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日蓮大聖人・池田大作

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上野殿御返事  (1/2) 今の日本国の小児は魄をうしなひ
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せたる不孝第一の人なり、波瑠璃王のごとく現身に無間大城におち・阿闍世王の如く即身に白癩病をも・つぎぬべかりしが、四十二年と申せしに法華経を説き給いて「是の人滅度の想を生じて涅槃に入ると雖も而も彼の土に於て仏の智慧を求めて是の経を聞くことを得ん」と、父母の御孝養のため法華経を説き給いしかば、宝浄世界の多宝仏も実の孝養の仏なりと・ほめ給い・十方の諸仏もあつまりて一切諸仏の中には孝養第一の仏なりと定め奉りき。

これをもつて案ずるに日本国の人は皆不孝の仁ぞかし、涅槃経の文に不孝の者は大地微塵よりも多しと説き給へり、されば天の日月・八万四千の星・各いかりをなし・眼をいからかして日本国をにらめ給ふ、今の陰陽師の天変・頻りなりと奏し申す是なり、地夭・日日に起りて大海の上に小船をうかべたるが如し、今の日本国の小児は魄をうしなひ・女人は血をはく是なり。

貴辺は日本国・第一の孝養の人なり・梵天・帝釈をり下りて左右の羽となり・四方の地神は足をいただいて父母とあをぎ給うらん、事多しと・いへども・とどめ候い畢んぬ、恐恐謹言。

  弘安三年三月八日                  日蓮花押

   進上 上野殿御返事

上野殿御返事

                    弘安三年七月二日 五十九歳御作

去ぬる六月十五日のけさん悦び入つて候、さては・かうぬし等が事いままでかかへをかせ給いて候事ありがたく・をぼへ候、ただし・ないないは法華経をあだませ給うにては候へども・うへには・たの事によせて事かづけ・にく


まるるかのゆへに・あつわらのものに事をよせて・かしこ・ここをもせかれ候こそ候いめれ、さればとて上に事をよせて・せかれ候はんに御もちゐ候はずは物をぼへぬ人に・ならせ給うべし・をかせ給いて・あしかりぬべきやうにて候わば・しばらく・かうぬし等をば・これへとをほせ候べし、めこなんどはそれに候とも・よも御たづねは候はじ、事のしづまるまで・それに・をかせ給いて候わば・よろしく候いなんと・をぼへ候。

よのなか上につけ下によせて・なげきこそををく候へ、よにある人人をば・よになき人人は・きじの・たかをみ・がきの毘沙門をたのしむがごとく候へども・たかはわしにつかまれ、びしやもんは・すらにせめらる、そのやうに当時・日本国のたのしき人人は蒙古国の事をききては・ひつじの虎の声を聞くがごとし、また筑紫へおもむきて・いとをしきめを・はなれ子をみぬは・皮をはぎ・肉をやぶるが・ごとくにこそ候らめ、いわうや・かの国より・おしよせなば蛇の口のかえる・はうちやうしがまないたに・をける・こゐふなのごとくこそおもはれ候らめ、今生はさてをきぬ・命きえなば一百三十六の地獄に堕ちて無量劫ふべし、我等は法華経をたのみまいらせて候へば・あさきふちに魚のすむが・天くもりて雨のふらんとするを魚のよろこぶが・ごとし。

しばらくの苦こそ候とも・ついには・たのしかるべし、国王一人の太子のごとし・いかでか位につかざらんと・おぼしめし候へ、恐恐謹言。

  弘安三年七月二日                  日蓮花押

   上野殿御返事

  人にしらせずして、ひそかにをほせ候べし。


上野殿御返事

女子は門をひらく・男子は家をつぐ・日本国を知つても子なくは誰にか・つがすべき、財を大千にみてても子なくば誰にかゆづるべき、されば外典三千余巻には子ある人を長者といふ、内典五千余巻には子なき人を貧人といふ、女子一人・男子一人・たとへば天には日月のごとく・地には東西にかたどれり、鳥の二つのはね・車の二つのわなり、さればこの男子をば日若御前と申させ給へ、くはしくは又又申すべし。

  弘安三年八月二十六日                日蓮花押

   上野殿御返事

南条殿御返事

はくまいひとふくろ・いも一だ給び了んぬ、抑故なんでうの七らうごらうどのの事、いままでは・ゆめかゆめか・まぼろしか・まぼろしかとうたがいて・そらごととのみをもひて候へば・此の御ふみにも・あそばされて候、さては、まことかまことかとはじめて・うたがいいできたりて候。