Nichiren・Ikeda
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動執生疑
(第24回)
2009.8.20 「御書と師弟」
前後
1 御聖訓「上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそいで給いしか」
2 人間の生命には、大海原よりも深く、天空よりも広大な「仏の力」が秘められている。
日蓮仏法は、師と共に、一人一人の弟子が偉大な仏の力を引き出していく大哲理です。
人生や社会に対して、「仕方がない」と諦める心。「こんなものだろう」という惰性の心。その”心の壁”を破り、元初の太陽の如き仏の大生命で、躍動の人生を生き抜き、そして勝ってきたのが、わが創価の師弟であります。
幾百千万の「人間革命」の実証に、社会も世界も驚嘆している。使命深く尊き学会員の生き方が人々の心を動かし、確かな信頼を勝ち広げてきました。
3 踊り出た菩薩たち
今回は、有名な「大悪大善御書」の御聖訓を拝します。
「上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそいで給いしか」──上行菩薩が大地から涌出された時には、踊り出られたのである──。
法華経の涌出品第15では、師・釈尊の呼びかけに応じて、無量千万億の地涌の菩薩が出現する。この時、上首(最高リーダー)である上行菩薩は喜び勇んで登場したと仰せなのです。
この地涌の出現に驚いたのは、会座にいた弟子たちです。
それに先立ち、師・釈尊は、三類の強敵の出来など、悪世に妙法を弘めることが、いかに困難かを繰り返し説かれていた。
ところが、そうした大闘争を喜び求めて、尊貴な仏の生命の光明を放つ菩薩たちが勇んで踊り出たのです。その一人一人には、師匠である釈尊と共に戦い抜く誇りが漲り溢れていた。
会座の人々の疑問を代表し、弥勒菩薩が釈尊に質問します。
「これほどの無量の菩薩は、今まで見たことがありません。どこから来たのでしょうか?」
釈尊は語りました。
「私は、久遠よりこのかた、これらの大菩薩を教化してきたのである」──。
釈尊が今世で仏に成られたとばかり思っていた人々は驚愕し、さらに疑問が深まります。
「わずか四十年余りの間に、釈尊はどうやって無数の菩薩を薫陶されたのでしょうか?」
この質問に答える形で、釈尊は、如来寿量品第16に入って、久遠の過去に成道していたという永遠の大生命(久遠実成)を説き明かしていくのです。
いわば、地涌の弟子たちの光り輝く姿によって、想像を絶する偉大なる師匠の大境涯が示されていくわけです。