Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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下山御消息  (13/22) 大事の政道を破る
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驚いて粗内典五千七千外典三千等を引き見るに先代にも希なる天変地夭なり、然而儒者の家には記せざれば知る事なし仏法は自迷なればこころへず此の災夭は常の政道の相違と世間の謬誤より出来せるにあらず定めて仏法より事起るかと勘へなしぬ、先ず大地震に付て去る正嘉元年に書を一巻注したりしを故最明寺の入道殿に奉る御尋ねもなく御用いもなかりしかば国主の御用いなき法師なればあやまちたりとも科あらじとやおもひけん念仏者並に檀那等又さるべき人人も同意したるとぞ聞へし夜中に日蓮が小庵に数千人押し寄せて殺害せんとせしかどもいかんがしたりけん其の夜の害もまぬかれぬ、然れども心を合せたる事なれば寄せたる者も科なくて大事の政道を破る日蓮が未だ生きたる不思議なりとて伊豆の国へ流しぬ、されば人のあまりににくきには我がほろぶべきとがをもかへりみざるか御式目をも破らるるか御起請文を見るに梵釈・四天・天照太神・正八幡等を書きのせたてまつる、余存外の法門を申さば子細を弁えられずば日本国の御帰依の僧等に召し合せられて其れになを事ゆかずば漢土・月氏までも尋ねらるべし、其れに叶わずば子細ありなんとて且くまたるべし、子細も弁えぬ人人が身のほろぶべきを指をきて大事の起請を破らるる事心へられず。

自讃には似たれども本文に任せて申す余は日本国の人人には上は天子より下は万民にいたるまで三の故あり、一には父母なり二には師匠なり三には主君の御使なり、経に云く「即如来の使なり」と又云く「眼目なり」と又云く「日月なり」と章安大師の云く「彼が為に悪を除くは則ち是彼が親なり」等云云、而るに謗法一闡提・国敵の法師原が讒言を用いて其義を弁えず左右なく大事たる政道を曲げらるるはわざとわざはひをまねかるるか墓無し墓無し、然るに事しづまりぬれば科なき事は恥かしきかの故にほどなく召返されしかども故最明寺の入道殿も又早くかくれさせ給いぬ、当御時に成りて或は身に疵をかふり或は弟子を殺され或は所所を追れ或はやどをせめしかば一日片時も地上に栖むべき便りなし、是に付けても仏は一切世間・多怨難信と説き置き給う諸の菩薩は我不


愛身命但惜無上道と誓へり、加刀杖瓦石数数見擯出の文に任せて流罪せられ刀のさきにかかりなば法華経一部よみまいらせたるにこそとおもひきりてわざと不軽菩薩の如く覚徳比丘の様に竜樹菩薩・提婆菩薩・仏陀密多・師子尊者の如く弥強盛に申しはる、今度・法華経の大怨敵を見て経文の如く父母・師匠・朝敵・宿世の敵の如く散散に責るならば定めて万人もいかり国主も讒言を収て流罪し頸にも及ばんずらん、其時仏前にして誓状せし梵釈・日月・四天の願をもはたさせたてまつり法華経の行者をあだまんものを須臾ものがさじと起請せしを身にあてて心みん、釈尊・多宝・十方分身の諸仏の或は共に宿し或は衣を覆はれ或は守護せんとねんごろに説かせ給いしをも実か虚言かと知つて信心をも増長せんと退転なくはげみし程に案にたがはず去る文永八年九月十二日に都て一分の科もなくして佐土の国へ流罪せらる、外には遠流と聞えしかども内には頸を切ると定めぬ余又兼て此の事を推せし故に弟子に向つて云く我が願既に遂ぬ悦び身に余れり人身は受けがたくして破れやすし、過去遠遠劫より由なき事には失いしかども法華経のために命をすてたる事はなし、我頸を刎られて師子尊者が絶えたる跡を継ぎ天台伝教の功にも超へ付法蔵の二十五人に一を加えて二十六人となり不軽菩薩の行にも越えて釈迦・多宝・十方の諸仏にいかがせんとなげかせまいらせんと思いし故に言をもおしまず已前にありし事・後に有るべき事の様を平の金吾に申し含めぬ此の語しげければ委細にはかかず。

抑も日本国の主となりて万事を心に任せ給へり何事も両方を召し合せてこそ勝負を決し御成敗をなす人のいかなれば日蓮一人に限つて諸僧等に召合せずして大科に行わるるらん是れ偏にただ事にあらずたとひ日蓮は大科の者なりとも国は安穏なるべからず、御式目を見るに五十一箇条を立てて終りに起請文を書載せたり、第一・第二は神事・仏事・乃至五十一等云云、神事仏事の肝要たる法華経を手ににぎれる者を讒人等に召合せられずして彼等が申すままに頸に及ぶ然れば他事の中にも此の起請文に相違する政道は有るらめども此れは第一の大事なり、日


蓮がにくさに国をかへ身を失はんとせらるるか魯の哀公が忘事の第一なる事を記せらるるには移宅に妻をわすると云云、孔子の云く身をわするる者あり国主と成りて政道を曲ぐるなり是云云、将又国主は此の事を委細には知らせ給はざるか、いかに知らせ給はずとのべらるるとも法華経の大怨敵と成給いぬる重科は脱るべしや、多宝・十方の諸仏の御前にして教主釈尊の申す口として末代当世の事を説かせ給いしかば諸の菩薩記して云く「悪鬼其の身に入つて我を罵詈毀辱せん、乃至数数擯出せられん」等云云、又四仏釈尊の所説の最勝王経に云く「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に、乃至他方の怨賊来つて国人喪乱に遭わん」等云云、たとい日蓮をば軽賤せさせ給うとも教主釈尊の金言・多宝・十方の諸仏の証明は空かるべからず一切の真言師・禅宗・念仏者等の謗法の悪比丘をば前より御帰依ありしかども其の大科を知らせ給はねば少し天も許し善神もすてざりけるにや、而るを日蓮が出現して一切の人を恐れず身命を捨てて指し申さば賢なる国主ならば子細を聞き給うべきに聞きもせず用いられざるだにも不思議なるに剰へ頸に及ばむとせし事は存外の次第なり、然れば大悪人を用いる大科・正法の大善人を耻辱する大罪・二悪・鼻を並べて此の国に出現せり、譬ば修羅を恭敬し日天を射奉るが如し故に前代未聞の大事・此の国に起るなり、是又先例なきにあらず夏の桀王は竜蓬が頭を刎ね殷の紂王は比干が胸をさき二世王は李斯を殺し優陀延王は賓頭盧尊者を蔑如し檀弥羅王は師子尊者の頸をきる武王は慧遠法師と諍論し憲宗王は白居易を遠流し徽宗皇帝は法道三蔵の面に火印をさす、此等は皆諫暁を用いざるのみならず還つて怨を成せし人人現世には国を亡し身を失ひ後生には悪道に堕つ是れ又人をあなづり讒言を納れて理を尽さざりし故なり、而るに去る文永十一年二月に佐土の国より召返されて同四月の八日に平金吾に対面して有りし時理不尽の御勘気の由委細に申し含めぬ、又恨むらくは此の国すでに他国に破れん事のあさましさよと歎き申せしかば金吾が云く何の比か大蒙古は寄せ候べきと問いしかば経文には分明に年月を指したる事はなけれども天の御気色を拝見し奉るに以ての外に此