Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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仏の未来記 (第6回)

2009.2.5 「御書と師弟」

前後
1  御聖訓「仏記に順じて之をかんがうるに既に後五百歳の始に相当れり仏法必ず東土の日本より出づべきなり
2  二月は、御本仏・日蓮大聖人の御聖誕(十六日)の月です。そして、恩師・戸田城聖先生の生誕(十一日)の月です。ですから私と妻にとって、この二月は弟子としての「報恩」の月です。
 あの昭和二十七年(一九五二年)の二月闘争の時、私は蒲田支部の同志に呼びかけました。「この二月、見事な勝利の結果をもって、戸田先生の誕生の月をお祝いしようではありませんか!」と。
 わが故郷である東京・大田区の天地から、私は”師のために戦う”弟子の陣列を広げました。二月闘争の原動力は「報恩」の魂です。大きく壁を破った二百一世帯の折伏は、直弟子の謝徳の結晶なのです。
 さらに、昭和三十六年(一九六一年)、第三代会長に就任して最初の二月。私は仏教発祥の地・インドを初訪問しました。
3  アジアの民に日を
 それは師恩に報いゆく旅でした。
 「アジアの民に 日をぞ送らん」──私の胸には、東洋広布を願ってやまなかった恩師の遺影がありました。
 戸田先生の不二の分身として、大聖人の「仏法西還」の御予言を実現しゆく道を、決然と踏み出したのです。
 仏の未来記を現実に証明し、成就するのは誰か。「顕仏未来記」は、この根本を明かされた御書です。
 大聖人は、本抄の冒頭に「我が滅度の後・後の五百歳の中に閻浮提えんぶだいに広宣流布して断絶せしむること無けん」という法華経の経文を掲げられました。
 これは、末法の広宣流布を予言した釈尊の「未来記」(未来を予見し記したもの)です。この経文を現実のものとされたのが、大聖人であられます。
 インドから西域へ、中国へ、韓・朝鮮半島へ、日本ヘ──西から東へと、月氏の仏法は流伝してきました。それは、壮大な仏法東漸の歴史です。
 ところが、末法の日本に至って、完全に形骸化し、民衆救済の力を失ってしまった。
 いくら多くの経典が持ち込まれ、儀式が盛んでも、仏閣が甍を連ねても、真に民衆のために正義と慈悲の闘争を貫く師弟は現れなかった。
 実際、鎌倉時代の日本では念仏の哀音が広まり、民衆は深い厭世感・絶望感に沈んでいた。

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