Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第2巻 「民衆の旗」 民衆の旗

小説「新・人間革命」

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1  民衆の旗(1)
 民衆!
 あなたこそ、永遠に社会と歴史の主人公だ。
 いかなる理想も、民衆の心を忘れれば、観念と独断と偽善になろう。正義も、真理も、民衆の幸福のなかにある。
 十一月二十日は、第八回女子部総会であった。会場となった東京・両国の日大講堂の周辺には、早朝から長い列が続いていた。
 この日大講堂は、半年前の五月三日、山本伸一の第三代会長の就任式が行われた会場である。以来、学会として、ここを使用して行う初めての行事が、この女子部総会であった。
 午前八時、総会を祝賀する鼓笛隊の街頭パレードが始まり、澄み切った秋空に軽快な希望の調べがこだました。
 午前九時には、会場は満員となり、場内でも、鼓笛隊のパレードと演奏が披露された。
 更に、女子部合唱団も、「歌の殿堂」(ワーグナー作曲)、「ラデツキー行進曲」(ヨハン・シュトラウス作曲)を合唱し、女子部の新出発に花を添えた。
 午前十一時二十分、総会は開幕した。
 開会の辞で、女子部は部員十五万人を達成し、この日の総会を迎えたことが発表されると、雷鳴のような拍手が、しばし鳴りやまなかった。
 思えば、九年前の七月十九日、東京・西神田の旧学会本部で行われた女子部の結成式に集ったのは、わずか七十人余のメンバーに過ぎなかった。
 それが、昨年十一月の総会で部員十万人に達し、更に今年は十五万人に至ったのである。この一年の歩みは、まさに未曾有の大飛躍といってよい。
 女子部総会では、体験発表の後、森川一正から人事が紹介された。ここでは、各総支部ごとに部長制が敷かれることが伝えられ、その人事が発表されたほか、女子部合唱団の団長に高田カヨが就任した。
 この合唱団の結成は、戸田城聖の提案によるものであった。戸田は、一九五七年(昭和三十二年)八月の北海道指導の折、夕張から札幌に向かう車のなかで、つぶやくように山本伸一に語った。
 「青年部に合唱団をつくったらどうかね……」
 伸一は、その言葉を深く胸に刻み、師の構想の実現に全力をあげた。そして、女子部の幹部らと相談しながら準備を進め、翌五八年(同三十三年)十月六日に結成されたのが、女子部合唱団であった。
 その時から、合唱団の中心となって、活動してきたのが、音楽を学んでいた高田カヨであった。
2  民衆の旗(2)
 この総会で山本伸一は、戸田城聖の「女子部は幸福になりなさい」との指導を引き、幸福について語っていった。
 「アランやエマソンなど、さまざまな哲学者や思想家が、幸福について論じていますが、では、それを読めば、絶対に自分も幸福になり、人をも幸福にすることができるかというと、残念ながら、決してそうとは言えません。
 幸福と平和は、全民衆の念願でありますが、その絶対の原理を示した人は誰もおりませんでした。そのなかで、ただ日蓮大聖人のみが、万人に幸福の道を、具体的に開かれたのであります」
 幸福はどこにあるのか。それは、決して、彼方にあるのではない。人間の胸中に、自身の生命の中にこそあるのだ。
 金やモノを手に入れることによって得られる幸福もある。しかし、それは束の間にすぎない。第二代会長戸田城聖は、それを「相対的幸福」と呼んだ。
 そして、たとえ、人生の試練や苦難はあっても、それさえも楽しみとし、生きていること自体が幸福であるという境涯を、「絶対的幸福」とした。
 この境涯を確立するには、いかなる環境にも負けることのない、強い生命力が必要となる。その生命力は、自身の胸中に内在しているものであり、それを、いかにして引き出すかを説いたのが仏法である。
 伸一は、大確信をたぎらせて訴えた。
 「信心の目的は成仏であり、幸福になることであります。それには、仏法の真髄であり、大聖人の出世の本懐である御本尊への信心以外にありません。それを人々に教え、事実の上に、民衆の幸福を打ち立ててきたのが創価学会です。
 私どもの目指す広宣流布とは、一人一人が幸福を実現することであり、そのための宗教革命であります。
 ヨーロッパのある哲学者は、″人を幸福にすることが一番確かな幸福である″旨の言葉を残しておりますが、弘教には歓喜があり、生命の最高の充実があります。どうか皆さんは、この広宣流布という聖業から、生涯、離れることなく、幸福を実現していっていただきたいのであります。
 人の心は移ろいやすく、はかないものです。これからも、学会は大きな難を受け、誹謗されることもあるでしょう。そうなれば、つい弱気になり、信心を離れていく人もいるかもしれません。
 しかし、真実の幸福の道は、信心しかないことを断言しておきます」
3  民衆の旗(3)
 山本伸一は、ここで、難解な幸福論を語るつもりはなかった。
 皆、幸福への確かな道を知った同志である。後は、それを歩み抜くことだ。
 彼は、話を続けた。
 「女子部の皆さんのなかには、『私には折伏なんてできません』という人もいるかもしれませんが、それでも構いません。牧口先生の時代も、戸田先生の時代も、学会では、折伏をしてくださいなどと、お願いしたことは、ただの一度もありません。
 大聖人が、折伏をすれば宿命を転換し、成仏できると、お約束なさっている。ですから、自分の宿命の転換のため、幸福のためにやろうと言うのです。
 しかも、それが友を救い、社会の繁栄と平和を築く源泉となっていく。これほどの″聖業″はありません。
 なかには、一生懸命に弘教に励んでいても、なかなか実らないこともあるかもしれない。こう言うと、女子部長に怒られてしまうかもしれませんが、皆さんは、まだ若いのですから、決して、結果を焦る必要はありません。
 布教していくということは、自身を高める、人間としての最高の慈愛の修行であるとともに、人々を幸福と平和へと導きゆく、最極の友情の証なのです。
 大切なことは、″あの人がかわいそうだ。幸福になってほしい″との思いをいだいて、周囲の人に、折に触れ、仏法を語り抜いていくことです。
 今は信心しなくとも、こちらの強い一念と友情があれば、やがて、必ず仏法に目覚める時が来ます。
 また、幹部は、弘教が実らずに悩んでいる人を追及したり、叱るようなことがあってはならない。むしろ優しく包み、仏の使いとして、懸命に生きようとしている姿勢を称え、励ましてあげていただきたい。
 更に、いろいろな境遇や立場で、思うように活動に参加できない人もいるでしょう。そのメンバーに対しても、『必ず春が来るように、時間的にも余裕が持てる時が来るから、その時はいつでもいらっしゃい』と言って、温かく励ましてほしいのです。
 ともあれ、私たちは、おおらかな気持ちで、麗しい同志愛を育みながら、幸福の道を進んでまいろうではありませんか」
 弘教の意気に燃えている人には大歓喜がある。そこには、地涌の菩薩の生命が脈動するからだ。伸一が心を砕いていたのは、その弘教の波に乗り切れずにいる友であった。
 彼のまなざしは、常に最も苦しみ悩む人に注がれていたのである。

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