Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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源遠流長 (第26回)

2009.9.10 「御書と師弟」

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1  御聖訓「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもなが流布るべし
2   永遠に
    広布と創価の
      人生は
    勝利と功徳の
      仏の人びと
 創立80周年へ、世界192力国・地域の同志と共に、新たな大行進が始まりました。
 「願くは我が弟子等・大願ををこせ
 「大願とは法華弘通なり
 創価学会は、広宣流布の団体です。日蓮大聖人の妙法を世界に弘め、民衆を幸福にしゆくことこそ、我らの「大願」です。
 この大願に生き抜く偉大な使命のリーダーは、いついかなる時も、元気いっぱい堂々と、勇猛精進していくのです。
 末法万年の人類を照らす大法を弘通し、恒久平和へ根本的な寄与を果たしているのが、創価の師弟です。この誇り高き大遠征は、燃え上がる「勇気」と「確信」、そして「智慧」と「不屈の精神」がなければ、成し遂げることはできない。
 今回拝読する「報恩抄」の一節は、広宣流布の根本の大精神を示された御聖訓であります。
 「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもなが流布るべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ
 大聖人の広大無辺の大慈大悲によって、南無妙法蓮華経は、万年、そして未来までも流布しゆくのだ、との御断言です。
 私たちの広宣流布の大運動は、「全世界」が舞台であり、「一万年」の彼方をも視野に入れています。この壮大なスケールに立って、一切を悠然と見晴らして戦い進んでいくことだ。
 汝自身の生命の旅も、三世永遠であります。目先のことで、一喜一憂することはありません。妙法を唱え弘めて生きる人生は、「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき」ながら、自他ともに、どこまでも「常楽我浄」の軌道を悠々と上昇していけるからです。
 報恩抄は、建治2年(1276年)の7月、大聖人が身延の地から、安房国(現在の千葉県南部)の浄顕房と義浄房の二人に与えられた御書です。師であった道善房の死去に際して送られました。
 この御文は、本抄の結論です。法華経の肝心である南無妙法蓮華経こそ、末法万年尽未来際の一切衆生を救う大法であることを宣言されています。
 そして、妙法を弘通なされた大聖人の功徳が、故・道善房に集まることを明かされ、報恩の証しとされているのです。
 一切衆生の苦を、わが苦となされる大聖人の慈悲の大きさ、深さは、計り知れません。その不惜身命・死身弘法の大闘争には、人間の苦悩の元凶である無明を、完璧に打ち破る力が漲っております。だからこそ、末法万年にわたり、無間地獄への道をふさぐことができるのです。
3  「源」ありて清流が
 「根ふかければ枝しげし源遠ければ流ながし」──大聖人は、報恩抄でこう述べられています。
 どのような時代の転変、社会の振幅があろうとも、大聖人の仏法が一閻浮提へ広宣流布していくことは断じて間違いない。「一定なるべし」です。
 それはなぜか。絶対に尽きることのない「源」があるからです。この「源」から滾々と湧き出ずる妙法流布の清流は、永劫に止まることはありません。
 日蓮仏法は、その深遠なる哲学性のゆえに、国家や民族など、諸々の差異を超えて、全人類の心を潤すことができる。
 金剛の信念の先師・牧口常三郎先生は、「行き詰まったら原点に戻れ」と教えられました。
 大聖人が唱え出された南無妙法蓮華経には、無量無辺の大功力があります。どんな試練が行く手を阻もうとも、この題目を唱えれば、久遠元初の大生命に立ち返ることができる。その瞬間から、新しい勝利勝利の旭日が燦然と輝き始めるのです。
 ブラジルの天文学者モウラン博士も語られました。
 「『南無妙法蓮華経』という音律には、宇宙が創り上げられていくような根源のエネルギーを感じます」と。
 題目の力用は、宇宙大です。恩師・戸田城聖先生は、厳然と言われています。
 「この大宗教を信ずることによって、生命のリズムは宇宙のリズムに調和し、生きている幸福をしみじみと感ずるのである。生命の歓喜こそ、幸福の源泉力である」
 幸福になるための信心です。そして絶対に幸福になれる仏法です。何があっても、安心して朗らかに、異体同心で、題目を唱え抜いていってください。

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