Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第3巻 「月氏」 月氏

小説「新・人間革命」

前後
1  月氏(1)
 使命の翼は進む。東洋の民衆に光を送るために。
 山本伸一は、東南アジアの上空を飛ぶのは初めてである。
 飛行機は、香港を発つと、南シナ海を南下し、ベトナム付近を通って、経由地であるシンガポールを目指した。
 そこで給油した後、インド洋を越え、現地時間の午後九時半には、セイロン(現在のスリランカ)のコロンボに到着することになっていた。
 伸一は飛行機が飛び立つと、しばらく思案をめぐらしていたが、やがて、席を立った。
 彼は、離れて座っていた同行の幹部たちの席に向かった。皆、疲れているらしく、眠っている人もいた。
 伸一の姿を見ると、森川一正が慌てて、倒していたリクライニング・シートを戻した。それを機に、皆、一斉に顔を上げた。
 「休んでいたところ、申し訳ないが、相談したいことがあってね。
 実は、いろいろ考えてみたが、近い将来、アジアにも総支部をつくろうと思う。地区としては、香港のほかに、インドネシア、フィリピン、セイロン、台湾などに結成できればと思っている。これから、その方向で、皆で、検討してみてほしい」
 伸一の言葉に、皆、驚きを隠せなかった。
 アメリカやブラジルと比べると、アジアのメンバーは、至って少なかったからである。たとえば、これから訪問するセイロンには、海外部でわかっているメンバーは、わずか二人しかいなかった。
 伸一は皆の戸惑いを見抜いて、強い口調で言った。
 「まず構想を描く。そして、そこから現実をどう開いていくかを考えていくんだ。現実は冷静に見つめなければならないが、大きな構想を持ち、向上への意欲を燃やして戦っていかなければ、何も開くことはできないだろう。
 戸田先生が敗戦の焼け野原に立った時、学会は壊滅していた。その現実に縛られてしまったら、七十五万世帯を達成しようなどという発想は出てこなかったにちがいない。
 結局、現実主義というのは、ともすれば保守的になってしまい、現状に追随し、諦めに生きることになりかねない。
 その現状追随的な意識を打ち破ることだ。幹部が常に新しい発想に立たなければ、学会の発展も、希望もなくなってしまう。大きな指標を定めて、戦いを起こそうとすることだよ」
 同行の幹部は、自分たちがいつの間にか、革新の気概を失いつつあったことに気づいた。
2  月氏(2)
 森川一正が答えた。
 「わかりました」
 すると、すかさず山本伸一は言った。
 「総支部を結成するとしたら、総支部長は、君にやってもらおうと思う。婦人部長は、兼任で清原さんがやる以外にないだろう。そして、その場合は、三川君が総支部幹事だろうね」
 清原かつは、静かに頷いた。通訳の三川健司は「はい」と返事をしたが、緊張のためか、声がうわずっていた。
 「それから、戸田先生は大客殿の建設には、ガンジスの砂も使うようにと言われていたから、インドではガンジス川の砂や小石も採取することにしよう」
 伸一は、こう言うと、自分の席に戻っていった。
 同行の幹部たちは、自分たちが休んでいた時も、山本会長は広宣流布への思索をめぐらしていたのだと思うと、申し訳ない気持ちがしてならなかった。
 香港を発って三時間ほどすると、次第に窓の外は暗くなってきた。やがて、夜の闇に包まれたころ、シンガポールに到着した。
 伸一が外に出ようとすると、見知らぬ二人の日本人の青年が近づいて来た。
 「あのう、学会の山本先生ではないでしょうか」
 「はい……」
 「やっぱり、そうでしたか。写真で見たことがあるものですから」
 青年の一人は、自動車会社に勤務する鹿児島県出身の男子部員で、技術派遣の一員として、クウェートに行くところだという。
 機内のことでもあり、一言、二言、言葉を交わしただけで終わったが、伸一は学会の青年がどんどん海外に出ていく、新しい時代の到来を感じた。
 一行は、待合室で待機することになった。
 赤道に近いシンガポールはさすがに暑く、じっとしていても額に汗が噴き出てくる。待合室の外には、ヤシの木の黒いシルエットが浮かび、南の島へ来たことを実感させた。
 シンガポールは戦前、イギリスの直轄植民地であったが、戦時中は日本軍が占領し、昭南島と呼んでいた島である。あの戦争では、多くの人の血が流され、現地の人々に大きな苦しみと不幸をもたらした。
 そして、戦後は、再びイギリスの直轄植民地となり、一九五九年にはイギリス連邦内の内政自治国の地位が与えられ、当時、人民行動党のリー・クアンユー書記長が首相に就任していた。
 伸一は、窓辺に立つと、シンガポールの未来の発展と幸福を祈念し、真剣に唱題した。
3  月氏(3)
 飛行機は四十分ほど待機した後に、セイロン(現在のスリランカ)のコロンボに向けて出発することになっていた。
 しかし、待合室で待たされたまま、一時間が過ぎても、出発する気配はない。係員の話では、エンジンの調子が悪いとのことだ。
 やがて、再び機内に誘導されたが、なかなか飛び立たなかった。中は冷房もきかず、蒸し風呂のような暑さである。
 離陸したのは、機内に移って、二、三十分してからであった。結局、四十分の待ち時間が、一時間四十分になってしまった。
 しばらくして、セイロンの入国カードが機内で配られた。なんと、そこには、所持金から時計やカメラ、テープレコーダーにいたるまで、詳細に書き込むようになっていた。
 通訳の三川健司が、手際よく皆のカードを英文で記入していったが、それでも三時間を費やした。ようやく書き上がった時には、飛行機は既に着陸体勢に入っていた。
 森川一正が、秋月英介に言った。
 「入国カードの記載事項も、これだけ厳格だから、税関の審査もかなり厳しいかもしれないね」
 秋月が頷いた。
 「ブッダガヤに埋納するあのケースも、開けられてしまうことを覚悟しなければならないでしょう」
 二人は気が重たかった。
 飛行機がセイロンのコロンボの空港に着いたのは、現地時間の午後十時半であった。
 コロンボは、日本の真夏のような暑さだった。入国審査に向かう一行の顔には汗が滲んでいた。しかし、それは、ただ暑さのせいばかりではなかった。ケースを開けられずに通関できるかという、張り詰めた心のせいでもあった。
 森川も、秋月も、心のなかで必死で唱題していた。
 税関の係官の前に立った三川は、深呼吸をすると、元気に英語で言った。
 「私たちは仏教徒のグループです。ここにいるのは日達上人という日本で最高の僧侶で、私の隣にいるのが、創価学会という日本第一の仏教団体の会長です。今回は、仏教の研究、調査のためにやって来ました」
 すかさず、傍らにいた山本伸一が微笑み、手を差し出した。係官も微笑みながら伸一の手を握った。
 係官は、三川が着替えなどを入れていたバッグを調べただけで、ほかのメンバーの荷物にはいっさい触れずに、通してくれた。皆、ほっと胸を撫で下ろした。

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