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日蓮大聖人・池田大作

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なぜ祈りが叶うのか 努力、努力の延長に「祈りが実現」

「青春対話」(池田大作全集第64巻)

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1  池田 さあ、きょうも語ろう! 若いみんなに、何でも語り残しておこう。
 ―― よろしくお願いします。今回のテーマは「なぜ祈りは叶うのか」です。まず、何を祈ってもよいのでしょうか。
 池田 幸福になるためのことは、何を祈ってもいい。自分が向上しようと思っていること。「こうありたい」と思っていること。どんなことでも祈り、願って、かまわない。
 しかし、悪いことを祈ることはいけない。自分が、そして人が「幸福になっていこう」とするリズムを壊すことを祈れば、仏罰を受ける。それは、生命の本来のリズムに反しているからです。
 「祈りが叶う」というのは、大宇宙のリズムに自分の生命のリズムが合致していくことが根本なのです。
2  「祈りとして叶わざるなし」
 ―― 以前、勤行・唱題の意義について、教えていただきました。それから勤行・唱題に挑戦を始めた人も多いようです。
 祈りはじめて、どう変わったか――聞いてみました。
 「二学期に入り、友人関係で悩みました。御本尊様に、『自分がいちばんいい方向に変わっていけるように』と祈り、素直に自分の気持ちが出せるようになりました。にがてだった友人のいい面にも気づくことができ、感動しました」
 「祈ると、自分自身が違う人になるような気がします。いろんなことに頑張れる自分がいて、何でもできるような気がして。そんな自分を見ている自分自身が大好きになります」
 「いじめに遭い、『このままではいけない。自分を変えたい』と一生懸命、祈りました。すると、何でも相談できる良き親友を得ることができました」
 その一方で、「本当に祈りは叶うのか」「こんな自分が『強くなれる』なんて信じられない」と半信半疑の人や「一生懸命、祈ったのに叶わなかった。精いっぱい努力もしたのに」と言うメンバーもいます。
 「御本尊に祈れば、どんな祈りでも叶う」と言われますが、本当でしょうか。
 池田 もちろんです。「祈りとして叶わざるなし」の御本尊です。「必ず叶う」と決まっているのです。
 日蓮大聖人は仰せです。「たとえ大地をさして外れることがあっても、大空をつないで結びつける人があっても、また、潮の満ち引きがなくなったとしても、太陽が西から昇ることがあったとしても、『法華経の行者』(妙法を実践する人)の祈りが叶わないことは、絶対にない」(御書一三五一ページ、通解)と。
 太陽は必ず東から昇る。それ以上の確かさで、祈りは叶う。それが宇宙の法則だからです。だから、大切なのは、こちらが「法華経の行者」であるかどうか、本当に実践しているかどうかにかかっている。
 戸田先生は言われていた。「釣鐘を、楊枝でたたくのと、箸でたたくのと、撞木(鐘を鳴らす棒)でつくのとでは、音が違うだろう。同じ釣鐘だが、強く打てば強く響き、弱く打てば弱く響く。御本尊も同じだ。こちらの信力(信じる力)・行力(行じる力)の強弱によって、功徳に違いがあるのだよ」
 ―― わかりやすい譬えですね。
3  こちらの「信力」「行力」で決まる
 池田 「信力」「行力」とあるように、信じる心は一種の「力」です。「絶対に、叶わないわけがない」と「確信」を奮い起こしていけばいくほど、その「信力」の強さに御本尊が応えてくださるのです。
 また、「行力」とは「題目を唱える力」と、人のため、社会のために「広宣流布へ行動していく力」の両方をいう。それが強ければ強いほど、いくらでも御本尊の「仏力(仏の力)」「法力(法の力)」は発揮されていくのです。
 ―― 何か、すごく合理的というか、法則にのっとったものなんですね。
 池田 「祈りが叶う」といっても、オカルト的なものではない。また人間とかけ離れた神仏が、″お情け″で願いを聞き届けてやるといった、神秘的な、いいかげんな話ではない。
 人間は、大自然から「電気の力」を「英知」を使って引き出し、利用できるようにした。あたかも、そのように、生命と宇宙の法則を研究したのが仏法です。その仏法の最高理論をもとに、日蓮大聖人が御本尊をつくってくださったのです。電気の理論で電灯ができたようなものです。
 だから戸田先生は、「もったいないことだが、御本尊は『幸福製造器』と言える。人類を幸福にするための機械であられる」と言われていた。
 人間の智慧、仏の智慧の最高の結晶が御本尊なのです。だから、こちらが一の信力、一の行力だと、一の仏力、一の法力となって現れる。百の信力・行力は百の仏力・法力となって現れる。万の信力・行力は万の仏力・法力となって現れるのです。
 ―― 仏教哲学は「八万法蔵」と呼ばれるほど、膨大な理論があります。これらを全部、勉強するのは、まず不可能です。
 しかし、電気の理論を勉強しなくても、電灯がつくように、仏教理論を勉強しなくても、唱題という″スイッチ″を入れれば、祈りは叶うということですね。
 池田 もちろん、理論も勉強した方がいい。勉強すればするほど納得できるし、仏法の素晴らしさ、深さがわかって「確信」が強くなるからです。「信力」「行力」を強めるための教学の勉強なのです。

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