Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第6巻 「波浪」 波浪

小説「新・人間革命」

前後
1  波浪(1)
 大海をめざして流れる川のように、一瞬の休みもなく、山本伸一の激闘は続いていた。
 一九六二年(昭和三十七年)六月二日、伸一は四国本部幹部会に出席したが、この前日、学会本部に一本の電話が入った。
 「会長の山本伸一が四国に来るそうだが、やめた方が身のためだ。もし、どうしても来るというなら覚悟を決めておけ……」
 低い男の声で、こう告げると、一方的に電話は切られた。脅迫電話である。学会本部に緊張が走った。
 七月一日には、第六回参議院議員選挙があることから、このころ公明政治連盟の支援団体である学会への、悪質ないやがらせが頻発していた。それまでにも″立候補を取りやめろ。言う通りにしなければ、殴り込みをかける″といった脅迫電話が、相次いでいたのである。
 伸一は既に四国へ出発した後であり、脅迫電話の一件が伝えられたのは、彼が四国本部に到着した、六月一日の夜のことであった。
 学会本部からの電話を受けたのは、同行していた理事長の原山幸一だった。
 原山は、脅迫電話のことを伸一に報告すると、自分の考えを伝えた。
 「先生、これは、参院選挙を前にしての、いやがらせだと思いますが、会合は中止の方向で考えてみるべきではないでしょうか」
 伸一は憮然とした顔で、原山を見つめた。
 「そんなことは絶対にできない。皆、何日も前から準備をし、私が来るのを待っている。得体の知れない電話一本に怯えて、四国の同志に、幹部会をやめろと言うのですか!」
 「……そうですね。確かに、そんなわけにはいきませんな。しかし、大丈夫でしょうかね」
 「幹部は、大丈夫かどうかではなく、絶対に魔を粉砕していくのだという決意をもつことです。そんな言葉を戸田先生が聞いたら、激怒されていますよ」
 「はあ……」
 原山は額の汗を拭い、気まずそうに、伸一を上目遣いで見た。
 伸一は、戸田城聖に仕えた時から、命を捨てる覚悟はできていた。だから、何ものも恐れなかった。もし学会に攻撃をしかけるものがあれば、自分が盾となって仏子を守り抜き、指一本触れさせまいと決意していたのである。
 だが、自分と同じ自覚に立つべき首脳幹部に、その思いも、気迫も見られないことが、伸一は情けなく、残念でならなかった。
2  波浪(2)
 四国本部幹部会の会場となった香川県立屋島陸上競技場のある屋島は、源平の古戦場で知られるところである。
 源義経は、寿永三年(一一八四年)の一ノ谷(神戸市須磨区内)の合戦に続いて、翌年二月、この屋島の戦いで再び平家を破り、長門壇ノ浦(下関市内)に追い込んでいる。
 四国本部にとって、三万余の同志が参加し、会長就任三周年への出発をする今回の幹部会は、未来の広宣流布の命運を決する集いといえた。
 それゆえに山本伸一は、この幹部会に義経の心意気で臨み、全同志の総決起を促し、四国の勝利への突破口を開こうとしていた。
 六月二日は、天候が危ぶまれていたが、曇り空で、昼近くには薄日が差し、むしろ、野外での集いには、絶好の日和となった。
 会場には、早朝から続々と人びとが詰めかけ、正午前には、スタンドも、グラウンドも、約三万人の参加者であふれた。
 伸一は、予定している参加者が、既に集まったことを聞くと、開会時刻を早めるように指示した。
 学会本部への脅迫電話は、単なる脅しであるのか、あるいは、実際になんらかの妨害を計画しているのか、伸一にも予測がつかなかった。
 そこで彼は、皆が集まり次第、直ちに幹部会を開始し、当初の開会予定時刻には、終了してしまおうと考えたのである。
 予定は、二時間近く繰り上げられ、午後零時十五分、伸一が入場し、開会が宣言された。まだ、当分の間、待たなければならないと思っていた参加者は、予想外の早い開会に大喜びであった。
 幹部会は、体験発表や各部の代表抱負、理事のあいさつなど、式次第通りに順調に進んでいった。
 脅迫電話の件は、運営役員などの一部に伝えられただけで、一般の参加者には知らされていなかった。無用な心配をさせないための配慮である。
 参加者は、壇上の幹部の話に、瞳を輝かせ、満面に笑みをたたえ、拍手を送っていた。それは、求道の息吹と、歓喜と熱気にあふれた、いつもの学会の幹部会であった。
 ただ、日頃は柔和な伸一の目が、この日は、絶えず鋭く光っていた。その目には、一分の隙もなかった。
 ″何があっても、同志は私が守る!″
 彼は、そう決意して、壇上にあっても、心で唱題しながら、会場の隅々にまで、注意深く視線を注いでいたのである。
3  波浪(3)
 やがて、万雷の拍手のなか、山本伸一が登壇した。
 彼は、皆を笑顔で包みながら、ユーモアを交えて話し始めた。
 「皆さんは、会長が来るということで、待っていてくださったと聞いておりますが、実際に、私をご覧になって、″なんだ、あんなに小柄で、貧相で、平凡な会長じゃないか″と、がっかりされた方も、いらっしゃることでしょう。
 しかし、これは、生まれつきなもので、どうか、ごかんべんいただきたいと思います」
 爆笑が広がった。
 伸一は悠々としていた。
 彼は、この幹部会では、四国は板垣退助らによる立志社の設立や、ルソーの『民約論』(社会契約論)を翻訳した中江兆民を輩出するなど、自由民権思想の台頭をもたらした地であることから、民主の時代を築く創価学会の使命について語った。
 更に、学会の目的は、御本尊を根本とした全民衆の救済であり、それを実現していくためには、皆が、周囲の人たちから賛嘆されるような、幸福生活の実証を示していくことが大切であると強調した。
 そして、強き信心と強き団結をもって、広宣流布の新たな前進を開始するよう呼びかけ、あいさつとしたのである。
 四国本部幹部会は、最後に「新世紀の歌」を大合唱し、午後一時十五分に閉会が宣言された。
 席を立った伸一は、グラウンドに下りると、そのまま場内を回り、参加者を激励し始めた。
 メンバーは、歓声をあげて立ち上がり、大きな拍手で彼を迎えた。
 脅迫電話の一件を知っている幹部は、ハラハラしながら伸一の後を追った。
 伸一は、参加者の一人一人に視線を注ぎ、微笑を浮かべながら、皆の歓声に手を振って応え、ゆっくりと歩いていった。
 時には、同志の求めに応じて握手を交わし、「ありがとう!」「ご苦労様!」「また、お会いしましょう!」と声をかけ、彼は、皆を励まし続けた。
 その伸一の足が、スタンドの一角で止まった。
 そこにいたメンバーは、伸一に向かって、盛んに何か叫んでいたが、それは言葉にはなっていなかった。
 伸一は、このメンバーがろうあ者で、「先生!」と自分を求めて、呼んでいることを知っていた。
 彼は幹部会の最中から、ろうあ者の同志が多数参加しており、その人たちに、登壇者の話を手話で伝える同志がいることにも気づいていたのである。

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