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日蓮大聖人・池田大作

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生と死 生きるって素晴らしい! この「今」を一分も無駄に使うな

「青春対話」(池田大作全集第64巻)

前後
1  池田 一九九九年。二十一世紀へ、いよいよ「秒読み」の段階に入った。諸君の時代です。諸君に託す以外にない。
 どうか二十一世紀を「すばらしい世紀」にしていただきたい。一人一人の「いのち」が最高に大事にされる世紀にしてほしい。
 すべての「差別」がないように! いじめがないように! 戦争がないように! 殺人がないように! 飢えて泣く子どもがないように! 絶望して自殺する母や子のないように! 自然破壊がないように! 学歴主義がないように! 拝金主義がないように! 人権を「宝」として大事にするように! 悪い政治家は民衆が罰する「民主社会」を! 嘘をつくようなマスコミは、だれも相手にしない「賢い社会」を!
 かけがえのない一人一人の夢が、個性が、絢爛と花開く新世紀をつくってもらいたい。そのためには、諸君自身が勝利することだ。諸君自身が、「哲学」と「慈愛」をもった人間に成長することだ。「実力」と、人の心がわかる「ハート」を兼ね備えた人間に成長することだ。諸君の勝利こそが、二十一世紀の勝利なのです。それしかない。
 ―― 頑張ります。「生命の世紀」を必ず、つくっていきます。
2  君よ 正しき「生死観」をもて!
 池田 「生命」を、どうとらえるか。その生命観、生死観、人間観が、一切の根本となる。今、日本は闇のように暗く、完全に行き詰まっている。多くの世界も行き詰まっている。行き詰まりの根っこは何か。
 「生と死」といういちばんの根本問題の狂いです。指導者も民衆も、「生死」といういちばん大事な問題を考えず、避けて、ごまかして、目先の欲望だけを追いかけてきた。その「しっぺ返し」が今、現れている。
 だから、その根本問題に立ち返らないで、どんなに表面的な対策を繰り返しても、変わらない。病気の原因を治さないで、一時的な痛み止めなどで、ごまかしているようなものです。よくなるわけがない。
 トインビー博士も言われていた。
 「今の世界の不幸は、各分野の指導者が、『死』という根本問題から目をそむけて、考えないところに原因があります」と。
 ―― だから、生命の尊さもわからないということですね。
3  なぜ「生命を最優先」しないのか
 池田 公害もそうです。
 あの悲劇の水俣病に対する対応を見ても、企業も、役所も、政府も、「生命を第一に大切にする」という発想は、まったくなかったと言っていい。あまりにも冷たい、あまりにも経済主義の、官僚主義の対応でしかなかった。
 企業がタレ流す水銀のせいで、健康そのものだった人が、手足がしびれ、曲がり、動けなくなる。神経を侵され、痙攣し急死する人。生まれた時から目も耳も働かず、会話もできない子。何の罪もない人々が、″生き地獄″に苦しみ抜いた。
 しかし、公害病として認定されたのは、患者の発生から何と十五年後です(一九六八年)。どうして直ちに手を打たなかったか。理屈をこねる前に、どうして、かけがえない命を救わなかったのか。
 (十五年の間に、熊本県水俣湾周辺の患者は、当時、認定されただけでも死者四十二人、患者六十九人に達していた。六十九人のうち二十人は、胎児性水俣病である。補償交渉の中で、患者さんたちは、あまりにも不誠実な対応に激怒し、こう叫んだ。
 「銭は一銭もいらん。そのかわり、会社のえらか衆の、上から順々に、水銀母液ば飲んでもらおう。上から順々に、四十二人死んでもらう。奥さんがたにも飲んでもらう。胎児性の生まれるように。そのあと順々に六十九人、水俣病になってもらう。あと百人ぐらい潜在患者になってもらう。それでよか」(石牟礼道子『苦海浄土』講談社)
 純朴な人々に、ここまで言わせるまでの非道が続けられていたのである。その後も悲劇は拡大した)
 大企業にせよ、官庁にせよ、政治家にせよ、「一流大学」といわれる大学を出た人々が、いっぱいいた。そういう人ばかりと言ってよい。
 そのいちばん優秀なはずの人たちが、「人間として」大きく何かが欠落していた。恐ろしいことです。教育の根本的過ちがある。生命哲学がない。ヒューマニズムがない。
 ―― 本当に、そう思います。

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