Nichiren・Ikeda
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1 宝剣(1)
新しき時代は、青年の腕にある。
″出でよ、幾万、幾十万の山本伸一よ!″
伸一は、心でこう叫びながら、この一九六三年(昭和三十八年)の夏も、青年の育成に全魂を注いだ。
七月一日、彼は東京・台東体育館で行われた男子部幹部会に出席した。
この席上、伸一は、恩師戸田城聖の七回忌を期して、学会はいよいよ「本門の時代」に入ることを宣言したのである。
獅子吼は轟いた。
本門とは、法華経二十八品のうちの後半十四品をさし、それに対して、前半十四品は迹門といわれる。迹とは影を意味し、本とは本体を表し、門とは法門のことである。
法華経の肝要は、本門の如来寿量品第十六に説かれており、迹門はいまだ理論上の教えにすぎない。
伸一は、そこから、広宣流布の本格的な展開の時代を「本門の時代」と表現したのである。
これを聞いた参加者の驚きは大きかった。皆、電撃に打たれた思いであった。
彼らは、伸一が会長に就任して以来の、広宣流布の新展開と目覚ましい学会の発展に驚嘆し続けてきた。
しかし、戸田の七回忌以後「本門の時代」に入るということは、今はまだ「迹門の時代」ということになる。すると「本門の時代」とは、どんな時代になるのか、想像もしかねた。
だが、自分たちの考えをはるかにしのぐ、すごい時代が到来することは間違いない――そう思うと、血湧き肉躍るのであった。
彼らの澄んだ瞳には、広宣流布の未来が、まばゆいばかりの光彩を放って、映し出されたにちがいない。
社会を建設しゆく次代のリーダーとして、自らを磨き鍛えながら、学会とともに生きる、誇りと歓喜を、誰もが噛み締めていた。
青年は、希望の大空をめざして飛翔する。創価の行進あるところ、常に希望の調べが広がっていく。
次いで五日には、伸一は台東体育館で開催された女子部幹部会に出席した。
この日は、新しい女子部の愛唱歌「歓喜の歌」が発表された。
歌え われら若人
世界の友よ
歴史をひらく
文化はかおる
自由と平和の
勝利をつげる
七つの鐘は
鳴りわたりゆく
この歌は、女子部の新出発の決意を託して作成したもので、曲も明るく、新しい感覚の歌であった。
2 宝剣(2)
山本伸一は、この女子部の幹部会で、まず、女子部も、男子部も、それぞれ百万の部員の達成をめざしてはどうかと提案した。
当時、女子部は部員四十三万、男子部は部員六十四万であった。
男女両部が部員各百万を達成すれば、日本では未曾有の一大青年集団が誕生することになる。
前進には、めざすべき目標が必要である。目標が定まれば、月々日々の行動も明確になり、歩みにも力がこもる。
伸一は、男女青年部に、それぞれ百万の部員達成という目標を示すことによって、新しい希望を与えたかったのである。
更に彼は、たまたま学会員が引き起こした事件などを、あたかも創価学会の問題であるかのように取り上げ、学会批判を重ねるマスコミの報道について、言及していった。
「これまでも、精神の病で苦しんでいた人が入会をし、その後、事件を起こしてしまったこともありました。あるいは前科があり、誰からも相手にされなかった人が学会に入り、また犯罪に関与してしまったこともありました。
そのつど、新聞や週刊誌は、創価学会自体が罪を犯したかのように書き立て、私どもは、非難されてまいりました。
しかし、本来は、そうした人たちが人間らしく生きられるにはどうしたらよいかを、政治家や国家などが責任をもって考え、面倒をみていくべきであります。
だが、それを切り捨て、誰も、何もしようとはしない。不幸な境遇の人を見て見ぬふりをしているのが、今の多くの政治家であり、高級官僚といわれる役人ではないですか。
日本の指導者層は、あまりにも利己主義であり、無責任です。
それに対して、私たち学会員は、この世から不幸をなくそうと、苦しんでいる人を見れば、人間には等しく幸福になる権利があるのだと、信心を教えてきた。
創価学会には、いっさい差別はないからです。
そして、なんとか幸せになってほしいと、皆さんは真心を込めて、あれこれと面倒をみてこられた。社会的な体裁を繕い、自分のことだけしか考えない人たちには、決してできないことです。
さまざまな悩み、複雑な問題をもつ人を、数多く抱きかかえていけば、なかには、事件を起こしてしまう人が出ることもあるでしょう。しかし、そうなることを恐れて、人間を切り捨てていくことと、どちらが正しい道なのか」
3 宝剣(3)
山本伸一の言葉には、強い確信が脈打っていた。
「つまり、社会が見捨てた人をも、真心で包み、ともに幸福の道をめざしてきた最も尊い教団が、わが創価学会であります。
心ある指導者ならば、学会の在り方を見て、称賛するのが本来の姿です。
たとえば、社会的な地位が高く、財力があり、身体も健康である等、さまざまな条件を設け、学会が入会を制限していれば、″貧乏人と病人の団体″などと言われることもなかったでしょうし、問題はほとんど起きなかったでしょう。
しかし、それでは、苦悩に泣く民衆を救うという、宗教の、なかんずく、仏法の精神を捨てることになってしまいます」
メンバーは、学会員が事件を起こしたと報道されるたびに、自分の周囲の人びとに、どう説明してよいかわからず、悔しい思いをしてきた。
伸一は、その問題を取り上げ、事の本質を明らかにしたのである。
彼は、常に会員が、いかなる問題で苦しみ、いかなる批判に戸惑っているのかについて、レーダー網を張り巡らすかのように、心を配っていた。
そして、それが何かをつかむと、真っ先に対応し、論破すべきものは、明快に論破していった。
その迅速な対応こそが、言論戦の要諦といえるからだ。
次いで伸一は、「女子部の皆さんも、どうか真心を込めて、一人ひとりのメンバーの個人指導を実践していっていただきたい」と呼びかけた。
彼は、男女青年部の活動が、会合や行事の運営などが中心となり、個人指導がなおざりになっていくことを心配していたのである。
学会活動の基本は、自行としての勤行・唱題と、化他行としての折伏と個人指導にある。
また、見方によっては、折伏とは、一人の人が入会することで終わるのではなく、個人指導を重ね、その人が自分以上の人材に育ってこそ、完結するということができる。
会合も大切であることはいうまでもないが、会合に出席する人というのは限られている。たとえば、座談会を見ても、参加者に倍するほどのメンバーが、それぞれの組織にはいるはずである。
そこに、満遍なく激励の手を差し伸べてこそ、盤石な学会がつくられ、それが拡大にもつながり、広宣流布の広がりも生まれる。
いわば、個人指導なき活動は、画竜点睛を欠いているといってよい。