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日蓮大聖人・池田大作

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富士一跡門徒存知の事  (7/9) 興云く、凡そ勝地を撰んで伽藍を建立するは仏…
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一、本門寺を建つ可き在所の事。

五人一同に云く、彼の天台・伝教は存生に之を用いらるるの間・直に寺塔を立てたもう、所謂大唐の天台山・本朝の比叡山是なり而るに彼の本門寺に於ては先師・何の国・何の所とも之を定め置かれずと。

爰に日興云く、凡そ勝地を撰んで伽藍を建立するは仏法の通例なり、然れば駿河国・富士山は是れ日本第一の名山なり、最も此の砌に於て本門寺を建立すべき由・奏聞し畢んぬ、仍つて広宣流布の時至り国主此の法門を用いらるるの時は必ず富士山に立てらるべきなり

一、王城の事。

右、王城に於ては殊に勝地を撰ぶ可きなり、就中仏法は王法と本源躰一なり居処随つて相離るべからざるか、仍つて南都七大寺・北京比叡山・先蹤之同じ後代改まらず、然れば駿河の国・富士山は広博の地なり一には扶桑国なり二には四神相応の勝地なり、尤も本門寺と王城と一所なるべき由・且は往古の佳例なり且は日蓮大聖人の本願の所なり。

一、日興集むる所の証文の事。

御書の中に引用せらるる・若は経論書釈の文・若は内外典籍伝の文等、或は大綱・随義転用し或は粗意を取つて述用し給えり、之に依つて日興散引の諸文典籍等を集めて次第に証拠を勘校す、其の功未だ終らず且らく集むる所なり。

一内外論の要文上下二巻開目抄の意に依つて之を撰ぶ。


一本迹弘経要文上中下三巻撰時抄の意に依つて之を撰ぶ。

一漢土の天台・妙楽・邪法を対治して正法を弘通する証文一巻。

一日本の伝教大師・南都の邪宗を破失して法華の正法を弘通する証文一巻。

已上七巻之を集めて未だ再治せず。

一、奏聞状の事。

一先師聖人文永五年申状一通。

一同八年申状一通。

一日興其の年より申状一通。

一漢土の仏法先ず以て沙汰の次第之を図す一通。

一本朝仏法先ず以て沙汰の次第之を図す一通。

一三時弘経の次第並びに本門寺を建つ可き事。

一先師の書釈要文一通。

一、追加八箇条。

近年以来日興所立の義を盗み取り己が義と為す輩出来する由緒条条の事。

一、寂仙房日澄始めて盗み取つて己が義と為す彼の日澄は民部阿闍梨の弟子なり、仍つて甲斐国下山郷の地頭・左衛門四郎光長は聖人の御弟子なり御遷化の後民部阿闍梨を師と為す帰依僧なり、而るに去る永仁年中・新堂を造


立し一躰仏を安置するの刻み、日興が許に来臨して所立の義を難ず、聞き已つて自義と為し候処に正安二年民部阿闍梨彼の新堂並びに一躰仏を開眼供養す、爰に日澄・本師民部阿闍梨と永く義絶せしめ日興に帰伏して弟子と為る、此の仁・盗み取つて自義と為すと雖も後改悔帰伏の者なり、

一、去る永仁年中越後国に摩訶一と云う者有り天台宗の学匠なり日興が義を盗み取つて盛んに越後国に弘通するの由之を聞く。

一、去る正安年中以来・浄法房天目と云う者有り聖人に値い奉る日興が義を盗み取り鎌倉に於て之を弘通す、又祖師の添加を蔑如す。

一、弁阿闍梨の弟子少輔房日高去る嘉元年中以来日興が義を盗み取つて下総の国に於て盛んに弘通す。

一、伊予阿闍梨の下総国真間の堂は一躰仏なり、而るに去る年月・日興が義を盗み取つて四脇士を副う彼の菩薩の像は宝冠形なり。

一、民部阿闍梨も同く四脇士を造り副う、彼の菩薩像は比丘形にして納衣を著す、又近年以来諸神に詣ずる事を留むるの由聞くなり。

一、甲斐国に肥前房日伝と云う者有り寂日房向背の弟子なり日興が義を盗み取つて甲斐国に於て盛んに此の義を弘通す是れ又四脇士を造り副う彼の菩薩の像は身皆金色・剃髪の比丘形なり、又神詣を留むるの由之を聞く。

一、諸方に聖人の御書之を読む由の事。

此の書札の抄・別状有り之を見る可し。