Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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報恩抄  (5/37) 小失なくとも大難に度度値う人をこそ滅後の法…
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敵たらざるべき、若し又恐をなして指し申さずは一切経の勝劣むなしかるべし、又此人人を恐れて末の人人を仏敵といはんとすれば彼の宗宗の末の人人の云く法華経に大日経をまさりたりと申すは我れ私の計にはあらず祖師の御義なり・戒行の持破・智慧の勝劣・身の上下はありとも所学の法門はたがふ事なしと申せば彼人人にとがなし、又日蓮此れを知りながら人人を恐れて申さずは寧喪身命不匿教者の仏陀の諫暁を用いぬ者となりぬ、いかんがせん・いはんとすれば世間をそろし止とすれば仏の諫暁のがれがたし進退此に谷り、むべなるかなや、法華経の文に云く「而かも此経は如来の現在にすら猶怨嫉多し況んや滅度の後をや」又云く一切世間怨多くして信じ難し等云云、釈迦仏を摩耶夫人はらませ給いたりければ第六天の魔王・摩耶夫人の御腹をとをし見て我等が大怨敵・法華経と申す利剣をはらみたり事の成ぜぬ先に・いかにしてか失うべき、第六天の魔王大医と変じて浄飯王宮に入り御産安穏の良薬を持候大医ありとののしりて毒を后にまいらせつ、初生の時は石をふらし乳に毒をまじへ城を出でさせ給いしには黒き毒蛇と変じて道にふさがり乃至提婆・瞿伽利・波瑠璃王・阿闍世王等の悪人の身に入りて或は大石をなげて仏の御身より血をいだし或は釈子をころし或は御弟子等を殺す、此等の大難は皆遠くは法華経を仏世尊に説かせまいらせじとたばかりし如来現在・猶多怨嫉の大難ぞかし、此等は遠き難なり近き難には舎利弗・目連・諸大菩薩等も四十余年が間は法華経の大怨敵の内ぞかし、況滅度後と申して未来の世には又此の大難よりも・すぐれてをそろしき大難あるべしと・とかれて候、仏だにも忍びがたかりける大難をば凡夫はいかでか忍ぶべきいわうや在世より大なる大難にて・あるべかんなり、いかなる大難か提婆が長三丈広一丈六尺の大石阿闍世王の酔象にはすぐべきとはおもへども彼にもすぐるべく候なれば小失なくとも大難に度度値う人をこそ滅後の法華経の行者とはしり候はめ、付法蔵の人人は四依の菩薩・仏の御使なり提婆菩薩は外道に殺され師子尊者は檀弥羅王に頭を刎ねられ仏陀密多・竜樹菩薩等は赤幡を七年十二年さしとをす馬鳴菩薩は金銭三億がかわりとな


り如意論師はおもひじにに死す。

此れ等は正法・一千年の内なり、像法に入つて五百年・仏滅後・一千五百年と申せし時漢土に一人の智人あり始は智顗・後には智者大師とがうす、法華経の義をありのままに弘通せんと思い給しに天台已前の百千万の智者しなじなに一代を判ぜしかども詮して十流となりぬ所謂南三北七なり十流ありしかども一流をもて最とせり、所謂南三の中の第三の光宅寺の法雲法師これなり、此の人は一代の仏教を五にわかつ其の五の中に三経をえらびいだす、所謂華厳経・涅槃経・法華経なり一切経の中には華厳経第一・大王のごとし涅槃経第二・摂政関白のごとし第三法華経は公卿等のごとし此れより已下は万民のごとし、此の人は本より智慧かしこき上慧観・慧厳・僧柔・慧次なんど申せし大智者より習ひ伝え給るのみならず南北の諸師の義をせめやぶり山林にまじわりて法華経・涅槃経・華厳経の功をつもりし上梁の武帝召し出して内裏の内に寺を立て光宅寺となづけて此の法師をあがめ給う、法華経をかうぜしかば天より花ふること在世のごとし、天鑒五年に大旱魃ありしかば此の法雲法師を請じ奉りて法華経を講ぜさせまいらせしに薬草喩品の其雨普等・四方倶下と申す二句を講ぜさせ給いし時・天より甘雨下たりしかば天子御感のあまりに現に僧正になしまいらせて諸天の帝釈につかえ万民の国王ををそるるがごとく我とつかへ給いし上或人夢く此人は過去の灯明仏の時より法華経をかうぜる人なり、法華経の疏四巻あり此の疏に云く「此経未だ碩然ならず」亦云く「異の方便」等云云、正く法華経はいまだ仏理をきわめざる経と書かれて候、此の人の御義・仏意に相ひ叶ひ給いければこそ天より花も下り雨もふり候けらめ、かかるいみじき事にて候しかば漢土の人人さては法華経は華厳経・涅槃経には劣にてこそあるなれと思いし上新羅・百済・高麗・日本まで此の疏ひろまりて大体一同の義にて候しに法雲法師・御死去ありていくばくならざるに梁の末・陳の始に智顗法師と申す小僧出来せり、南岳大師と申せし人の御弟子なりしかども師の義も不審にありけるかのゆへに一切経蔵に入つて度度御らん


ありしに華厳経・涅槃経・法華経の三経に詮じいだし此の三経の中に殊に華厳経を講じ給いき、別して礼文を造りて日日に功をなし給いしかば世間の人おもわく此人も華厳経を第一とおぼすかと見えしほどに法雲法師が一切経の中に華厳第一・涅槃第二・法華第三と立てたるがあまりに不審なりける故に・ことに華厳経を御らんありけるなり、かくて一切経の中に法華第一・涅槃第二・華厳第三と見定めさせ給いてなげき給うやうは如来の聖教は漢土にわたれども人を利益することなしかへりて一切衆生を悪道に導びくこと人師の悞によれり、例せば国の長とある人・東を西といゐ天を地といゐいだしぬれば万民は・かくのごとくに心うべし、後にいやしき者出来して汝等が西は東・汝等が天は地なりといはば・もちうることなき上我が長の心に叶わんがために今の人を・のりうちなんどすべしいかんがせんとは・おぼせしかども・さてもだすべきにあらねば光宅寺の法雲法師は謗法によつて地獄に堕ちぬとののしられ給う、其の時・南北の諸師はちのごとく蜂起しからすのごとく烏合せり、智顗法師をば頭をわるべきか国ををうべきかなんど申せし程に陳主此れを・きこしめして南北の数人に召し合せて我と列座してきかせ給いき、法雲法師が弟子等の慧栄・法歳・慧曠・慧暅なんど申せし僧正・僧都・已上の人人・百余人なり各各・悪口を先とし眉をあげ眼をいからし手をあげ柏子をたたく、而れども智顗法師は末座に坐して色を変ぜず言を悞らず威儀しづかにして諸僧の言を一一に牒をとり言ごとに・せめかえす、をしかへして難じて云く抑も法雲法師の御義に第一華厳・第二涅槃・第三法華と立させ給いける証文は何れの経ぞ慥かに明かなる証文を出ださせ給えとせめしかば各各頭をうつぶせ色を失いて一言の返事なし。

重ねてせめて云く無量義経に正しく次説方等十二部経・摩訶般若・華厳海空等云云、仏我と華厳経の名をよびあげて無量義経に対して未顕真実と打ち消し給う法華経に劣りて候・無量義経に華厳経はせめられて候ぬいかに心えさせ給いて華厳経をば一代第一とは候けるぞ各各・御師の御かたうどせんとをぼさば此の経文をやぶりて此れ