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日蓮大聖人・池田大作

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五人土籠御書 
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ず親無き子は人に・いやしまる、所詮寿量品の肝心南無妙法蓮華経こそ十方三世の諸仏の母にて御坐し候へ、恐恐謹言。

  四月十七日                     日蓮花押

五人土籠御書

                 文永八年十月 五十歳御作 於相模依智作

                 与 日朗・日心・坂部入道・伊沢入道・得業寺

   五人御中参                    日蓮

  せんあくてご房をばつけさせ給へ、又しらうめが一人あらんするがふびんに候へば申す。

今月七日さどの国へまかるなり、各各は法華経一部づつ・あそばして候へば我が身並びに父母・兄弟・存亡等に回向しましまし候らん、今夜のかんずるにつけて・いよいよ我が身より心くるしさ申すばかりなし、ろうをいでさせ給いなば明年のはるかならずきたり給えみみへ・まいらすべし、せうどのの但一人あるやつを・つけよかしとをもう心・心なしとをもう人一人もなければしぬまで各各御はぢなり。

又大進阿闍梨はこれにさたすべき事かたがたあり、又をのをのの御身の上をも・みはてさせんが・れうにとどめをくなり、くはしくは申し候わんずらん、恐恐謹言。

  十月三日                      日蓮花押

   五人御中


土籠御書

                    文永八年十月 五十歳御作

                    与 日朗    於相模依智

日蓮は明日・佐渡の国へまかるなり、今夜のさむきに付けても・ろうのうちのありさま思いやられて・いたはしくこそ候へ、あはれ殿は法華経一部を色心二法共にあそばしたる御身なれば・父母・六親・一切衆生をも・たすけ給うべき御身なり、法華経を余人のよみ候は口ばかり・ことばばかりは・よめども心はよまず・心はよめども身によまず、色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ、天諸童子・以為給使・刀杖不加毒不能害と説かれて候へば別の事はあるべからず、籠をばし出でさせ給い候はば・とくとく・きたり給へ、見たてまつり見えたてまつらん、恐恐謹言。

  文永八年辛未十月九日                日蓮花押

   筑後殿

日妙聖人御書

                    文永九年五月 五十一歳御作

過去に楽法梵志と申す者ありき、十二年の間・多くの国をめぐりて如来の教法を求む、時に総て仏法僧の三宝一つもなし、此の梵志の意は渇して水をもとめ飢えて食をもとむるがごとく仏法を尋ね給いき、時に婆羅門あり求めて云く我れ聖教を一偈持てり若し実に仏法を願はば当にあたふべし、梵志答えて云くしかなり、婆羅門の云く実に志あらば皮をはいで紙とし・骨をくだいて筆とし・髄をくだいて墨とし・血をいだして水として書かんと云


はば仏の偈を説かん、時に此の梵志悦びをなして彼が申すごとくして皮をはいでほして紙とし乃至一言をもたがへず、時に婆羅門・忽然として失ぬ、此の梵志・天にあふぎ・地にふす、仏陀此れを感じて下方より涌出て・説て云く「如法は応に修行すべし非法は行ずべからず今世若しは後世・法を行ずる者は安穏なり」等云云、此の梵志・須臾に仏になる・此れは二十字なり、昔釈迦菩薩・転輪王たりし時き「夫生輙死此滅為楽」の八字を尊び給う故に身をかへて千燈にともして此の八字を供養し給い人をすすめて石壁・要路に・かきつけて見る人をして菩提心をおこさしむ、此の光明・忉利天に至る天の帝釈並びに諸天の燈となり給いき。

昔釈迦菩薩・仏法を求め給いき、癩人あり此の人にむかつて我れ正法を持てり其の字二十なり我が癩病をさすりいだきねぶり日に両三斤の肉をあたへば説くべしと云う、彼が申すごとくして二十字を得て仏になり給う、所謂「如来は涅槃を証し永く生死を断じ給う、若し至心に聴くこと有らば当に無量の楽を得べし」等云云。

昔雪山童子と申す人ありき、雪山と申す山にして外道の法を通達せしかども・いまだ仏法をきかず、時に大鬼神ありき説いて云く「諸行無常是生滅法」等云云、只八字計りを説いて後をとかず時に雪山童子・此の八字を得て悦きはまりなけれども半なる如意珠を得たるがごとく華さき菓ならざるに・にたり、残の八字を・きかんと申す、時に大鬼神の云く我れ数日が間・飢えて正念乱るゆへに後の八字を・ときがたし食をあたへよと云う、童子問うて云く何をか食とする、鬼答えて云く我は人のあたたかなる血肉なり、我れ飛行自在にして須臾の間に四天下を回つて尋ぬれどもあたたかなる血肉得がたし、人をば天守り給う故に失なければ殺害する事かたし等云云、童子の云く我が身を布施として彼の八字を習い伝えんと云云、鬼神の云く智慧甚だ賢し我をや・すかさんずらん、童子答えて云く瓦礫に金銀をかへんに是をかえざるべしや我れ徒に此の山にして・死しなば鴟梟虎狼に食はれて一分の功徳なかるべし、後の八字にかえなば糞を飯にかふるがごとし、鬼の云く我いまだ信ぜず、童子の云く証人