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日蓮大聖人・池田大作

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種種御振舞御書  (1/17) 白楽天が楽府にも越へ仏の未来記にもをとらず…
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種種御振舞御書

                    建治二年 五十五歳御作

                    与 光日房 於身延

去ぬる文永五年後の正月十八日・西戎・大蒙古国より日本国ををそうべきよし牒状をわたす、日蓮が去ぬる文応元年太歳庚申に勘えたりし立正安国論今すこしもたがわず符合しぬ、此の書は白楽天が楽府にも越へ仏の未来記にもをとらず末代の不思議なに事かこれにすぎん、賢王・聖主の御世ならば日本第一の権状にもをこなわれ現身に大師号もあるべし定めて御たづねありていくさの僉義をもいゐあわせ調伏なんども申しつけられぬらんと・をもひしに其の義なかりしかば其の年の末十月に十一通の状をかきて・かたがたへをどろかし申す、国に賢人なんども・あるならば不思議なる事かな・これはひとへにただ事にはあらず、天照太神・正八幡宮の比の僧について日本国のたすかるべき事を御計らいのあるかと・をもわるべきに・さはなくて或は使を悪口し或はあざむき或はとりも入れず或は返事もなし或は返事をなせども上へも申さずこれひとへにただ事にはあらず、設い日蓮が身の事なりとも国主となりまつり事をなさん人人は取りつぎ申したらんには政道の法ぞかし、いわうや・この事は上の御大事いできらむのみならず各各の身にあたりて・をほいなるなげき出来すべき事ぞかし、而るを用うる事こそなくとも悪口まではあまりなり、此れひとへに日本国の上下万人・一人もなく法華経の強敵となりてとしひさしくなりぬれば大禍のつもり大鬼神の各各の身に入る上へ蒙古国の牒状に正念をぬかれてくるうなり、例せば殷の紂王・比干といゐし者いさめをなせしかば用いずして胸をほり周の文・武王にほろぼされぬ、呉王は伍子胥がいさめを用いず自害をせさせしかば越王勾践の手にかかる、これもかれがごとくなるべきかと・いよいよ・ふびんにをぼへて名をもをしまず命をもすてて強盛に申しはりしかば風大なれば波大なり竜大なれば雨たけきやうに・いよいよ・あだを


なし・ますますにくみて御評定に僉議あり、頸をはぬべきか鎌倉ををわるべきか弟子檀那等をば所領あらん者は所領を召して頸を切れ或はろうにてせめ・あるいは遠流すべし等云云。

日蓮悦んで云く本より存知の旨なり、雪山童子は半偈のために身をなげ常啼菩薩は身をうり善財童子は火に入り楽法梵士は皮をはぐ薬王菩薩は臂をやく不軽菩薩は杖木をかうむり師子尊者は頭をはねられ提婆菩薩は外道にころさる、此等はいかなりける時ぞやと勘うれば天台大師は「時に適うのみ」とかかれ章安大師は「取捨宜きを得て一向にすべからず」としるされ、法華経は一法なれども機にしたがひ時によりて其の行万差なるべし、仏記して云く「我が滅後・正像二千年すぎて末法の始に此の法華経の肝心題目の五字計りを弘めんもの出来すべし、其の時悪王・悪比丘等・大地微塵より多くして或は大乗或は小乗等をもつて・きそはんほどに、此の題目の行者にせめられて在家の檀那等をかたらひて或はのり或はうち或はろうに入れ或は所領を召し或は流罪或は頸をはぬべし、などいふとも退転なく・ひろむるほどならば・あだをなすものは国主は・どし打ちをはじめ餓鬼のごとく身をくらひ後には他国よりせめらるべし、これひとへに梵天・帝釈・日月・四天等の法華経の敵なる国を他国より責めさせ給うなるべし」ととかれて候ぞ、各各我が弟子となのらん人人は一人もをくしをもはるべからず、をやををもひ・めこををもひ所領をかへりみること・なかれ、無量劫より・このかた・をやこのため所領のために命すてたる事は大地微塵よりも・をほし、法華経のゆへには・いまだ一度もすてず、法華経をばそこばく行ぜしかども・かかる事出来せしかば退転してやみにき、譬えばゆをわかして水に入れ火を切るにとげざるがごとし、各各思い切り給へ此の身を法華経にかうるは石に金をかへ糞に米をかうるなり。

仏滅後・二千二百二十余年が間・迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・南岳・天台等・妙楽・伝教等だにも・いまだひろめ給わぬ法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきが


けしたり、わたうども二陣三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ天台・伝教にもこへよかし、わづかの小島のぬしらがをどさんを・をぢては閻魔王のせめをばいかんがすべき、仏の御使と・なのりながら・をくせんは無下の人人なりと申しふくめぬ、さりし程に念仏者・持斎・真言師等・自身の智は及ばず訴状も叶わざれば上郎・尼ごぜんたちに・とりつきて種種にかまへ申す、故最明寺入道殿・極楽寺入道殿を無間地獄に堕ちたりと申し建長寺・寿福寺・極楽寺・長楽寺・大仏寺等をやきはらへと申し道隆上人・良観上人等を頸をはねよと申す、御評定になにとなくとも日蓮が罪禍まぬかれがたし、但し上件の事・一定申すかと召し出てたづねらるべしとて召し出だされぬ、奉行人の云く上のをほせ・かくのごとしと申せしかば・上件の事・一言もたがはず申す、但し最明寺殿・極楽寺殿を地獄という事は・そらごとなり、此の法門は最明寺殿・極楽寺殿・御存生の時より申せし事なり。

詮ずるところ、上件の事どもは此の国ををもひて申す事なれば世を安穏にたもたんと・をぼさば彼の法師ばらを召し合せて・きこしめせ、さなくして彼等にかわりて理不尽に失に行わるるほどならば国に後悔あるべし、日蓮・御勘気をかほらば仏の御使を用いぬになるべし、梵天・帝釈・日月・四天の御とがめありて遠流・死罪の後・百日・一年・三年・七年が内に自界叛逆難とて此の御一門どしうちはじまるべし、其の後は他国侵逼難とて四方より・ことには西方よりせめられさせ給うべし、其の時後悔あるべしと平左衛門尉に申し付けしかども太政入道のくるひしやうに・すこしもはばかる事なく物にくるう。

去文永八年太歳・辛未九月十二日・御勘気をかほる、其の時の御勘気のやうも常ならず法にすぎてみゆ、了行が謀反ををこし大夫の律師が世をみださんと・せしを・めしとられしにもこえたり、平左衛門尉・大将として数百人の兵者にどうまろきせてゑぼうしかけして眼をいからし声をあらうす、大体・事の心を案ずるに太政入道の世をとりながら国をやぶらんとせしににたり、ただ事ともみへず、日蓮これを見てをもうやう日ごろ月ごろ・をもひまう