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日蓮大聖人・池田大作

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立正安国論  (9/16) 又阮藉が逸才なりしに蓬頭散帯す後に公卿の子…
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つて後を捨つ未だ仏教の淵底を探らざる者なり、就中法然は其の流を酌むと雖も其の源を知らず、所以は何ん大乗経の六百三十七部二千八百八十三巻・並びに一切の諸仏菩薩及び諸の世天等を以て捨閉閣抛の字を置いて一切衆生の心を薄んず、是れ偏に私曲の詞を展べて全く仏経の説を見ず、妄語の至り悪口の科言うても比無し責めても余り有り人皆其の妄語を信じ悉く彼の選択を貴ぶ、故に浄土の三経を崇めて衆経を抛ち極楽の一仏を仰いで諸仏を忘る、誠に是れ諸仏諸経の怨敵聖僧衆人の讎敵なり、此の邪教広く八荒に弘まり周く十方に遍す、抑近年の災難を以て往代を難ずるの由強ちに之を恐る、聊か先例を引いて汝が迷を悟す可し、止観第二に史記を引いて云く「周の末に被髪・袒身・礼度に依らざる者有り」弘決の第二に此の文を釈するに左伝を引いて曰く「初め平王の東に遷りしに伊川に髪を被にする者の野に於て祭るを見る、識者の曰く、百年に及ばじ其の礼先ず亡びぬ」と、爰に知んぬ徴前に顕れ災い後に致ることを、又阮藉が逸才なりしに蓬頭散帯す後に公卿の子孫皆之に教いて奴苟相辱しむる者を方に自然に達すと云い撙節兢持する者を呼んで田舎と為す是を司馬氏の滅する相と為す已上

又慈覚大師の入唐巡礼記を案ずるに云く、「唐の武宗皇帝・会昌元年勅して章敬寺の鏡霜法師をして諸寺に於て弥陀念仏の教を伝え令む寺毎に三日巡輪すること絶えず、同二年回鶻国の軍兵等唐の堺を侵す、同三年河北の節度使忽ち乱を起す、其の後大蕃国更た命を拒み回鶻国重ねて地を奪う、凡そ兵乱秦項の代に同じく災火邑里の際に起る、何に況んや武宗大に仏法を破し多く寺塔を滅す乱を撥ること能わずして遂に以て事有り」已上取意

此れを以て之を惟うに法然は後鳥羽院の御宇・建仁年中の者なり、彼の院の御事既に眼前に在り、然れば則ち大唐に例を残し吾が朝に証を顕す、汝疑うこと莫かれ汝怪むこと莫かれ唯須く凶を捨てて善に帰し源を塞ぎ根を截べし。


客聊か和ぎて曰く未だ淵底を究めざるに数ば其の趣を知る但し華洛より柳営に至るまで釈門に枢楗在り仏家に棟梁在り、然るに未だ勘状を進らせず上奏に及ばず汝賤身を以て輙く莠言を吐く其の義余り有り其の理謂れ無し。

主人の曰く、予少量為りと雖も忝くも大乗を学す蒼蠅驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ、弟子一仏の子と生れて諸経の王に事う、何ぞ仏法の衰微を見て心情の哀惜を起さざらんや。

其の上涅槃経に云く「若し善比丘あつて法を壊ぶる者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり、若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子・真の声聞なり」と、余・善比丘の身為らずと雖も「仏法中怨」の責を遁れんが為に唯大綱を撮つて粗一端を示す。

其の上去る元仁年中に延暦興福の両寺より度度奏聞を経・勅宣・御教書を申し下して、法然の選択の印板を大講堂に取り上げ三世の仏恩を報ぜんが為に之を焼失せしむ、法然の墓所に於ては感神院の犬神人に仰せ付けて破却せしむ其の門弟・隆観・聖光・成覚・薩生等は遠国に配流せらる、其の後未だ御勘気を許されず豈未だ勘状を進らせずと云わんや。

客則ち和ぎて曰く、経を下し僧を謗ずること一人には論じ難し、然れども大乗経六百三十七部二千八百八十三巻並びに一切の諸仏菩薩及び諸の世天等を以て捨閉閣抛の四字に載す其の詞勿論なり、其の文顕然なり、此の瑕瑾を守つて其の誹謗を成せども迷うて言うか覚りて語るか、賢愚弁ぜず是非定め難し、但し災難の起りは選択に因るの由、其の詞を盛に弥よ其の旨を談ず、所詮天下泰平国土安穏は君臣の楽う所土民の思う所なり、夫れ国は法に依つて昌え法は人に因つて貴し国亡び人滅せば仏を誰か崇む可き法を誰か信ず可きや、先ず国家を祈りて須く仏法を立つべし若し災を消し難を止むるの術有らば聞かんと欲す。


主人の曰く、余は是れ頑愚にして敢て賢を存せず唯経文に就いて聊か所存を述べん、抑も治術の旨内外の間其の文幾多ぞや具に挙ぐ可きこと難し、但し仏道に入つて数ば愚案を廻すに謗法の人を禁めて正道の侶を重んぜば国中安穏にして天下泰平ならん。

即ち涅槃経に云く「仏の言く唯だ一人を除いて余の一切に施さば皆讃歎す可し、純陀問うて言く云何なるをか名けて唯除一人と為す、仏の言く此の経の中に説く所の如きは破戒なり、純陀復た言く、我今未だ解せず唯願くば之を説きたまえ、仏純陀に語つて言く、破戒とは謂く一闡提なり其の余の在所一切に布施すれば皆讃歎すべく大果報を獲ん、純陀復た問いたてまつる、一闡提とは其の義何ん、仏言わく、純陀若し比丘及び比丘尼・優婆塞・優婆夷有つて麤悪の言を発し正法を誹謗し是の重業を造つて永く改悔せず心に懺悔無らん、是くの如き等の人を名けて一闡提の道に趣向すと為す、若し四重を犯し五逆罪を作り自ら定めて是くの如き重事を犯すと知れども而も心に初めより怖畏懺悔無く肯て発露せず彼の正法に於て永く護惜建立の心無く毀呰・軽賤して言に過咎多からん、是くの如き等の人を亦た一闡提の道に趣向すと名く、唯此くの如き一闡提の輩を除いて其の余に施さば一切讃歎せん」と。

又云く「我れ往昔を念うに閻浮提に於て大国の王と作れり名を仙予と曰いき、大乗経典を愛念し敬重し其の心純善に麤悪嫉恡有ること無し、善男子我爾の時に於て心に大乗を重んず婆羅門の方等を誹謗するを聞き聞き已つて即時に其の命根を断ず、善男子是の因縁を以て是より已来地獄に堕せず」と、又云く「如来昔国王と為りて菩薩の道を行ぜし時爾所の婆羅門の命を断絶す」と、又云く「殺に三有り謂く下中上なり、下とは蟻子乃至一切の畜生なり唯だ菩薩の示現生の者を除く、下殺の因縁を以て地獄・畜生・餓鬼に堕して具に下の苦を受く、何を以ての故に是の諸の畜生に微善根有り是の故に殺す者は具に罪報を受く、中殺とは凡夫の人より阿那含に至るまで是