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日蓮大聖人・池田大作

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三世諸仏総勘文教相廃立  (17/18) 広く衆生を利益すること滞り有る可からず
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居と方便と実報の三土をば鏡に遷る像に譬う四土も一土なり三身も一仏なり今は此の三身と四土と和合して仏の一体の徳なるを寂光の仏と云う寂光の仏を以て円教の仏と為し円教の仏を以て寤の実仏と為す余の三土の仏は夢中の権仏なり、此れは三世の諸仏の只同じ語に勘文し給える総の教相なれば人の語も入らず会釈も有らず若し之に違わば三世の諸仏に背き奉る大罪の人なり天魔外道なり永く仏法に背くが故に之を秘蔵して他人には見せざれ若し秘蔵せずして妄りに之を披露せば仏法に証理無く二世に冥加無からん謗ずる人出来せば三世の諸仏に背くが故に二人乍ら倶に悪道に堕んと識るが故に之を誡むるなり、能く能く秘蔵して深く此の理を証し三世の諸仏の御本意に相い叶い二聖・二天・十羅刹の擁護を蒙むり滞り無く上上品の寂光の往生を遂げ須臾の間に九界生死の夢の中に還り来つて身を十方法界の国土に遍じ心を一切有情の身中に入れて内よりは勧発し外よりは引導し内外相応し因縁和合して自在神通の慈悲の力を施し広く衆生を利益すること滞り有る可からず

三世の諸仏は此れを一大事の因縁と思食して世間に出現し給えり一とは中道なり法華なり大とは空諦なり華厳なり事とは仮諦なり・阿含・方等・般若なり已上一代の総の三諦なり、之を悟り知る時仏果を成ずるが故に出世の本懐成仏の直道なり因とは一切衆生の身中に総の三諦有つて常住不変なり此れを総じて因と云うなり縁とは三因仏性は有りと雖も善知識の縁に値わざれば悟らず知らず顕れず善知識の縁に値えば必ず顕るるが故に縁と云うなり、然るに今此の一と大と事と因と縁との五事和合して値い難き善知識の縁に値いて五仏性を顕さんこと何の滞りか有らんや春の時来りて風雨の縁に値いぬれば無心の草木も皆悉く萠え出生して華敷き栄えて世に値う気色なり秋の時に至りて月光の縁に値いぬれば草木皆悉く実成熟して一切の有情を養育し寿命を続き長養し終に成仏の徳用を顕す之を疑い之を信ぜざる人有る可しや無心の草木すら猶以て是くの如し何に況や人倫に於てをや、我等は迷の凡夫なりと雖も一分の心も有り解も有り善悪も分別し折節を思知る然るに宿縁に催されて生を仏法流布の国土に受けたり善知識の縁に値


いなば因果を分別して成仏す可き身を以て善知識に値うと雖も猶草木にも劣つて身中の三因仏性を顕さずして黙止せる謂れ有る可きや、此の度必ず必ず生死の夢を覚まし本覚の寤に還つて生死の紲を切る可し今より已後は夢中の法門を心に懸く可からざるなり、三世の諸仏と一心と和合して妙法蓮華経を修行し障り無く開悟す可し自行と化他との二教の差別は鏡に懸けて陰り無し、三世の諸仏の勘文是くの如し秘す可し秘す可し。

 弘安二年己卯十月  日           日蓮 花押


諫暁八幡抄

夫れ馬は一歳二歳の時は設いつがいのびまろすねにすねほそくうでのびて候へども病あるべしとも見えず、而れども七八歳なんどになりて身もこへ血ふとく上かち下をくれ候へば小船に大石をつめるがごとく小き木に大なる菓のなれるがごとく多くのやまい出来して人の用にもあわず力もよわく寿もみじかし、天神等も又かくのごとし成劫の始には先生の果報いみじき衆生生れ来る上・人の悪も候はねば身の光もあざやかに心もいさぎよく日月のごとくあざやかに師子象のいさみをなして候いし程に成劫やうやくすぎて住劫になるままに前の天神等は年かさなりて下旬の月のごとし今生れ来れる天神は果報衰減し下劣の衆生多分は出来す、然る間一天に三災やうやくをこり四海に七難粗出現せしかば一切衆生始めて苦と楽とををもい知る。

此の時仏出現し給いて仏教と申す薬を天と人と神とにあたへ給いしかば燈に油をそへ老人に杖をあたへたるがごとく天神等還つて威光をまし勢力を増長せし事成劫のごとし仏教に又五味のあぢわひ分れたり在世の衆生は成劫ほどこそなかりしかども果報いたうをとろへぬ衆生なれば五味の中に何の味をもなめて威光勢力をもまし候き、仏滅度の後正像二千年過て末法になりぬれば本の天も神も阿修羅・大竜等も年もかさなりて身もつかれ心もよはくなり又今生れ来る天人・修羅等は或は小果報或は悪天人等なり、小乗・権大乗等の乳・酪・生蘇・熟蘇味を服すれども老人に麤食をあたへ高人に麦飯等を奉るがごとし、而るを当世此を弁えざる学人等古にならいて日本国の一切の諸神等の御前にして阿含経・方等・般若・華厳・大日経等を法楽し倶舎・成実・律・法相・三論・華厳・浄土・禅等の僧を護持の僧とし給える唯老人に麤食を与へ小児に強飯をくくめるがごとし、何に況や今の小乗経と小乗