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日蓮大聖人・池田大作

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開目抄下  (20/28) 六巻の般泥洹経に云く「究竟の処を見ずとは彼…
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て八邪と為し六入を用いて六通と為し四大を以つて四諦と為す、此くの如く経を解するは偽の中の偽なり何ぞ浅くして論ず可けんや」等云云、止観の七に云く「昔鄴洛の禅師名河海に播き住するときは四方雲の如くに仰ぎ去るときは阡陌群を成し隠隠轟轟亦何の利益か有る、臨終に皆悔ゆ」等云云、弘の七に云く「鄴洛の禅師とは鄴は相州に在り即ち斉魏の都する所なり、大に仏法を興す禅祖の一・其の地を王化す、時人の意を護りて其の名を出さず洛は即ち洛陽なり」等云云、六巻の般泥洹経に云く「究竟の処を見ずとは彼の一闡提の輩の究竟の悪業を見ざるなり」等云云、妙楽云く「第三最も甚だし転識り難きが故に」等、無眼の者・一眼の者・邪見の者は末法の始の三類を見るべからず一分の仏眼を得るもの此れをしるべし、向国王大臣婆羅門居士等云云、東春に云く「公処に向い法を毀り人を謗ず」等云云、夫れ昔像法の末には護命・修円等・奏状をささげて伝教大師を讒奏す、今末法の始には良観・念阿等偽書を注して将軍家にささぐ・あに三類の怨敵にあらずや

当世の念仏者等・天台法華宗の檀那の国王・大臣・婆羅門・居士等に向つて云く「法華経は理深我等は解微法は至つて深く機は至つて浅し」等と申しうとむるは高推聖境・非己智分の者にあらずや、禅宗の云く「法華経は月をさす指・禅宗は月なり月をえて指なにかせん、禅は仏の心・法華経は仏の言なり仏・法華経等の一切経をとかせ給いて後・最後に一ふさの華をもつて迦葉一人にさづく、其のしるしに仏の御袈裟を迦葉に付属し乃至付法蔵の二十八・六祖までに伝う」等云云、此等の大妄語・国中を誑酔せしめてとしひさし、又天台・真言の高僧等・名は其の家にえたれども我が宗にくらし、貪欲は深く公家・武家を・をそれて此の義を証伏し讃歎す、昔の多宝・分身の諸仏は法華経の令法久住を証明す、今天台宗の碩徳は理深解微を証伏せり、かるがゆへに日本国に但法華経の名のみあつて得道の人一人もなし、誰をか法華経の行者とせん、寺塔を焼いて流罪せらるる僧侶は・かずをしらず、公家・武家に諛うて・にくまるる高僧これ多し、此等を法華経の行者というべきか。


仏語むなしからざれば三類の怨敵すでに国中に充満せり、金言のやぶるべきかのゆへに法華経の行者なし・いかがせん・いかがせん、抑たれやの人か衆俗に悪口罵詈せらるる誰の僧か刀杖を加へらるる、誰の僧をか法華経のゆへに公家・武家に奏する・誰の僧か数数見擯出と度度ながさるる、日蓮より外に日本国に取り出さんとするに人なし、日蓮は法華経の行者にあらず天これを・すて給うゆへに、誰をか当世の法華経の行者として仏語を実語とせん、仏と提婆とは身と影とのごとし生生にはなれず聖徳太子と守屋とは蓮華の花菓・同時なるがごとし、法華経の行者あらば必ず三類の怨敵あるべし、三類はすでにあり法華経の行者は誰なるらむ、求めて師とすべし一眼の亀の浮木に値うなるべし。

有る人云く当世の三類はほぼ有るににたり、但し法華経の行者なし汝を法華経の行者といはんとすれば大なる相違あり、此の経に云く「天の諸の童子以て給使を為さん、刀杖も加えず、毒も害すること能わざらん」又云く「若し人悪罵すれば口則閉塞す」等、又云く「現世には安穏にして後・善処に生れん」等云云、又「頭破れて七分と作ること阿梨樹の枝の如くならん」又云く「亦現世に於て其の福報を得ん」等又云く「若し復是の経典を受持する者を見て其の過悪を出せば若しは実にもあれ若しは不実にもあれ此の人現世に白癩の病を得ん」等云云、答えて云く汝が疑い大に吉しついでに不審を晴さん、不軽品に云く「悪口罵詈」等、又云く「或は杖木瓦石を以て之を打擲す」等云云、涅槃経に云く「若しは殺若しは害」等云云、法華経に云く「而かも此の経は如来の現在すら猶怨嫉多し」等云云、仏は小指を提婆にやぶられ九横の大難に値い給う此は法華経の行者にあらずや、不軽菩薩は一乗の行者といはれまじきか、目連は竹杖に殺さる法華経記莂の後なり、付法蔵の第十四の提婆菩薩・第二十五の師子尊者の二人は人に殺されぬ、此等は法華経の行者にはあらざるか、竺の道生は蘇山に流されぬ法道は火印を面にやいて江南にうつさる・此等は一乗の持者にあらざるか、外典の者なりしかども白居易北野の天神は


遠流せらる賢人にあらざるか、事の心を案ずるに前生に法華経・誹謗の罪なきもの今生に法華経を行ずこれを世間の失によせ或は罪なきをあだすれば忽に現罰あるか・修羅が帝釈をいる金翅鳥の阿耨池に入る等必ず返つて一時に損するがごとし、天台云く「今我が疾苦は皆過去に由る今生の修福は報・将来に在り」等云云、心地観経に曰く「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」等云云、不軽品に云く「其の罪畢已」等云云、不軽菩薩は過去に法華経を謗じ給う罪・身に有るゆへに瓦石をかほるとみへたり、又順次生に必ず地獄に堕つべき者は重罪を造るとも現罰なし一闡提人これなり、涅槃経に云く「迦葉菩薩仏に白して言く世尊・仏の所説の如く大涅槃の光一切衆生の毛孔に入る」等云云、又云く「迦葉菩薩仏に白して言く世尊云何んぞ未だ菩提の心を発さざる者・菩提の因を得ん」等云云、仏・此の問を答えて云く「仏迦葉に告わく若し是の大涅槃経を聞くこと有つて我菩提心を発すことを用いずと言つて正法を誹謗せん、是の人即時に夜夢の中に羅刹の像を見て心中怖畏す羅刹語つて言く咄し善男子汝今若し菩提心を発さずんば当に汝が命を断つべし是の人惶怖し寤め已つて即ち菩提の心を発す当に是の人是れ大菩薩なりと知るべし」等云云、いたうの大悪人ならざる者が正法を誹謗すれば即時に夢みて・ひるがへる心生ず、又云く「枯木・石山」等、又云く「燋種甘雨に遇うと雖も」等・又「明珠淤泥」等、又云く「人の手に創あるに毒薬を捉るが如し」等、又云く「大雨空に住せず」等云云、此等多くの譬あり、詮ずるところ上品の一闡提人になりぬれば順次生に必ず無間獄に堕つべきゆへに現罰なし例せば夏の桀・殷の紂の世には天変なし重科有て必ず世ほろぶべきゆへか、又守護神此国をすつるゆへに現罰なきか謗法の世をば守護神すて去り諸天まほるべからずかるがゆへに正法を行ずるものにしるしなし還つて大難に値うべし金光明経に云く「善業を修する者は日日に衰減す」等云云、悪国・悪時これなり具さには立正安国論にかんがへたるがごとし。