Nichiren・Ikeda
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立正安国の太陽
(第19・20回)
2009.7.16 「御書と師弟」
前後
1 戸田先生は言われました。
「『立正安国論』は日蓮大聖人の御書中の巨星であり、末法の一切衆生に対する強烈な指南書である。実に立派な金剛不壊の明鏡と称すべきである」
日蓮大聖人が、国主諫暁の書である「立正安国論」を、時の最高権力者・北条時頼に提出なされたのは、文応元年(1260年)の7月16日です。その歴史的な諫暁から、今年は750年目に当たります。
大聖人の御化導は「立正安国論に始まり、立正安国論に終わる」と言われます。万年のための御闘争は、まさに「立正安国」の大理想に捧げられたのです。
今回は、御本仏の忍難弘通を偲びつつ、安国論の重要な御聖訓を拝してまいりたい。
「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か」──あなたは、自分自身の安穏を願うならば、まず四方の平和を祈るべきである──。
「人間の幸福」と「世界の平和」を祈り、行動する仏法者の大精神を、為政者に対して厳然と示された御金言であります。
2 民衆の幸福を願い
大聖人が、このように仰せになった鎌倉時代の様相はどうであったのでしょうか。
「立正安国論」の冒頭には、こう記されております。
「近年より近日に至るまで天変地夭・飢饉疫癘・遍く天下に満ち広く地上に迸る牛馬巷に斃れ骸骨路に充てり死を招くの輩既に大半に超え悲まざるの族敢て一人も無し」
それは、自然災害・飢饉・疫病が打ち続き、大勢の民衆が命を落とした悲惨な時代だったのです。
「安国論」提出の3年前、正嘉元年(1257年)には、鎌倉一帯を大規模な震災が襲いました。この「正嘉の大地震」をはじめ、水害や大火災に苦しむ人々。大聖人は、こうした末法の時代相を凝視され、民衆を不幸にする根本の原因について探究を極められていたのです。
そして、民衆の幸福を願う大慈大悲から、あらゆる大難を御覚悟の上で、仏法の正義をもって、当時の権力者を真正面から諫められた御書が安国論です。
「立正安国」とは「正を立て国を安んずる」との意義です。正義を打ち立てて、国を安寧にする。ここに、本書に込められた大聖人の悲願があります。
まさしく、大聖人が平和の大理想のため、社会に向かって決然と放たれた”警世の大提言”とも拝されましょう。
もとより、国とは日本一国にとどまらない。日寛上人は、「文は唯日本及び現世に在り、意は閻浮及び未来に通ずべし」(立正安国論愚記)と仰せです。未来永遠にわたって、全世界の平和と、全民衆の幸福を勝ち開くことこそ、我ら仏法者の究極の誓願である。
2000年の秋、読売新聞が行った「二十一世紀に伝える『あの一冊』」という調査では、この「立正安国論」が「日本の名著」の第2位に選ばれています(同年11月29日付朝刊)。
戸田先生が宣言された通り、安国論は「御書中の巨星」にして「金剛不壊の明鏡」である。21世紀、いな未来永遠にわたって、人類文明の指標と仰がれゆく大哲学書であります。
3 慈悲の仏法対話
よく知られているように、本書は、客と主人の10問9答からなる問答形式で綴られています。
時代の悲しみを嘆く「旅客」に対し、「主人」は、打開のために正義の確立が不可欠であることを諄々と語り聞かせます。最初は反発していた客も、主人の語る哲理を聴き、次第に理解を深め、ついに正法への信仰に目覚めていく──。こうした確信と共感の”仏法対話”の流れで織りなされています。
まさに日蓮仏法は、偉大なる「対話の宗教」なのです。
恩師はよく話されました。
「大聖人の説得力は、単なる説得力ではない。根本が慈悲と勇気から発している説得力である。だから偉大なのである」
慈悲と勇気の「対話」こそ、心を動かし、時代を変えゆく最大の武器であります。創価の対話運動は、大聖人に直結した最も正しい仏法の方軌なのです。今回の御文の「一身の安堵」とは、個人の幸福を指します。
「四表の静謐」とは、東西南北の四方の安穏、すなわち社会全体の平和のことであります。
個人の幸福を願うがゆえに、まず社会の平和を祈る。そのために真剣勝負で行動する。この両者を追求し、実現しゆくのが真の宗教です。
惑星の運行に譬えるならば、「一身の安堵」とは「自転」であり、「四表の静謐」とは「公転」に当たります。
自転と公転が運動して、大宇宙の調和の軌道が成り立っている。どちらか一方だけということはあり得ません。
大聖人御在世の当時、流行していた念仏をはじめとする諸宗は、ひたすら自己の救済のみを願うことを説いていた。しかし、仏教本来の”自己の救済”とは、自身の内面に崩れざる境地を確立することにほかならない。自身の生命の変革がなければ、本当の意味での救済も不可能だからです。