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日蓮大聖人・池田大作

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第4巻 「凱旋」 凱旋

小説「新・人間革命」

前後
1  凱旋(1)
 会長就任一周年となる五月三日を前にして、山本伸一の動きは、ますます激しさを増した。
 広宣流布の伸展とは、幸福の輪の広がりである。そして、その幸福とは、人間の胸中に、何ものにも崩されない、生命の宝塔を打ち立てることである。
 そのために、伸一は、一人でも多くの同志と会い、励まし、指導することを、常に自身の最大の責務としていた。
 戸田城聖の四回忌法要が行われた翌日の四月三日、彼は上越方面の指導に出発した。
 この日は、高崎支部の結成大会に出席することになっていたのである。
 午後、高崎駅に着いた伸一は、同行の幹部と、高崎支部の支部婦人部長になった柳井信子の家を訪ねた。
 彼女の夫の柳井光次は、鋳物工場を営んでいたが、十カ月前に交通事故で他界していた。
 伸一は、その夫の追善の勤行をするために、柳井の家を訪問したのである。
 伸一は、前年の一九六〇年(昭和三十五年)三月、一般講義と班長・班担当員会のために高崎を訪問している。その折、柳井光次をはじめ、地元の代表と懇談したことが、懐かしく思い出された。
 この席で、伸一は、柳井夫妻に三人の息子と一人の娘がいることを聞くと、光次に尋ねた。
 「その子供さんを、どのように育てようと、思っているのですか」
 「はい。長男は医大にいっておりますので医者に、次男には家業を継がせ、三男は学者にと考えております。娘は、幸せな結婚をしてくれればと思います」
 伸一は、笑いを浮かべながら言った。
 「実に、人間的な答えです。たいてい私がこう尋ねると、『広宣流布の人材に育てます』という答えが返ってくるんです。柳井さんは正直ですね」
 光次に対する、高崎の同志の信頼は厚かった。
 伸一に、ぜひ高崎に来てほしいと要請してきたのも彼であった。
 その三カ月後に、光次は他界した。今、鋳物工場は妻の信子が夫に代わって切り盛りしている。
 伸一は、柳井の家で、追善の勤行をした後、信子に語った。
 「仕事をかかえ、そのうえ支部婦人部長の活動をしていくのは大変でしょう。
 しかし、中心者が大変ななかで頑張っているからこそ、皆も共感し、指導にも説得力が出てくる。また、その懸命に生きる姿が、同志に勇気を与え、希望を与えていくのです。
 今が自身の人間革命の正念場なのです」
2  凱旋(2)
 柳井信子は、夫の亡き後、仕事と家事と学会活動に、懸命に力を注いできたのであろう。しかし、そのためか、服装や身だしなみは、幾分、無頓着になっているようでもあった。
 山本伸一は、柳井に諭すように言った。
 「ご主人に代わって、やらなければならないこともあり、忙しいかもしれませんが、婦人として、身だしなみに気を使うことも大切です。
 なりふりかまわず頑張っている姿に、人は″大変なんだな″とは思うでしょうが、″自分もあの人のようになりたい″とは思わないものです。
 贅沢をして、着飾る必要はありませんが、心だけでなく、姿も輝かせていく工夫を忘れないようにしてください。
 子供さんにしても、母親がいつも若々しく、きれいでいることは嬉しいものですし、ますます誇りに思うようになります。
 周囲の誰からも、あれだけ大変な立場にいるのに、″さわやかでセンスもいいな″と思われる人になることです」
 彼女が全く気づかなかったことといってよい。柳井は、伸一のこまやかな配慮に、心温まる思いがした。
 伸一たちは、それから車で、結成大会の会場に向かった。
 車から降りると、元気な青年たちの笑顔に取り巻かれた。そのなかに、見覚えのある、何人かのメンバーがいた。
 伸一が一年前に高崎を訪問した折、若き中堅幹部として、会場の整理役員をしていた男子部員である。
 彼は、その時、わずかな時間であったが、会場の前で、役員の青年たちと語り合った。
 メンバーは二十人ほどいたが、背広を着ている人は数人にすぎなかった。たいていはジャンパー姿で、背広を着ていても、はズックという人もいた。
 仕事も、小さな町工場に勤めている人が多く、皆、生活はかなり苦しそうであった。
 しかし、彼らは、広宣流布の使命を自覚し、法のため、人のため、社会のために戦う誇りに燃え、生き生きとしていた。
 伸一は、その健気な姿に心を打たれた。
 「かつて、私は貧しいうえに病弱で、人生とは何かに、思い悩んでいました。しかし、信心に目覚めることによって、すべてを乗り越えて来ました。
 皆さんの未来にも、必ずや無限の栄光が待っています。どこまでも信心をやり抜き、悠々と苦労を乗り越え、職場の第一人者として胸張ることのできる、信頼の青年になってください」
3  凱旋(3)
 青年たちは、山本伸一の励ましの言葉に、真剣に耳を傾けていた。
 「青年にとって大事なことは、どういう立場、どういう境遇にあろうが、自らを卑下しないことです。
 何があっても、楽しみながら、自身の無限の可能性を開いていくのが信心だからです。
 もし、自分なんかだめなんだと思えば、その瞬間から、自身の可能性を、自ら摘み取ってしまうことになる。未来をどう開くかの鍵は、すべて、現在のわが一念にある。今、張り合いを持って、生きているかどうかです。
 今日は、皆さんの新しい出発のために、私が青春時代に、未来への決意を込めてつくった詩を、贈りたいと思う」
 伸一は、こう言うと、自作の詩を披露した。
 希望に燃えて  怒涛に向い
 たとい貧しき  身なりとも
 人が笑おが   あざけよが
 じっとこらえて 今に見ろ
 まずは働け   若さの限り
 なかには    侮る者もあろ
 されどニッコリ 心は燃えて
 強く正しく   わが途進め
 苦難の道を   悠々と
 明るく微笑み  大空仰ぎゃ
 見ゆる未来の  希望峰
 ぼくは進むぞ  また今日も
 伸一は、青年たちに視線を注ぎながら言った。
 「つたない詩ですが、若き日の私の心です。皆さんも、同じ思いで、どんなに辛いこと、苦しいことがあっても、決して負けずに、大指導者になるために、堂々と生き抜いてください。
 皆さんの青年時代の勝利を、私は、心から祈り念じています」
 こうして励ました青年たちが、この日の高崎支部の結成大会に、一段と成長した姿で、伸一の前に集って来たのである。
 青年の成長こそ、伸一の最大の希望であり、最高の喜びであった。
 伸一は、この日の支部結成大会では、学会についての批判の大多数は、無認識から起こっており、粘り強く、学会の真実を、勇敢に訴え抜いていくことが肝要であることを語った。

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