Nichiren・Ikeda
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1 若鷲(1)
青年の夏が来た。
梅雨空を破り、黄金の太陽が昇った。
青空に、真綿のような純白の雲がかがやき、木々の緑が鮮やかに映えていた。
一九六二年(昭和三十七年)七月十六日、東京・信濃町の聖教新聞社の和室には、二十人ほどの青年男女が集まっていた。学生部長の渡吾郎をはじめとする、学生部の代表であった。
皆、幾分、緊張した顔である。しばらくすると、山本伸一が姿を現した。
「やあ、みんな、元気だったかい!」
「はい!」
はつらつとした皆の声が響いた。
伸一は座卓を挟んで座ると、笑顔で語りかけた。
「梅雨も明けたせいか、今日は、みんなさっぱりした顔をしているな。
さあ、今回も、意見や要望があれば、なんでも自由に話しなさい」
この年、二度目の、山本会長と学生部の代表との懇談会が始まった。
すぐに、何人かの手があがった。最初に指名されたメンバーが言った。
「山本先生に、学生部の代表に御書の講義をしていただきたいのですが……」
発言者も、他のメンバーも真剣な顔で伸一を見た。
一瞬、伸一の目が輝きを増した。彼は、その言葉を待っていたのだ。
「よし、やろう! 七月の二十二日は学生部の総会だったね。それが終わったら始めることにしよう。
君たちが徹底して御書を研鑽し、大聖人の仏法の奥底を究めていかなければ、学生部の存在価値はなくなってしまう。
最も大事なことだ。一緒に勉強していこう」
伸一は、いよいよ学生部に対する、本格的な薫陶を開始する時が来たことを感じた。
彼は、昨年来、学生部の育成に、最も心を砕いていたのである。
男子部は、前年十一月五日の、「国士十万」の集いとなった第十回総会をもって、未来への堅固な基盤を築き上げたと、彼は思っていた。
また、女子部も、その一週間後の、八万五千人が集った三ツ沢の競技場での第九回総会で、大発展の盤石な礎を整えたといえる。
二十一世紀の広宣流布の構築は、″人材の山脈″を築き上げることから始まる。その新たな未来への陣列をつくるために、今度は、学生部を全力で育成しなければならないと、伸一は深く考えていた。
そして、彼はまず、『大白蓮華』四月号の巻頭言に「学生部に与う」を執筆した。メンバーが希望をいだいて進める、未来への指針を示したかったのである。
2 若鷲(2)
山本伸一は、学生部への熱い期待をペンに託して、「学生部に与う」を書き上げていった。
「全学会青年の行く手は、青年訓、国士訓に明確である。青年のなかにあって、とくに学生部は、その先駆をきるべき責任と自覚をもつべきである」
彼は、冒頭、学生部の使命が、広宣流布の「先駆」にあることを明確にしたのだ。以来、この「先駆」が学生部の合言葉となり、誇り高き伝統となっていくのである。
続いて、伸一は、世の学生が利己主義、刹那主義に流され、″新時代を築こう″との使命感も、″常に民衆の幸福のために、民衆とともに″という気概も、信念も失っている風潮のなかで、日蓮大聖人の仏法を根底にした学生部の成長だけが、唯一の希望であるとの心情を綴った。
更に、戸田城聖の講演を引用して、仏法は、科学や政治、経済などを指導しゆく最高の生命哲学であることを確認し、今、学生部員が何をなすべきかを示していった。
「諸君は、自己の使命にめざめ、信心強盛に、いまの学業こそ、おのおのの生活であると励んで、将来の固い基礎をつくることが、広宣流布に通ずることを確信されたい。
学問は知識の蓄積であり、知恵にはいる道程である。仏法は知恵であり、生活の原理である。いっさいの知識は、仏法の知恵によって、初めて社会のために最高に生かされることを知らねばならない」
最後に彼は、若き逸材の前途を祝福し、こう結んでいる。
「青年部の諸君は、ともに次代を担うべき地涌の菩薩であるが、学問を身につけて世に出る諸君は、いわゆる知識階級の指導者としての使命を担っているのである。
諸君よ、願わくは次の学会の骨髄となり、日本の大指導者となって、世界に貢献しうる大人材と育たれんことを」
この「学生部に与う」を目にした学生部員の衝撃は大きかった。山本会長の、自分たちへの限りない期待と、かけがえのない自己の使命を、皆、改めて知ったのである。
メンバーは、皆で何度も、これを朗読し合った。
″ぼくらが広宣流布の先駆を切るのだ!″
若き俊英たちの胸に、歓喜の火が燃え上がった。
使命の自覚は、人間を変え、無限の力を引き出していくものだ。
このころ、学生部は部員一万人の達成をめざしていたが、青春の歓喜の火は、向学心と弘教への情熱となって爆発していった。
3 若鷲(3)
それから間もない、四月半ばのある日、学生部長の渡吾郎が、顔中に喜びをたたえて、山本伸一のところに報告に来た。
「先生! 学生部は昨晩の報告で、遂に、部員一万名を突破いたしました」
「そうか! よく頑張ったな。これからは学生部の時代だよ。私も、全魂を注いで、学生部を育てようと思う。未来の大指導者を、きら星のごとく、つくり出していくんだ。
今度、学生部の代表と懇談をしよう」
「はい。よろしくお願いします」
渡は嬉しそうに答えた。
こうして、伸一と学生部の代表との最初の懇談会がもたれたのは、五月二十三日のことであった。
この時も、伸一は、自分が一方的に指導するのではなく、メンバーの意見や要望を聞くことに努めた。彼は、学生たちを鋳型にはめ込むのではなく、自発性、自主性を尊重し、伸び伸びと、自由に育てたかった。
学生部の代表からは、さまざまな要望が出された。メンバーの一人が言った。
「各支部には支部旗がありますし、男子部や女子部にも旗があります。学生部にも旗を作っていただきたいと思います」
伸一は、即座に答えた。
「わかりました。私も、学生部が旗を作ることには大賛成です。学生部らしく斬新でスマートなものを作ろう。
旗については、大乗の論師である竜樹の、こんな故事がある。
――かつて南インドに、外道を信じ、邪見をもって国を治めた王がいた。その国は竜樹の故国であった。竜樹は、国王を教化しようと立ち上がったが、会見を申し込んでも、さまざまな妨害があって実現できない。
しかし、彼はあきらめなかった。竜樹は真紅の旗を掲げ、門前や城の周囲を、来る日も来る日も巡り続けた。そして、七年目にして国王に会い、国王を仏道に導くことができたのだ。
竜樹の掲げた、この真紅の旗は、彼の仏法弘通の情熱を象徴していたように思う。旗には、それを掲げる人びとの思想・哲学や理想が、集約されているともいえるだろう。
そして、作るからには、その旗のもとに、十万、二十万の学生が集う時が来ることを考え、学生部らしい特色のある旗を作ろう。男子部や女子部の旗よりも、一段と立派な、センスのよいものを作るんだよ。
皆で相談し、案をまとめてもって来なさい」
メンバーの瞳が光った。