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日蓮大聖人・池田大作

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第2巻 「勇舞」 勇舞

小説「新・人間革命」

前後
1  勇舞(1)
 新しきは開かれた!
 山本伸一の北・南米の平和への旅は、創価の友の胸に希望の光を注ぎ、決意の炎を呼び起こした。
 それまで、遠く太平洋を隔て、自分たちとは無縁と思っていたアメリカやブラジルが、今、最も身近な天地となって、同志の眼前に広がったのである。
 一九六○年(昭和三十五年)十月三十一日、伸一の帰国後の初の幹部会となる十月度の本部幹部会が、東京・千駄ケ谷の東京体育館で行われた。それは、世界広布への息吹がみなぎる集いとなった。
 この席上、山本会長一行が滞米中に検討したアメリカ総支部の人事も、正式に発表された。
 海外で初めて結成されたアメリカ総支部の総支部長には十条潔が、婦人部長には清原かつが就任。総支部幹事として、男子部の青田進と正木永安が就任した。
 このアメリカ総支部にはロサンゼルス、ブラジルの二支部、十七地区が所属することになった。
 また、あわせて本部に海外部が設置された。これは海外在住の会員との連携をはじめ、統監業務、学会の出版物の送付などのほか、新たに海外向けの新聞、書籍の出版や翻訳も行うことを目的に新設された部である。海外部長には、神田丈治が就任し、九人のメンバーが部員に任命された。
 更に本部幹部会では、秋月英介の渡米報告、アメリカ総支部長になった十条の抱負などが続いた。
 しかし、伸一は、海外の話については、ほとんど触れなかった。現実の足元を見つめ、一歩一歩をいかに堅固なものにするかに心を砕いていたのである。
 彼は、留守中の同志の健闘を称えた後、こう語り始めた。
 「日蓮大聖人は、師子王は蟻の子を捕る時も、獰猛な野獣に挑む時も、″前三後一″と言って、三歩前に、一歩後ろにという万全の構えで、全精力を注ぐと仰せですが、これは、広宣流布の活動を進める私たちにも、相通ずる原理ではないかと思います。
 そこで、十一月、十二月は、弘教に全力をあげ、一月は、徹底して同志の信心指導に力を注いでまいりたいと思います。
 家庭指導、個人指導は、最も地道で目立たない活動ですが、信心の『根』を育てる作業といえます。根が深く地中に伸びてこそ、天に向かって幹は伸び、葉も茂る。同様に、一人一人の悩みに同苦し、疑問には的確に答え、希望と確信を持って、喜んで信心に励めるようにしていくことが、いっさいの源泉になります」
2  勇舞(2)
 同志の中へ、そして、その心の中へ──山本伸一の話の主眼はそこにあった。
 「折伏は相手を幸せにするためであり、それには、入会後の個人指導が何よりも大切になります。
 皆さんが担当した地区、班、組のなかで、何人の人が信心に奮い立ち、御本尊の功徳に浴したか。それこそ、常に心しなければならない最重要のテーマです。
 本年は十二月まで折伏に励み、明年一月は『個人指導の月』とし、人材の育成に力を注いでいくことを発表して、私の本日の話といたします」
 弘教が広がれば広がるほど、信心指導の手も差し伸べられなければならない。信心をした友が、一人の自立した信仰者として、仏道修行に励めるようになってこそ、初めて弘教は完結するといってよい。
 三百万世帯に向かう″怒涛の前進″のなかで、その基本が見失われ、砂上の楼閣のような組織となってしまうことを、伸一は最も心配していたのである。
 また、世界広布といっても、今はその第一歩を踏み出したばかりであり、広漠たる大草原に、豆粒ほどの火がともされた状態に過ぎない。それが燎原の火となって燃え広がるか、あるいは、雨に打たれて一夜にして消えてしまうかは、ひとえに今後の展開にかかっている。そのためにも、今なすべきことは、一人一人に信心指導の手を差し伸べ、世界広布を担う真金の人材に育て上げることにほかならなかった。
 折伏と人材の育成とは、車の両輪の関係にある。この二つがともに回転していってこそ、広宣流布の伸展がある。
 翌十一月一日、会長山本伸一は、新支部結成の冒頭を飾って千葉県体育館で行われた、千葉支部の結成大会に出席した。
 日蓮大聖人御聖誕の千葉で、初の支部結成が行われるとあって、伸一の胸は躍った。
 大聖人が建長五年(一二五三年)四月二十八日の午の刻、清澄寺で、南無妙法蓮華経こそ、末法の衆生を救済する唯一の正法であることを宣言されてから、既に七百七年の歳月が流れている。
 その間、大聖人の正法正義の旭日は暗雲に阻まれ、この千葉の天地を、燦々と照らすことはなかった。しかし、今、いよいよ、その″時″が訪れようとしているのだ。
 伸一はそう思うと、車窓を走り去る田畑も、海も、皆、喜びに震えているように感じられた。
3  勇舞(3)
 車は幕張に差し掛かった。外には、野菜畑が広がっていた。山本伸一の胸には、懐かしい青春の思い出が蘇った。
 それは敗戦の年の九月、伸一が十七歳のことであった。彼は、大きなリュックサックを背に、幕張の駅に降り立った。
 戦災で焼け野原となった東京には、満足な食糧はなく、一家の食べ物を手に入れるために、この幕張の農家まで買い出しに来たのである。
 すし詰めの列車からホームに降りると、伸一は目まいを覚えた。彼は、胸を病んでいたのであった。
 買い出しといっても、訪ねるあてが、あるわけではなかった。畑のなかの道を歩いていくと、買い出し客が、あちこちで農家の人たちを相手に交渉を始めていた。彼も、麦ワラ帽子を被った、一人の農家の主婦らしい人のところに近づいていった。
 その婦人が、伸一の前にいた買い出し客に言った。
 「今日は分けてあげられるものは何もなくてね。朝から、みんなに断っているのよ。悪いね」
 そして、くるりと背を向け、野良仕事を始めた。
 彼は、そこに佇んで、眼前に広がる田園風景を眺めていた。
 一面の焼け野原となり、荒れ果てた東京と比べ、その風景が心を和ませたからである。
 しばらくすると、婦人は伸一の方を見て言った。
 「あんた、どこから来たんだね」
 素朴だが、温かみのある声であった。
 買い出し客にしては、まだ年の若い伸一のことが、気になったようだ。
 「東京の蒲田です」
 「そう。いやに顔色が青いね。疲れているのかい」
 「……結核なんです」
 「まぁ……。少し、うちで休んでいきなさい」
 伸一は、彼女の家に案内された。古い、貧しげな家である。母屋の奥の暗がりの中で、男性の声がした。夫のようだ。
 麦ワラ帽子をとると、丸顔で人なつこそうな、四十前後の婦人であった。
 「兄弟は、いなさるの」
 「はい。八人兄弟の五番目ですが、兄たちは兵隊に行ったままです」
 「それで、あんたが買い出しに来ているんだね」
 「ええ。ところで、こちらのご家族は?
 子供さんはいらっしゃるんですか」
 婦人の顔が曇った。悲しそうな目をしながら、黙って静かに首を横に振った。何かわけがありそうだったが、伸一は、それ以上、尋ねる気にはなれなかった。

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