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日蓮大聖人・池田大作

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祈祷抄  (5/12) 名聞利養深かりし人
1348

をこりぬる事は、父母・主君・師匠なんどの制止を加うれどもなす事あり。

さればはんよきと云いし賢人は我頸を切つてだにこそけいかと申せし人には与へき、季札と申せし人は約束の剣を徐の君が塚の上に懸けたりき、而るに霊山会上にして即身成仏せし竜女は・小乗経には五障の雲厚く三従のきづな強しと嫌はれ、四十余年の諸大乗経には或は歴劫修行にたへずと捨てられ、或は初発心時・便成正覚の言も有名無実なりしかば女人成仏もゆるさざりしに・設い人間天上の女人なりとも成仏の道には望なかりしに・竜畜下賤の身たるに女人とだに生れ年さへ・いまだ・たけず・わづかに八歳なりき、かたがた思ひもよらざりしに文殊の教化によりて海中にして・法師・提婆の中間わづかに宝塔品を説かれし時刻に仏になりたりし事は・ありがたき事なり、一代超過の法華経の御力にあらずば・いかでか・かくは候べき、されば妙楽は「行浅功深以顕経力」とこそ書かせ給へ、竜女は我が仏になれる経なれば仏の御諫なくとも・いかでか法華経の行者を捨てさせ給うべき、されば自讃歎仏の偈には「我大乗の教を闡いて苦の衆生を度脱せん」等とこそ・すすませさせ給いしか、竜女の誓は其の所従の「非口所宣非心所測」の一切の竜畜の誓なり娑竭羅竜王は竜畜の身なれども子を念う志深かりしかば大海第一の宝如意宝珠をもむすめにとらせて即身成仏の御布施にせさせつれ此の珠は直三千大千世界にかふる珠なり。

提婆達多は師子頬王には孫・釈迦如来には伯父たりし斛飯王の御子・阿難尊者の舎兄なり、善聞長者のむすめの腹なり、転輪聖王の御一門・南閻浮提には賤しからざる人なり、在家にましましし時は夫妻となるべきやすたら女を悉達太子に押し取られ宿世の敵と思いしに、出家の後に人天大会の集まりたりし時・仏に汝は癡人・唾を食へる者とのられし上・名聞利養深かりし人なれば仏の人に・もてなされしをそねみて・我が身には五法を行じて仏よりも尊げになし・鉄をのして千輻輪につけ・螢火を集めて白毫となし・六万宝蔵・八万宝蔵を胸に浮べ、象頭山に戒


場を立て多くの仏弟子をさそひとり、爪に毒を塗り仏の御足にぬらむと企て・蓮華比丘尼を打殺し・大石を放て仏の御指をあやまちぬ、具に三逆を犯し結句は五天竺の悪人を集め仏並びに御弟子檀那等にあだをなす程に、頻婆娑羅王は仏の第一の御檀那なり、一日に五百輛の車を送り日日に仏並びに御弟子を供養し奉りき、提婆そねむ心深くして阿闍世太子を語いて父を終に一尺の釘七つをもつてはりつけになし奉りき、終に王舎城の北門の大地破れて阿鼻大城に墜ちにき、三千大千世界の人一人も是を見ざる事なかりき、されば大地微塵劫は過ぐとも無間大城をば出づべからずとこそ思ひ候に・法華経にして天王如来とならせ給いけるにこそ不思議に尊けれ、提婆達多・仏になり給はば語らはれし所の無量の悪人、一業所感なれば皆無間地獄の苦は・はなれぬらん、是れ偏に法華経の恩徳なり、されば提婆達多並びに所従の無量の眷属は法華経の行者の室宅にこそ住せ給うらめとたのもし。

諸の大地微塵の如くなる諸菩薩は等覚の位まで・せめて元品の無明計りもちて侍るが・釈迦如来に値い奉る元品の大石をわらんと思ふに、教主釈尊・四十余年が間は「因分可説果分不可説」と申して妙覚の功徳を説き顕し給はず、されば妙覚の位に登る人・一人もなかりき・本意なかりし事なり、而るに霊山八年が間に「唯一仏乗名為果分」と説き顕し給いしかば・諸の菩薩・皆妙覚の位に上りて釈迦如来と悟り等しく・須弥山の頂に登つて四方を見るが如く・長夜に日輪の出でたらんが如く・あかなくならせ給いたりしかば・仏の仰せ無くとも法華経を弘めじ・又行者に替らじとは・おぼしめすべからず、されば「我不愛身命但惜無上道・不惜身命当広説此経」等とこそ誓ひ給いしか。

其の上慈父の釈迦仏・悲母の多宝仏・慈悲の父母等同じく助証の十方の諸仏・一座に列らせ給いて、月と月とを集めたるが如く・日と日とを並べたるが如く・ましましし時、「諸の大衆に告ぐ我が滅度の後誰か能く此の経を護持し読誦せんものなる、今仏前に於て自ら誓言を説け」と三度まで諫させ給いしに、八方・四百万億那由佗の国


土に充満せさせ給いし諸大菩薩・身を曲・低頭合掌し倶に同時に声をあげて「世尊の勅の如く当に具さに奉行したてまつるべし」と三度まで・声を惜まず・よばわりしかば、いかでか法華経の行者には・かわらせ給はざるべき、はんよきと云いしものけいかに頭を取せ・きさつと云いしもの徐の君が塚に刀をかけし、約束を違へじがためなり、此れ等は震旦・辺土のえびすの如くなるものども・だにも友の約束に命をも亡ぼし身に代へて思ふ刀をも塚に懸くるぞかし、まして諸大菩薩は本より大悲代受苦の誓ひ深し・仏の御諫なしとも・いかでか法華経の行者を捨て給うべき、其の上我が成仏の経たる上・仏・慇懃に諫め給いしかば・仏前の御誓・丁寧なり行者を助け給う事疑うべからず。

仏は人天の主・一切衆生の父母なり・而も開導の師なり、父母なれども賤き父母は主君の義をかねず、主君なれども父母ならざればおそろしき辺もあり、父母・主君なれども師匠なる事はなし・諸仏は又世尊にてましませば主君にては・ましませども・娑婆世界に出でさせ給はざれば師匠にあらず・又「其中衆生悉是吾子」とも名乗らせ給はず・釈迦仏独・主師親の三義をかね給へり、しかれども四十余年の間は提婆達多を罵給ひ諸の声聞をそしり菩薩の果分の法門を惜み給しかば、仏なれども・よりよりは天魔・破旬ばしの我等をなやますかの疑ひ・人には・いはざれども心の中には思いしなり、此の心は四十余年より法華経の始まで失せず、而るを霊山八年の間に宝塔・虚空に現じ二仏・日月の如く並び・諸仏大地に列り大山をあつめたるがごとく、地涌千界の菩薩・虚空に星の如く列り給いて、諸仏の果分の功徳を吐き給いしかば・宝蔵をかたぶけて貧人にあたうるがごとく・崑崙山のくづれたるににたりき、諸人此の玉をのみ拾うが如く此の八箇年が間・珍しく貴き事心髄にも・とをりしかば・諸菩薩・身命も惜まず言をはぐくまず誓をなせし程に・属累品にして釈迦如来・宝塔を出でさせ給いてとびらを押したて給いしかば諸仏は国国へ返り給ひき、諸の菩薩等も諸仏に随ひ奉りて返らせ給ひぬ。