Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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唱題の大音 (第16回)

2009.6.4 「御書と師弟」

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1  御聖訓「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは大風の吹くが如くなり
2  師匠と不二”の祈りは無敵
 「私は今、御本尊に命が惜しいとは願いません。たとえ5分でも10分でも、生きている限り、広宣流布のために、ご奉公させていただきたいと願っているのです」
 恩師・戸田城聖先生は、晩年よく語られました。先生の題目は、広宣流布に全生命を注がれゆく深き強き一念の祈りです。
 先生と共に唱題させていただくたびに、勝利への生命力が全身に躍動してきました。
 「師弟共に唱うる」(御書748㌻)妙法の師子吼を、わが生命に轟かせながら、私は、あらゆる闘争に連戦連勝の栄光史を残してきました。師と心を合わせた「不二の祈り」は無敵であります。
 師弟一体の強盛な祈りに、十方(=全宇宙)の仏菩薩、諸天善神も感応する。広布の闘士を守りに護るのです。
 「御義口伝」には仰せです。
 「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは大風の吹くが如くなり
 題目は、わが生命を限りなく強くし、そして人々の生命をも変えゆく「大風」を起こしているのだ、との大宣言です。
 この御金言は、法華経見宝塔品第11の「譬えば大風の小樹の枝を吹くが如し」(法華経388㌻)の経文について、日蓮大聖人が講義なされた口伝です。
3  仏が放った光と風
 宝塔品では、有名な「虚空会の儀式」が展開されています。この説法では、仏が「光明」や「妙香」を放ち、光と風が、十方の国々まで、遍く広がりゆく様子が説かれています。
 この光明を浴び、妙香を受けた衆生は、心から感激し、堪えがたいほどの喜びに包まれます。あらゆる人々が、仏の大慈大悲の薫風によって蘇生していく様子を「大風が小さな枝を吹くようなものである」と譬えているのです。
 すなわち「大風」とは、民衆に随喜の心を呼び起こす、正法正義の威光勢力の表現にほかならない。大聖人は、南無妙法蓮華経の題目こそ、全民衆を歓喜と幸福で包む「大風」であると結論されているのです。
 大聖人は、この経文の「大風の如く」とは「題目の五字なり」、「小樹の枝を吹く」とは「折伏門なり」とも仰せです(御書742㌻)。
 朗々と題目を唱え、勇敢に仏法の正義を語り、厳然と邪義を破折する。そして友また友の生命に歓喜の旋風を巻き起こす。この唱題と折伏の「大風」を、日本中、世界中に広げてきたのが、わが創価の同志であります。
 私たちの唱える題目は、「生きる力」であり、「幸福になる源泉」です。「勝利していく原動力」なのです。題目の音律には、大宇宙のリズムに則って、自他共の生命を根底から変えゆく偉大な力用があります。
 法華経において、七宝に飾られた宝塔の出現から展開される虚空会の儀式は、十界のあらゆる衆生が歓喜踊躍し、成仏の道を歩む生命変革のドラマと言ってよい。
 経文を拝すると、この虚空会には、十界の衆生が一界も欠けることなく、すべての人々が虚空(=大空)に引き上げられていることが伺えます。

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