上昇している。また、街の景観も変わった。特に、この秋の東京オリンピックをめざして、東京の街はすっかり整備され、様相は一変した。
 しかし、少年犯罪は増えている。非行化傾向も進んでいる。これはなぜだと思うかい」
 女子部の幹部が答えた。
 「子供たちが、自分をかけるものがなく、精神的な空虚感がつのっているせいだと思います。受験に勝つことしか、意味がないようにいわれていますから、ほかに人生の目標が、全く見いだせなくなってしまった……」
 続いて、男子部の幹部が、意見を述べた。
 「私も、白書にあるように、自分という存在感が、希薄になってきているという傾向はあると思います。
 ″自分の役割はなんなのか″″自分なんて、どうでもいい存在ではないのか″という気持ちが、みんなにあるようです。
 そんな自分に対する、不安と焦りが、非行化に駆り立てているように思えてなりません」
 伸一が答えた。
 「つまり、自分というものの根本的な価値も、人生の価値も見いだせなくなっている。それは、言い換えれば、なんのための人生なのかが、わからなくなっているということだ。
 政府も″人づくり″といって、教育に力を入れてはきた。しかし、人間としての使命を教え、人生の価値を創造する教育とは、ほど遠い状態だ。
 また、人間として、何が善であり、何が悪なのかを教えることも、悪と戦うということを教えることもなかった。
 結局、人間の哲学がないがゆえに、本当に人間をつくることができないでいるんだ。

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