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日蓮大聖人・池田大作

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善無畏抄  (4/5) 世間の法には下剋上・背上向下は国土亡乱の因…
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可し。

嘉祥寺の吉蔵大師は三論宗の元祖・或時は一代聖教を五時に分け或時は二蔵と判ぜり、然りと雖も竜樹菩薩の造の百論・中論・十二門論・大論を尊んで般若経を依憑と定め給い、天台大師を辺執して過ぎ給いし程に智者大師の梵網等の疏を見て少し心とけやうやう近づきて法門を聴聞せし程に結句は一百余人の弟子を捨て般若経並びに法華経をも講ぜず七年に至つて天台大師に仕えさせ給いき、高僧伝には「衆を散じ身を肉橋と成す」と書かれたり、天台大師高坐に登り給えば寄りて肩を足に備え路を行き給えば負奉り給うて堀を越え給いき、吉蔵大師程の人だにも謗法を恐れてかくこそ仕え給いしか、然るを真言三論法相等の宗宗の人人今・末末に成りて辺執せさせ給うは自業自得果なるべし。

今の世に浄土宗禅宗なんど申す宗宗は天台宗にをとされし真言華厳等に及ぶ可からず、依経既に楞伽経観経等なり此等の経経は仏の出世の本意にも非ず一時一会の小経なり一代聖教を判ずるに及ばず、而も彼の経経を依経として一代の聖教を聖道浄土・難行易行・雑行正行に分ち教外別伝なむど・ののしる、譬えば民が王をしえたげ小河の大海を納むるが如し、かかる謗法の人師どもを信じて後生を願う人人は無間地獄脱る可きや、然れば当世の愚者は仏には釈迦牟尼仏を本尊と定めぬれば自然に不孝の罪脱がれ法華経を信じぬれば不慮に謗法の科を脱れたり。

其の上女人は五障三従と申して世間出世に嫌われ一代の聖教に捨てられ畢んぬ、唯法華経計りにこそ竜女が仏に成り諸の尼の記莂は・さづけられて候ぬれば一切の女人は此の経を捨てさせ給いては何の経をか持たせ給うべき、天台大師は震旦国の人仏滅後一千五百余年に仏の御使として世に出でさせ給いき、法華経に三十巻の文を注し給い文句と申す文の第七の巻には「他経には但男に記して女に記せず」等云云、男子も余経にては仏に成らざ


れども且らく与えて其をば許してむ、女人に於ては一向諸経に於ては叶う可からずと書かれて候、縦令千万の経経に女人成る可しと許され為りと雖も法華経に嫌われなば何の憑か有る可きや。

教主釈尊我が諸経四十余年の経経を未顕真実と悔い返し涅槃経等をば当説と嫌い給い無量義経をば今説と定め置き、三説に秀でたる法華経に「正直に方便を捨て但無上道を説く世尊の法は久しくして後要当に真実を説くべし」と釈尊宣べ給いしかば、宝浄世界の多宝仏は大地より出でさせ給いて真実なる由の証明を加え、十方分身の諸仏・広長舌を梵天に付け給う、十方世界微塵数の諸仏の舌相は不妄語戒の力に酬いて八葉の赤蓮華に生出させ給いき、一仏二仏三仏乃至十仏百仏千万億仏の四百万億那由佗の世界に充満せる仏の御舌を以て定め置き給える女人成仏の義なり、謗法無くして此の経を持つ女人は十方虚空に充満せる慳貪・嫉妬・瞋恚・十悪・五逆なりとも草木の露の大風にあえるなる可し三冬の冰の夏の日に滅するが如し、但滅し難き者は法華経謗法の罪なり、譬えば三千大千世界の草木を薪と為すとも須弥山は一分も損じ難し、縦令七つの日出でて百千日照すとも大海の中をばかわかしがたし、設い八万聖教を読み大地微塵の塔婆を立て大小乗の戒行を尽し十方世界の衆生を一子の如くに為すとも法華経謗法の罪はきゆべからず、我等・過去・現在・未来の三世の間に仏に成らずして六道の苦を受くるは偏に法華経誹謗の罪なるべし、女人と生れて百悪身に備ふるも根本此の経誹謗の罪より起れり。

然者此の経に値い奉らむ女人は皮をはいで紙と為し血を切りて墨と為し骨を折りて筆と為し血の涙を硯の水と為して書き奉ると雖も飽く期あるべからず、何に況や衣服・金銀・牛馬・田畠等の布施を以て供養せむは・もののかずにて・かずならず。


妙密上人御消息

                    建治二年三月 五十五歳御作

                    与楅谷妙密

青鳧五貫文給い候い畢んぬ、夫れ五戒の始は不殺生戒・六波羅蜜の始は檀波羅蜜なり、十善戒・二百五十戒・十重禁戒等の一切の諸戒の始めは皆不殺生戒なり、上大聖より下蚊虻に至るまで命を財とせざるはなし、これを奪へば又第一の重罪なり、如来世に出で給いては生をあわれむを本とす、生をあわれむしるしには命を奪はず施食を修するが第一の戒にて候なり、人に食を施すに三の功徳あり・一には命をつぎ・二には色をまし・三には力を授く、命をつぐは人中・天上に生れては長命の果報を得・仏に成りては法身如来と顕れ其の身虚空と等し、力を授くる故に人中・天上に生れては威徳の人と成りて眷属多し、仏に成りては報身如来と顕れて蓮華の台に居し八月十五夜の月の晴天に出でたるが如し、色をます故に人中・天上に生れては三十二相を具足して端正なる事華の如く、仏に成りては応身如来と顕れて釈迦仏の如くなるべし、夫れ須弥山の始を尋ぬれば一塵なり・大海の初は一露なり・一を重ぬれば二となり・二を重ぬれば三・乃至十・百・千・万・億・阿僧祗の母は唯・一なるべし。

されば日本国には仏法の始まりし事は天神七代・地神五代の後・人王百代・其の初めの王をば神武天皇と申す、神武より第三十代に当りて欽明天皇の御宇に百済国より経並びに教主釈尊の御影・僧尼等を渡す、用明天皇の太子の上宮と申せし人・仏法を読み初め法華経を漢土より・とりよせさせ給いて疏を作りて弘めさせ給いき、それより後・人王三十七代・孝徳天皇の御宇に観勒僧正と申す人・新羅国より三論宗・成実宗を渡す、同じき御代に道昭と申す僧・漢土より法相宗・倶舎宗を渡す、同じき御代に審祥大徳・華厳宗を渡す、第四十四代・元正天皇の御宇に天竺の上人・大日経を渡す、第四十五代・聖武天皇の御宇に鑑真和尚と申せし人・漢土より日本国に律宗を渡せし・