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日蓮大聖人・池田大作

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第2巻 「錬磨」 錬磨

小説「新・人間革命」

前後
1  錬磨(1)
 盛夏のまばゆい太陽が、″鍛え″の季節の到来を告げていた。その光を浴びて、銀色に輝く隅田川の河畔の道には、日傘の花の列が続いていた。
 七月二十二日、東京・台東体育館で行われる第二回婦人部大会に向かう人たちである。
 婦人部大会が最初に開催されたのは、前年の七月二十八日のことであった。
 これは、当時、ただ一人の総務として、事実上、学会のいっさいの運営の責任を担っていた山本伸一の提案によるものだった。
 彼は、広宣流布をより多角的、重層的に推進していくためには、座談会などの各部が一体となった活動とともに、それぞれの部の特性を生かした活動の大切さを感じていたからである。
 ことに婦人部の場合、専業主婦が時間を有効に活用するためには、昼間を中心とした活動を、更に充実させる必要があった。また、婦人という共通の基盤に立って、独自の運動を展開する機会を増やした方が、より力を発揮できるという利点もある。
 伸一は、それらを考慮して、理事長であった小西武雄や婦人部長の清原かつと協議を重ね、初めての婦人部大会の開催を企画していったのである。
 彼は、女性の生活上の役割を深く考えながら、真実の″女性解放″に心を砕いていた。女性の幸福なくして、本当の社会の繁栄はないからだ。
 第二回婦人部大会は、午後零時半から開始された。盛夏の満員の会場は、うだるように暑かったが、集った婦人たちは、はつらつとしていた。
 大会では、夫が戦死し、男児をつれて再婚した婦人の体験が語られた。
 彼女は、再婚した相手の六人の子供との、人間関係に悩んでいた。しかも、染め物の工場を経営する夫は、仕事に行き詰まり、ギャンブルに走っていった。生活苦と子供との不仲の末に、夫婦喧嘩が続き、死を考えたことさえあった。
 そんな時、知人から仏法の話を聞き、夫妻で入会。唱題を重ねるうちに、夫はけ事をやめ、仕事にも精を出すようになった。
 また、子供との不仲も解消し、念願の一家の和楽が訪れたという体験である。
 そこには、先妻の子供にも隔てなく愛情を注ぎ、夫をも包み込むに至った、一婦人の人間革命の歴史があったといってよい。
 それは、胸中の太陽を輝かせ、不幸の宿命から解放された女性の蘇生の現実の姿であった。
 会場からは盛んな拍手が送られた。
2  錬磨(2)
 その体験は、一つの家庭という小さな世界の出来事に過ぎない。しかし、それは、社会をも変えゆく無限の可能性を物語っている。
 家庭とは、家族が共同でつくりあげてゆく価値創造の「庭」であり、明日への英気を培う、安らぎと蘇生の園である。また、人間を創りゆく土壌と言えよう。
 社会といっても、その基盤は、一つ一つの家庭にある。ゆえに、盤石な家庭の建設なくしては、社会の繁栄もないし、社会の平和なくしては、家庭の幸福もありえない。そこに世界平和への方程式もある。
 また、先妻の子供に惜しみなく愛情を注ぐことのできた婦人は、他人をも等しく愛せるにちがいない。そして、一家の和楽を築いたその力が、社会に向けられれば、平和建設の偉大なる力となろう。
 山本伸一は、いずこの家庭にも、「太陽」のごとき婦人がいれば、社会もまた明るい光に包まれてゆくにちがいないと感じていた。
 活動方針の発表や代表抱負などに続いて、婦人部長の清原かつが登壇した。
 「今日は、少し耳の痛い話かもしれませんが、婦人部の活動の在り方について申し上げます」
 清原は、こう前置きして語り始めた。
 「私たち婦人部は、山本先生のもとで自由自在に活動させていただき、学会にあって、大きな力を発揮してまいりました。しかし、その反面、ともすれば独善的になり、自分たちの殻に閉じこもって、異なった意見には耳を貸さない傾向があるように思います。
 そして、活動の面でも、思い通りに物事が運ばないと、壮年が真剣でないからとか、青年がしっかりしないからだなどと、すぐに周囲の人のせいにしてしまうきらいが、なきにしもあらずという気がいたします。
 家庭でも、母親が、子供の話を全く聞かず、一から十まで自分の思い通りにしようとすれば、必ず子供も反発します。ましてや、何か、うまくいかないことがあるたびに、夫や子供のせいにして怒ってばかりいたら、家族はみんな、やる気を失ってしまいます。
 そうした狭い心で、周囲の人たちに接するのではなく、太陽のように温かく、皆を包み込む包容力を身につけていかなくてはなりません。太陽の光を浴びれば、凍りついた雪も解け、若芽も伸びていきます。
 私たち婦人部は、明るい笑顔で皆を包み、家庭、組織、地域を照らす″太陽″になっていこうではありませんか」
3  錬磨(3)
 清原婦人部長は、歯に衣を着せることなく、核心に迫っていった。
 「また、女性の常としてグチをこぼし、陰で人の悪口を言うきらいがあるようです。
 しかし、信心の世界ではそれは十四誹謗であり、福運を消してしまうことになります。陰で悪口を言うのは、怨嫉以外の何ものでもありません。
 学会の婦人部ならば、そんな湿地帯のような心から脱して、晴れやかな五月晴れのような心で、明るく、朗らかに信心に励んでいこうではありませんか。
 更に、子供さんのいる婦人には、信心を伝え抜いていく一家の責任者の自覚がなくてはなりません。
 先日、女子部の幹部の方たちに、どういう動機で信心をしたのかを尋ねてみました。すると、七人いた女子部員全員が、生活も大変ななかで、グチも文句も言わずに、いつも笑顔で頑張っている母親の姿を見て、信心をしてみようという気になったと言うのです。
 つまり、お母さんの強さや優しさ、また、素晴らしさの源泉が、信心にあることに気づき、若い娘さんが信心を始めているのです。
 反対に、母親が幹部で立派そうに見えても、家に帰って『疲れた』とか『大変だ』などと、グチばかりこぼしたり、主婦としてやるべきこともやらないような場合は、たいてい子供は信心をしなくなっています。
 もう一つ申し上げておきたいことは、皆、それぞれに悩みを抱えていますが、その克服を自分の課題として、学会活動に励んでいこうということであります。
 たとえば、夫の仕事がうまくいかずに悩んでいるなら、今月は、それを願って一人の友人に信心を教えよう、何遍の唱題に挑戦しようというように、悩みを広宣流布の活動のバネにしていくことが大事ではないかと思います。
 広宣流布のために働き、祈るならば、必ず功徳があります。したがって、一つ一つの活動に自分の悩みをかけて、幸福へのステップとしていくことです。個人としての活動の意味が明確になれば、張り合いも生まれ、力も出ます。
 そして、全員が幸福という確かな道を、堂々と歩んでまいりましょう」
 清原の話は、婦人の陥りがちな問題点を鋭く見すえた、婦人部大会ならではの指導であった。
 参加者にとっては、かなり切実な指摘であったようだ。清原のあいさつが終わった時には、皆、幾分、緊張した顔になっていた。

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