Nichiren・Ikeda
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勝利の因果
(第4回)
2008.1.8 「御書と師弟」
前後
1 御聖訓「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」
2 仏法は未来を創る希望哲学
「青年・勝利の年」が、晴れ晴れと幕を開けました。
今月、晴れて「成人式」を迎える全国の若き友も、本当におめでとう!
今回も、「広布」と「人生」の偉大なる勝利のために、御金言を拝していきましょう。
「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」
日蓮大聖人は、「開目抄」でこの心地観経の文を引用されています。
この経文は、過去世・現在世・未来世の三世にわたる生命の因果律を説いています。現在の姿を見れば、過去世の因がわかる。また現在の姿を見れば、未来の果もわかるという意味です。
この経文そのものは、通途の因果を説いたものです。しかし、佐渡流罪の大難の中で記された「開目抄」では、この経文を通して、さらに深遠なる「妙法の因果」の理法を鋭く表されていると拝されます。
すなわち、過去世からの宿命は、今世で必ず転換できる。広宣流布のために、三類の強敵と勇敢に戦い抜く中で、いかなる宿業も断ち切ることができる。難を勝ち越えて、大果報の未来を開くことができる、と示されているのです。
大仏法に巡りあえた青春が、どれほど崇高か。仏意仏勅の創価学会と出あい、同志と共に使命の道を進める人生が、どれほど幸福か。「妙法の因果」に生ききることこそ、今世の最極の福徳となるのです。
3 戦後の闇の中から
この「妙法の因果」に照らせば、私たちは、不思議なる宿縁によって、広宣流布を願って生まれてきた一人一人であります。”戦い、勝つために生まれた”地涌の闘士なのです。
私が戸田城聖先生に初めてお会いしたのは、昭和二十二年八月十四日、十九歳の時でした。
敗戦後の深い闇の時代です。私は胸を患い、「三十歳までは生きられない」と言われた無名の一青年でした。その私が、恩師に見いだされ、人間革命の仏法を学び、広宣流布の使命を託されたことで、若き生命に元初の太陽が昇ったのです。
「この師についていこう。この師のためならば、命を懸けても悔いはない!」──こう青春の心を決定しました。
生命はいずこより来たり、いずこへ往かんとするのか──。
眼前の社会には、苦悩から苦悩へと、流転を続ける人間模様が渦巻いていました。私自身も、死と隣り合わせの病魔との戦いが続いていた。
その中で、心地観経の一節に、私は強く胸を揺さぶられたのです。「すごい哲学だ」と直感しました。