Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第1巻 「慈光」 慈光

小説「新・人間革命」

前後
1  慈光(1)
 大仏法の慈光は、今、アメリカ最大の都市ニューヨークの摩天楼にも、降り注ごうとしていた。
 トロントを発った山本伸一の飛行機は、午後二時過ぎに、ニューヨークのアイドルワイルド国際空港(後のジョン・F・ケネディ国際空港)に到着した。
 当初の予定より二時間半ほど遅れたが、十数人のメンバーが、「威風堂々の歌」の元気な合唱をもって一行を迎えた。
 そして、皆の歓迎の拍手のなか、まだ、四、五歳くらいの幼い少女が、伸一に花束を手渡してくれた。
 ニューヨークの街は、世界経済の中心らしく、さすがに活気に満ちていた。エンパイヤ・ステート・ビルディングをはじめ、高層ビルが林立する摩天楼の景観に、伸一は目を見張った。一行が宿泊するホテルはマンハッタンのブロードウェーと三十四番街が交差する角にあった。
 絶え間なく行き交う車の音は、十九階の伸一の部屋にも響いてきた。目を閉じると、それは潮騒のようでもあり、群衆の歓呼の声を聞くようでもあった。
 彼は、百年前に、このブロードウェーをパレードした初の遣米使節団の侍たちの姿を思い描いた。
 ワシントンで日米修好通商条約の批准書を交換した使節団は、ニューヨークを訪れ、ここで、市民の大歓迎を受けたのである。
 七千人の儀礼隊に護衛され、使節団一行は、馬車に乗って、ブロードウェーを行進した。街路は何万人もの群衆に埋まり、大歓声が空にこだました。
 この行列を目にした詩人のウォルト・ホイットマンは、それを、若き自由人・アメリカと、齢を重ねた万物の母・アジアとの出あいとして称え、歌った。
 西の海を渡り、日本か
 らやって来た、
 礼儀正しく、日焼けし
 たの、二本の刀を持
 った使節たちよ……
 彼は、この東洋との出あいによって、アメリカに欠けていたものが補われ、この国が完全なるものになることを夢見ていた。
 それから百年を経て、伸一は、東洋からの仏法の使者として、ブロードウェーの街路を踏んだ。
 一行を迎えたのは、群衆の熱狂とはほど遠い、一握りの同志にすぎない。
 しかし、伸一は、この訪問を、ホイットマンが渇望した、万物の母たる東洋の哲理との、真実の交流の夜明けにしなければならないと決意していた。
2  慈光(2)
 翌十四日の午前中、一行は国連本部を見学した。
 ちょうど九月二十日から始まった第十五回国連通常総会の最中であった。
 この総会には、ソ連のフルシチョフ首相、アメリカのアイゼンハワー大統領の東西両巨頭をはじめ、国家元首十人、首相十三人、外相五十七人など、「世界の顔」がそろい、″人類の議会″国連にふさわしい「首脳総会」となった。
 また、総会中に、カメルーン、トーゴ、マダガスカルなど十七カ国の国連加盟が認められている。
 これらの国々は、キプロスを除いて、すべてアフリカ大陸の新たな独立国である。これによって、国連加盟国は九十九カ国となり、そのうち、AA(アジア・アフリカ)グループは四十五カ国となった。
 つまり、AAグループが討議の決定を左右する大きな力となり、世界の政治地図が塗り替えられた総会になったといってよい。
 しかし、世界各国の首脳がそろい、加盟国は増加したものの、再び東西の亀裂が深まった総会は、嵐の様相を呈していた。
 総会は、一般討議の二日目に当たる九月二十三日、フルシチョフ首相の演説から、一気に緊張が高まっていった。
 同首相は、アフリカ諸国の国連加盟に歓迎の意を表した後、U2型機のスパイ飛行について触れ、米国が世界の緊張緩和を妨げたとして激しく批判した。
 更に、植民地制度の即時全面撤廃を、突如、提唱したのである。
 また、国連事務総長には西側諸国に有利な候補者ばかりが選ばれてきたと述べ、ハマーショルド事務総長に批判のホコ先を向けた。そして、国連事務総長のポストの廃止を訴え、それに代わって西側諸国、社会主義諸国、中立諸国のそれぞれのグループの三人の代表からなる、国連集団執行機関を設けるという、国連改革案を出した。
 東西の不信が深まるなかでの強硬な提案である。当時の西側諸国にとっては、いずれの提案もとうてい受け入れがたいものであり、それは、意図的な挑発と映ったようだ。
 ことに、事務総長の廃止は、国連に対する挑戦であるとの強い思いを、西側諸国にいだかせた。
 雪解けムードが漂っていた前年とは、打って変わって、総会は荒れに荒れた。
 国連事務総長への退陣要求に、ハマーショルド事務総長が辞任の意思はないと表明した時には、フルシチョフ首相は、テーブルをドンドンと叩いて不満を表したほどであった。
3  慈光(3)
 この国連総会では、軍縮問題を委員会と本会議のどちらの議題にするかで、最初から意見が分かれた。
 ソ連が本会議の議題とするように主張すれば、西側は「ソ連の要求は宣伝を狙ったものだ」と反論。
 すると、フルシチョフ首相は、演壇で両腕を振り回して、こう応酬した。
 「本気で軍縮をやるかどうかだ。……君たちが軍備競争を望むなら、それもよかろう。ソ連のロケットは地球のどこへでも飛んで行ける。宇宙のどこへでも打ち出せる能力すらもっている。この状態が続いたら、どうなると思うか」
 これに対して、フランスとアメリカの代表が、猛然と食ってかかるという一幕もあった。
 更に、植民地問題で、アメリカ代表が、「東欧には自由をもたない多くの国がある」と発言すると、東側諸国の代表は一斉にテーブルを叩き始めた。そして、ルーマニア代表が議長席に駆け上がり、場内は騒然となった。
 それに憤慨した議長は、ツチで机を叩き、休会を宣言したが、激怒のあまり力が入りすぎたのか、ツチはポキリと折れてしまった。
 世界の民衆は、等しく平和を望んでいる。しかし、総会に臨んだ各国の代表からは、その素朴な民衆の声が発せられることはなかった。人間を離れ、互いに敵視し合うイデオロギーの代弁者の叫びだけが、空しく議場に響き渡った。
 ″人類の議会″として国連を機能させるには、友好と対話によって、互いに人間という原点に立ち返ることを忘れてはなるまい。
 山本伸一の一行が国連本部を訪れたのは、フルシチョフ首相が二十五日間の国連滞在を終えて、帰国の途についた翌日であった。
 一行は委員会、本会議の議事を傍聴した。独立して間もないアフリカ諸国の代表の表情が、生き生きとしているのが印象的だった。
 植民地として統治されてきたアフリカ諸国には、政治、経済、教育、人種問題など、あらゆる課題が山積していた。しかし、リーダーの多くは若々しく、誇りと清新な活力に満ちている。大国の老いたる指導者に見られがちな傲慢さも、狡猾さもなかった。
 伸一は、アフリカの未来に希望を感じた。そこに新しい時代の潮流が始まると見た。
 彼は秋月英介に言った。
 「二十一世紀は、アフリカの世紀になるよ。その若木の成長を、世界は支援していくべきだ」
 彼の目は、遠い未来に注がれていた。

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