Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

四条金吾女房御書 
1109

四条金吾女房御書

懐胎のよし承り候い畢んぬ、それについては符の事仰せ候、日蓮相承の中より撰み出して候・能く能く信心あるべく候、たとへば秘薬なりとも毒を入れぬれば薬の用すくなし、つるぎなれども・わるびれたる人のためには何かせん、就中夫婦共に法華の持者なり法華経流布あるべきたねをつぐ所の玉の子出で生れん目出度覚え候ぞ、色心二法をつぐ人なり争か・をそなはり候べき、とくとくこそ・うまれ候はむずれ、此の薬をのませ給はば疑いなかるべきなり、闇なれども灯入りぬれば明かなり濁水にも月入りぬればすめり、明かなる事・日月にすぎんや浄き事・蓮華にまさるべきや、法華経は日月と蓮華となり故に妙法蓮華経と名く、日蓮又日月と蓮華との如くなり、信心の水すまば利生の月・必ず応を垂れ守護し給うべし、とくとくうまれ候べし法華経に云く「如是妙法」又云く「安楽産福子」云云、口伝相承の事は此の弁公にくはしく申しふくめて候・則如来の使なるべし返す返すも信心候べし。

天照太神は玉を・そさのをのみことにさづけて玉の如くの子をまふけたり、然る間日の神・我が子となづけたり、さてこそ正哉吾勝とは名けたれ、日蓮うまるべき種をさづけて候へば争か我が子にをとるべき、「有一宝珠価直三千」等、「無上宝聚不求自得・釈迦如来皆是吾子」等云云、日蓮あに此の義にかはるべきや、幸なり幸なりめでたしめでたし・又又申すべく候、あなかしこあなかしこ。

  文永八年五月七日   日蓮花押

   四条金吾殿女房御返事


月満御前御書

                    文永八年五月 五十歳御作

若童生れさせ給いし由承り候・目出たく覚へ候、殊に今日は八日にて候、彼れと云い此れと云い所願しをの指すが如く春の野に華の開けるが如し、然れば・いそぎいそぎ名をつけ奉る月満御前と申すべし、其の上此の国の主八幡大菩薩は卯月八日にうまれさせ給ふ娑婆世界の教主釈尊も又卯月八日に御誕生なりき、今の童女又月は替れども八日にうまれ給ふ釈尊八幡のうまれ替りとや申さん、日蓮は凡夫なれば能くは知らず是れ併しながら日蓮が符を進らせし故なり、さこそ父母も悦び給うらん、殊に御祝として餅・酒・鳥目一貫文・送り給び候い畢んぬ是また御本尊・十羅刹に申し上げて候、今日の仏生れさせまします時に三十二の不思議あり此の事周書の異記と云う文にしるし置けり。

釈迦仏は誕生し給いて七歩し口を自ら開いて「天上天下唯我独尊・三界皆苦我当度之」の十六字を唱へ給ふ、今の月満御前はうまれ給いて・うぶごゑに南無妙法蓮華経と唱へ給ふか、法華経に云く「諸法実相」天台の云く「声為仏事」等云云、日蓮又かくの如く推し奉る、譬えば雷の音・耳しいの為に聞く事なく日月の光り目くらの為に見る事なし、定めて十羅刹女は寄り合うて・うぶ水をなで養ひ給うらん・あらめでたや・あらめでたや御悦び推量申し候、念頃に十羅刹女・天照太神等にも申して候、あまりの事に候間委くは申さず、是より重ねて申すべく候、穴賢穴賢。

                            日蓮花押

   四条金吾殿御返事


四条金吾殿御書

                    文永八年七月 五十歳御作

雪のごとく白く候白米一斗・古酒のごとく候油一筒・御布施一貫文、態使者を以て盆料送り給い候、殊に御文の趣有難くあはれに覚え候。

抑盂蘭盆と申すは源目連尊者の母青提女と申す人慳貪の業によりて五百生・餓鬼道にをち給いて候を目連救ひしより事起りて候、然りと雖も仏にはなさず其の故は我が身いまだ法華経の行者ならざる故に母をも仏になす事なし、霊山八箇年の座席にして法華経を持ち南無妙法蓮華経と唱えて多摩羅跋栴檀香仏となり給い此の時母も仏になり給う、又施餓鬼の事仰せ候、法華経第三に云く「如従飢国来忽遇大王膳」云云、此の文は中根の四大声聞・醍醐の珍膳をおとにも・きかざりしが今経に来つて始めて醍醐の味をあくまでになめて昔しうへたる心を忽にやめし事を説き給う文なり、若し爾らば餓鬼供養の時は此の文を誦して南無妙法蓮華経と唱えてとぶらひ給うべく候。

総じて餓鬼にをいて三十六種類・相わかれて候、其の中に鑊身餓鬼と申すは目と口となき餓鬼にて候、是は何なる修因ぞと申すに此の世にて夜討・強盗などをなして候によりて候、食吐餓鬼と申すは人の口よりはき出す物を食し候・是も修因上の如し、又人の食をうばふに依り候、食水餓鬼と云うは父母孝養のために手向る水などを呑む餓鬼なり、有財餓鬼と申すは馬のひづめの水をのむがきなり是は今生にて財ををしみ食をかくす故なり、無財がきと申すは生れてより以来飲食の名をも・きかざるがきなり、食法がきと申すは出家となりて仏法を弘むる人・我は法を説けば人尊敬するなんど思ひて名聞名利の心を以て人にすぐれんと思うて今生をわたり衆生をたすけず父母をすくふべき心もなき人を食法がきとて法をくらふがきと申すなり、当世の僧を見るに人に・かくし