Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第2巻 「先駆」 先駆

小説「新・人間革命」

前後
1  先駆(1)
 歴史的偉業というものは、必ず苦難があり、道は険しく、時間がかかるものである。広宣流布という未聞の絵巻も、また同じであるといってよい。
 ともあれ、正法流布とは、人類の幸福という大海原を開いていくものだ。
 そこには、嵐があり、うねりがあり、怒涛もつきまとうにちがいない。
 そこに身を投じて戦うところに、偉大なる人間革命の法理が存在する。
 一九六〇年(昭和三十五年)十月二十六日の朝、山本伸一は、学会本部で、深い祈りを捧げていた。
 初の海外歴訪の旅を終えて、伸一が羽田の東京国際空港に到着したのは、前日の午後十一時過ぎであった。控室で帰国のあいさつを済ますと、既に午前零時を回っていた。彼が自宅に着いたのは、午前一時前だった。
 伸一は、翌朝、午前九時には、早くも本部に着いていた。
 彼は、大成功のうちに、広宣流布の旅を終えることが出来た感謝の思いで、宝前に座った。伸一の朗々たる唱題の声が、二十数日ぶりに学会本部に響いた。
 彼の胸中には、十一月、十二月の、この年の総仕上げに向かって、新たな決意が脈動していたのである。
 伸一は、会長就任式となった五月三日の総会で、四年後の恩師戸田城聖の七回忌までの目標として、三百万世帯の達成を掲げて、新しいスタートを切った。
 五月三日の時点での学会の世帯数は、百四十万に過ぎなかった。三百万世帯といえば、その倍以上ということになる。見方によっては、困難このうえない目標であったといってよい。
 しかし、この目標は、恩師の遺言であった。
 戸田は、逝去の二カ月前の二月十日、伸一が関西の指導を終えて、戸田の自宅を訪れると、こう語った。
 「急がねばならんのだよ。伸一、あと七年で、三百万世帯までやれるか?」
 それは、広宣流布の緻密な展望のうえから、戸田が七年後を構想して、慎重に練り上げた指標にほかならなかった。
 伸一は、即座に答えた。
 「はい、成就いたします。ますます勇気がわきます。私は先生の弟子です。先生のご構想は、必ず実現してまいります。ご安心ください」
 その時の嬉しそうな戸田の顔が、彼の胸に焼きついていた。
 伸一にとって、三百万世帯の達成は、戸田の後継の弟子として、断じて成し遂げねばならぬ法戦であり、また、新会長としての、初陣でもあった。
2  先駆(2)
 山本伸一は、決然と立ち上がった。
 唱題を終えた彼は、本部の応接室で、理事長の原山幸一をはじめ、最高幹部と打ち合わせに入った。
 原山は、五月三日の本部総会で、小西武雄に代わって理事長に就任し、小西は本部の最高顧問となっていた。また、この時、十条潔が副理事長に就任したのである。
 「原山さん、三十一日の本部幹部会の式次第の案はどうなっていますか」
 伸一が尋ねた。
 「はあ、先生のご意見をお伺いしてから、検討しようと思いまして……」
 「では、一日の千葉から始まる、関東や甲信越などの各支部の結成大会の派遣幹部は決まっていますか」
 「いえ、まだ……」
 「そうですか。結成された支部の、地区の編成は、本部では誰が責任をもって進めているんですか」
 「総支部長がそれぞれ見ているので、特に誰ということは……」
 こう言ったきり、原山は押し黙った。伸一は険しい顔で原山を見た。
 「この支部結成大会は、今後の戦いの鍵を握る、最大のポイントです。
 年内の行事については、すべて理事長を中心に、万全の態勢で臨むことになっていたはずです。指示がなければ、何も考えず、行動もしないというのは無責任ではないですか。
 広宣流布は、急ピッチで進んでいる。第一線の同志は、皆、新たな決意で、真剣に戦っています。それなのに、肝心の本部が惰性化してしまえば、中枢から腐っていく。怖いことです」
 原山は、「はあ……」と言って、伸一を見た。彼には、多少、打つべき手が遅れてしまったという感覚しかなかった。
 伸一が一番恐れていたのは、中心となる最高幹部の意識の遅れであった。
 最高幹部のなかには、牧口の時代からの幹部も何人かいた。彼らには、長い信仰歴のなかで積み重ねた経験と、戸田城聖とともに、学会の基盤を築いてきたという自負があった。
 しかし、伸一の目指す新しき広宣流布の流れは、もはや、彼らの経験をはるかに超えた、新たな局面を迎えようとしていた。
 だが、彼らは、それに気づかず、これまで通りに、指示があって初めて重い腰を上げ、自らの経験の範囲で対処すればよいという安易な考えを、どうしても拭いきれなかった。
 惰性とは、気づかぬうちに陥るものだ。現状をよしとし、日々、革新を忘れた時から、既に惰性は始まっている。
3  先駆(3)
 山本伸一は、応接室に集った幹部を見回すと、厳しい口調で言った。
 「私は、いよいよこれから、日本の本当の戦いを始めます。しかし、その本陣である本部の空気は、緩み切っている。しかも、それにさえ気づかないことが怖いのです。
 道を行くにも、ゆっくり歩くのと、車で、猛スピードで行くのとでは、気構えも、神経の使い方も違ってくる。猛スピードで車を運転しているのに、歩いているような感覚で、よそ見をしていれば、大事故につながってしまう。
 三百万世帯を目指して進む今の学会は、時速百キロを超すスピードで走っている車のようなものです。一瞬の脇見も、運転ミスも許されません。本部に、その緊張感がみなぎっていなければ、全会員を守り、未聞の大前進を期すことなど、とてもできない。だから、私は厳しく言うのです」
 原山幸一をはじめ、留守を守っていた幹部とは、わずか二十数日離れていたにすぎない。
 しかし、海外という新天地の広布を開くために、死力を尽くしてきた伸一との間には、目には見えない、大きな使命感の隔たりが生じていた。それが呼吸のずれとなって、露呈したといってよい。
 伸一は、残留の幹部が陥ってしまった、惰性の殻を打ち破っておきたかったのである。
 彼は、話を続けた。
 「今後の活動の最大の焦点となるのが、新支部の結成大会です。新たに誕生した支部が軌道に乗れば、三百万世帯は達成できます。
 私は、今日からは日本の指導にやって来たつもりで戦います。全国各地を回り、海外と同じように、いや、それ以上の働きをします。したがって、皆さんもその決意で臨んでいただきたいのです」
 伸一は恩師との三百万世帯の達成という誓いを果たすために、全国各地に新支部を結成し、戦いの布陣を整えることから着手した。
 まず、会長就任の五月三日の総会で、一挙に全国に二十三支部を新設。これによって、学会は、全国六十一支部から八十四支部の陣容となり、″怒涛の前進″が開始されたのである。
 しかし、広布の盤石な基盤をつくるためには、更に、全国各地に支部の新設を急がねばならなかった。
 組織は、間違いなく信行学を加速させていく道である。また、人々が、安心して伸び伸びと大樹に成長していく、大地であらねばならない。

1
1