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日蓮大聖人・池田大作

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上野殿御返事  (3/4) 二十行の偈は日蓮一人よめり
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の意なり。

次に勧持品に八十万億那由佗の菩薩の異口同音の二十行の偈は日蓮一人よめり、誰か出でて日本国・唐土・天竺・三国にして仏の滅後によみたる人やある、又我よみたりと・なのるべき人なし・又あるべしとも覚へず、及加刀杖の刀杖の二字の中に・もし杖の字にあう人はあるべし・刀の字にあひたる人をきかず、不軽菩薩は杖木・瓦石と見えたれば杖の字にあひぬ刀の難はきかず、天台・妙楽・伝教等は刀杖不加と見えたれば是又かけたり、日蓮は刀杖の二字ともに・あひぬ、剰へ刀の難は前に申すがごとく東条の松原と竜口となり、一度も・あう人なきなり日蓮は二度あひぬ、杖の難にはすでにせうばうにつらをうたれしかども第五の巻をもつてうつ、うつ杖も第五の巻うたるべしと云う経文も五の巻・不思議なる未来記の経文なり、されば・せうばうに日蓮数十人の中にしてうたれし時の心中には・法華経の故とはをもへども・いまだ凡夫なればうたてかりける間・つえをも・うばひ・ちからあるならば・ふみをりすつべきことぞかし、然れども・つえは法華経の五の巻にてまします。

いま・をもひ・いでたる事あり、子を思ふ故にや・をやつぎの木の弓をもつて学文せざりし子にをしへたり、然る間・此の子うたてかりしは父・にくかりしは・つぎの木の弓、されども終には修学増進して自身得脱をきわめ・又人を利益する身となり、立ち還つて見れば・つぎの木をもつて我をうちし故なり、此の子そとばに此の木をつくり父の供養のためにたててむけりと見へたり、日蓮も又かくの如くあるべきか、日蓮仏果をえむに争かせうばうが恩をすつべきや、何に況や法華経の御恩の杖をや、かくの如く思ひつづけ候へば感涙をさへがたし。

又涌出品は日蓮がためには・すこしよしみある品なり、其の故は上行菩薩等の末法に出現して南無妙法蓮華経の五字を弘むべしと見へたり、しかるに先日蓮一人出来す六万恒沙の菩薩より・さだめて忠賞をかほるべしと思へば・たのもしき事なり、とにかくに法華経に身をまかせ信ぜさせ給へ、殿一人にかぎるべからず・信心をすすめ


給いて過去の父母等をすくわせ給へ。

日蓮生れし時より・いまに一日片時も・こころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり、相かまへて相かまへて自他の生死はしらねども御臨終のきざみ生死の中間に日蓮かならず・むかいにまいり候べし、三世の諸仏の成道はねうしのをわり・とらのきざみの成道なり、仏法の住処・鬼門の方に三国ともにたつなり此等は相承の法門なるべし委くは又申すべく候、恐恐謹言。かつへて食をねがひ・渇して水をしたうがごとく・恋いて人を見たきがごとく・病にくすりをたのむがごとく、みめかたちよき人・べにしろいものをつくるがごとく・法華経には信心をいたさせ給へ、さなくしては後悔あるべし、云云。

  弘安二年己卯卯月二十日               日蓮花押

   上野殿御返事


上野殿御返事

                    弘安二年 五十八歳御作

鵞目一貫・しほ一たわら・蹲鴟一俵・はじかみ少少・使者をもつて送り給び畢んぬ、あつきには水を財とす・さむきには火を財とす・けかちには米を財とす、いくさには兵杖を財とす・海には船を財とす・山には馬をたからとす・武蔵下総に石を財とす、此の山中には・いえのいも・海のしほを財とし候ぞ、竹の子・木の子等候へども・しほなければそのあぢわひつちのごとし、又金と申すもの国王も財とし民も財とす、たとへば米のごとし・一切衆生のいのちなり。

ぜに又かくのごとし、漢土に銅山と申す山あり・彼の山よりいでて候ぜになれば・一文もみな三千里の海をわたりて来るものなり、万人皆たまとおもへり、此れを法華経にまいらせさせ給う、釈まなんと申せし人のたな心には石変じて珠となる・金ぞく王は沙を金となせり、法華経は草木を仏となし給う・いわうや心あらん人をや、法華経は焼種の二乗を仏となし給う・いわうや生種の人をや、法華経は一闡提を仏となし給う・いわうや信ずるものをや、事事つくしがたく候、又又申すべし、恐恐謹言。

  八月八日                      日蓮花押

   上野殿御返事