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日蓮大聖人・池田大作

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八幡宮造営事  (3/3) 返す返す穏便にして・あだみうらむる気色なく…
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に御造営の大ばんしやうを・はづされたるにやあるらむ 神宮寺の事のはづるるも天の御計いか。

其の故は去ぬる文永十一年四月十二日に大風ふきて其の年の他国よりおそひ来るべき前相なり風は是れ天地の使なりまつり事あらければ風あらしと申すは是なり、又今年四月廿八日を迎えて此の風ふき来る、而るに四月廿六日は八幡のむね上と承はる、三日の内の大風は疑なかるべし、蒙古の使者の貴辺が八幡宮を造りて此の風ふきたらむに人わらひさたせざるべしや。

返す返す穏便にして・あだみうらむる気色なくて身をやつし下人をも・ぐせず・よき馬にものらず、のこぎりかなづち手にもちこしにつけて・つねにえめるすがたてにておわすべし、此の事一事もたがへさせ給うならば今生には身をほろぼし後生には悪道に堕ち給うべし、返す返す法華経うらみさせ給う事なかれ、恐恐。

  五月廿六日                     在御判

   大夫志殿

   兵衛志殿


兵衛志殿女房御返事

兵衛志殿女房絹片裏給い候、此の御心は法華経の御宝前に申し上げて候、まこととはをぼへ候はねども此の御房たちの申し候は御子どもはなし・よにせけんふつふつと・をはすると申され候こそなげかしく候へどもさりともとをぼしめし候へ、恐恐。

  十一月廿五日                    日蓮在御判

   兵衛志殿女房御返事

兵衛志殿御返事

我が法華経も本迹和合して利益を無量にあらはす、各各二人又かくのごとし二人同心して大御所・守殿・法華堂・八幡等つくりまいらせ給うならば此れは法華経の御利生とをもわせ給わざるべき、二人一同の儀は車の二つのわの如し鳥の二つの羽のごとし、設い妻子等の中のたがわせ給うとも二人の御中・不和なるべからず、恐れ候へども日蓮をたいとしとをもひあわせ給へ、もし中不和にならせ給うならば二人の冥加いかんがあるべかるらめと思しめせ、あなかしこあなかしこ、各各みわきかたきもたせ給いたる人人なり、内より論出来れば鷸蚌の相扼も漁夫のをそれ有るべし、南無妙法蓮華経と御唱えつつしむべし・つつしむべし、恐恐。

  十一月十二日                    日蓮在御判

   ひやうえの志殿御返事


四条金吾女房御書

懐胎のよし承り候い畢んぬ、それについては符の事仰せ候、日蓮相承の中より撰み出して候・能く能く信心あるべく候、たとへば秘薬なりとも毒を入れぬれば薬の用すくなし、つるぎなれども・わるびれたる人のためには何かせん、就中夫婦共に法華の持者なり法華経流布あるべきたねをつぐ所の玉の子出で生れん目出度覚え候ぞ、色心二法をつぐ人なり争か・をそなはり候べき、とくとくこそ・うまれ候はむずれ、此の薬をのませ給はば疑いなかるべきなり、闇なれども灯入りぬれば明かなり濁水にも月入りぬればすめり、明かなる事・日月にすぎんや浄き事・蓮華にまさるべきや、法華経は日月と蓮華となり故に妙法蓮華経と名く、日蓮又日月と蓮華との如くなり、信心の水すまば利生の月・必ず応を垂れ守護し給うべし、とくとくうまれ候べし法華経に云く「如是妙法」又云く「安楽産福子」云云、口伝相承の事は此の弁公にくはしく申しふくめて候・則如来の使なるべし返す返すも信心候べし。

天照太神は玉を・そさのをのみことにさづけて玉の如くの子をまふけたり、然る間日の神・我が子となづけたり、さてこそ正哉吾勝とは名けたれ、日蓮うまるべき種をさづけて候へば争か我が子にをとるべき、「有一宝珠価直三千」等、「無上宝聚不求自得・釈迦如来皆是吾子」等云云、日蓮あに此の義にかはるべきや、幸なり幸なりめでたしめでたし・又又申すべく候、あなかしこあなかしこ。

  文永八年五月七日   日蓮花押

   四条金吾殿女房御返事