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日蓮大聖人・池田大作

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妙法比丘尼御返事  (1/13) たとひ何なる賢人聖人も人に生るるならひは皆…
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妙法比丘尼御返事

御文に云くたふかたびら一つあによめにて候女房のつたうと云云、又おはりの次郎兵衛殿六月二十二日に死なせ給うと云云。

付法蔵経と申す経は仏我が滅後に我が法を弘むべきやうを説かせ給いて候、其の中に我が滅後正法一千年が間次第に使をつかはすべし、第一は迦葉尊者二十年・第二は阿難尊者二十年・第三は商那和修二十年・乃至第二十三は師子尊者なりと云云、其の第三の商那和修と申す人の御事を仏の説かせ給いて候やうは、商那和修と申すは衣の名なり、此の人生れし時衣をきて生れて候いき不思議なりし事なり、六道の中に地獄道より人道に至るまでは何なる人も始はあかはだかにて候に天道こそ衣をきて生れ候へ、たとひ何なる賢人聖人も人に生るるならひは皆あかはだかなり、一生補処の菩薩すら尚はだかにて生れ給へり何かに況や其の外をや、然るに此の人は商那衣と申すいみじき衣にまとはれて生れさせ給いしが、此の衣は血もつかずけがるる事もなし、譬えば池に蓮のをひをしの羽の水にぬれざるが如し、此の人次第に生長ありしかば又此の衣次第に広く長くなる、冬はあつく夏はうすく春は青く秋は白くなり候し程に・長者にて・をはせしかば何事もともしからず、後には仏の記しをき給いし事たがふ事なし、故に阿難尊者の御弟子とならせ給いて御出家ありしかば此の衣変じて五条・七条・九条等の御袈裟となり候き、かかる不思議の候し故を仏の説かせ給いしやうは・乃往過去・阿僧祗劫の当初・此の人は商人にて有りしが、五百人の商人と共に大海に船を浮べてあきなひをせし程に海辺に重病の者あり、しかれども辟支仏と申して貴人なり、先業にてや有りけん、病にかかりて身やつれ心をぼれ不浄にまとはれてをはせしを、此の商人あは


れみ奉りて・ねんごろに看病して生しまいらせ、不浄をすすぎ・すてて麤布の商那衣をきせまいらせてありしかば、此聖人悦びて願して云く汝我を助けて身の恥を隠せり此の衣を今生後生の衣とせんとて・やがて涅槃に入り給いき、此の功徳によりて過去・無量劫の間・人中天上に生れ生るる度ごとに、此の衣・身に随いて離るる事なし、乃至今生に釈迦如来の滅後第三の付嘱をうけて商那和修と申す聖人となり、摩突羅国の優留荼山と申す山に大伽藍を立てて無量の衆生を教化して仏法を弘通し給いし事二十年なり、所詮商那和修比丘の一切のたのしみ不思議は皆彼の衣より出生せりとこそ説かれて候へ。

而るに日蓮は南閻浮提日本国と申す国の者なり、此の国は仏の世に出でさせ給いし国よりは東に当りて二十万余里の外遙なる海中の小島なり、而るに仏・御入滅ありては既に二千二百二十七年なり、月氏・漢土の人の此の国の人人を見候へば此の国の人の伊豆の大島・奥州の東のえぞなんどを見るやうにこそ候らめ、而るに日蓮は日本国安房の国と申す国に生れて候しが、民の家より出でて頭をそり袈裟をきたり、此の度いかにもして仏種をもうへ生死を離るる身とならんと思いて候し程に、皆人の願わせ給う事なれば阿弥陀仏をたのみ奉り幼少より名号を唱え候し程に、いささかの事ありて、此の事を疑いし故に一の願をおこす、日本国に渡れる処の仏経並に菩薩の論と人師の釈を習い見候はばや、又倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗・華厳宗・真言宗・法華天台宗と申す宗どもあまた有りときく上に、禅宗・浄土宗と申す宗も候なり、此等の宗宗・枝葉をばこまかに習はずとも所詮肝要を知る身とならばやと思いし故に、随分に・はしりまはり十二・十六の年より三十二に至るまで二十余年が間、鎌倉・京・叡山・園城寺・高野・天王寺等の国国・寺寺あらあら習い回り候し程に・一の不思議あり、我れ等が・はかなき心に推するに仏法は唯一味なるべし、いづれもいづれも・心に入れて習ひ願はば生死を離るべしとこそ思いて候に、仏法の中に入りて悪しく習い候ぬれば謗法と申す大なる穴に堕ち入つて、十悪五逆と申して日日・夜夜に


殺生・偸盗・邪婬・妄語等をおかす人よりも・五逆罪と申して父母等を殺す悪人よりも、比丘・比丘尼となりて身には二百五十戒をかたく持ち心には八万法蔵をうかべて候やうなる、智者聖人の一生が間に一悪をもつくらず人には仏のやうにをもはれ、我が身も又さながらに悪道にはよも堕ちじと思う程に、十悪・五逆の罪人よりも・つよく地獄に堕ちて阿鼻大城を栖として永く地獄をいでぬ事の候けるぞ、譬えば人ありて世にあらんがために国主につかへ奉る程に、させるあやまちはなけれども我心のたらぬ上身にあやしきふるまひかさなるを、猶我身にも失ありともしらず又傍輩も不思議ともをもはざるに后等の御事によりてあやまつ事はなけれども自然にふるまひあしく王なんどに不思議に見へまいらせぬれば、謀反の者よりも其の失重し、此の身とがにかかりぬれば父母・兄弟・所従なんども又かるからざる失にをこなはるる事あり。

謗法と申す罪をば我れもしらず人も失とも思はず・但仏法をならへば貴しとのみ思いて候程に・此の人も又此の人にしたがふ弟子檀那等も無間地獄に堕つる事あり、所謂勝意比丘・苦岸比丘なんど申せし僧は二百五十戒をかたく持ち三千の威儀を一もかけずありし人なれども、無間大城に堕ちて出づる期見へず、又彼の比丘に近づきて弟子となり檀那となる人人・存の外に大地微塵の数よりも多く地獄に堕ちて師と・ともに苦を受けしぞかし、此の人後世のために衆善を修せしより外は又心なかりしかども・かかる不祥にあひて候しぞかし。

かかる事を見候しゆへに・あらあら経論を勘へ候へば、日本国の当世こそ其に似て候へ、代末になり候へば世間のまつり事のあらきにつけても世の中あやうかるべき上、此の日本国は他国にもにず仏法弘まりて国をさまるべきかと思いて候へば、中中・仏法弘まりて世もいたく衰へ人も多く悪道に堕つべしと見へて候、其の故は日本国は月氏・漢土よりも堂塔等の多き中に大体は阿弥陀堂なり、其の上家ごとに阿弥陀仏を木像に造り画像に書き人毎に六万八万等の念仏を申す、又他方を抛うちて西方を願う愚者の眼にも貴しと見え候上、一切の智人も皆い