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法華経の兵法 (第9・10回)

2009.3.19 「御書と師弟」

前後
1  御聖訓「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし、「諸余怨敵・皆悉摧滅」の金言むなしかるべからず
2  一遍の題目にも偉大な功力が
 「広宣流布のために、いかなる戦いも断じて勝ち取れ! 何をおいても絶対に勝つのだ」
 戸田先生は常々、厳しく語られました。
 自身に勝ち、人生に勝ち、邪悪に勝って、幸福と正義の大道を歩む──そのための「勝利の哲学」が仏法です。戦いは、断じて勝たなくてはならない。負けるのは創価ではありません。
 昭和29年(1954年)の春3月30日、私は青年部の室長の任を拝しました。26歳。今のヤング男子部の皆さんと同じ年代です。
 広宣流布の一切の企画・立案・遂行を大胆に進め、全学会の勝利のスクリュー(推進力)として戦ったのです。
  民衆救済の「折伏戦」へ!
  誠実一路の「渉外戦」へ!
  破邪顕正の「攻防戦」へ!
 戸田先生より「青年部は、私の旗本である」と言っていただいた誉れに、わが命は燃えました。
 以来55年──。私は学会の発展と全同志の幸福のため、青年の心意気のまま、まっしぐらに戦い、「連戦連勝」の歴史を勝ち築いてまいりました。
 信心を根本にした絶対勝利の兵法──これが「法華経の兵法」です。一人も残らず全員が幸福・勝利の人生を!ここに法華経の結論があり、日蓮大聖人の願いがあられました。
 なかでも、四条金吾に送られた本抄は、短い御手紙ですが、「絶対勝利の信心」を深く御指南された重要な御書です。
 人生に勝ち、成功を収める最強の「兵法」とは何か。武士であった金吾の心に入る譬喩を用いられての御指導であります。
 ──武門を誇った平将門も、結局は敗れた。中国の樊《はんかい》、張良といった名将も、兵法だけでは力が及ばなかった。ただ心こそが大切なのである──。
 大聖人は、こうした史実を挙げられた後、「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」(御書1192)と結論されています。
 「法華経に勝る兵法なし」であります。ただ一遍の題目にも、いかに大きな力用が含まれていることか。いかなる広布の戦いも、「信心」こそが絶対勝利のための無敵の「兵法」である。まず、こう決めきることです。
3  不幸の悪因を催く
 この法華経の兵法で挑むならば、「諸余怨敵・皆悉摧滅」──もろもろの怨敵を、悉くくだき、滅した──との仏の金言が現実のものとなることは間違いないと断言なされています。
 この経文は、法華経薬王品第23の文です。あらゆる「怨敵」──一切の障魔を破ることができるという法華経の功力が示されている。
 怨敵とは、個人の生活・生命に即して言えば、病魔・死魔など、自分を不幸にする働きです。社会で言えば、妙法を持つ人を嫉み、迫害する三類の強敵にほかなりません。
 そうした悪因を、ことごとく摧き滅していく。そして生命の根底から悠々たる幸福・勝利の境涯を開いていけるのが、「法華経の兵法」すなわち信心である。

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