Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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秋元御書  (4/8) 人を恐れず世を憚からず
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日蓮は智人に非ざれども蛇は竜の心を知り烏の世の吉凶を計るが如し、此の事計りを勘へ得て候なり、此の事を申すならば須臾に失に当るべし申さずば又大阿鼻地獄に堕つべし。

法華経を習うには三の義あり一には謗人、勝意比丘・苦岸比丘・無垢論師・大慢婆羅門等が如し、彼等は三衣を身に纒い一鉢を眼に当てて二百五十戒を堅く持ちて而も大乗の讎敵と成りて無間大城に堕ちにき、今日本国の弘法・慈覚・智証等は持戒は彼等が如く智慧は又彼比丘に異ならず、但大日経真言第一・法華経第二・第三と申す事・百千に一つも日蓮が申す様ならば無間大城にやおはすらん、此の事は申すも恐れあり増して書き付くるまでは如何と思い候へども法華経最第一と説かれて候に是を二三等と読まん人を聞いて人を恐れ国を恐れて申さずば即是彼怨と申して一切衆生の大怨敵なるべき由・経と釈とにのせられて候へば申し候なり、人を恐れず世を憚からず云う事・我不愛身命・但惜無上道と申すは是なり、不軽菩薩の悪口杖石も他事に非ず世間を恐れざるに非ず唯法華経の責めの苦なればなり、例せば祐成・時宗が大将殿の陣の内を簡ばざりしは敵の恋しく恥の悲しかりし故ぞかし、此れは謗人なり。

謗家と申すは都て一期の間法華経を謗せず昼夜十二時に行ずれども謗家に生れぬれば必ず無間地獄に堕つ、例せば勝意比丘・苦岸比丘の家に生まれて或は弟子となり或は檀那と成りし者共が心ならず無間地獄に堕ちたる是なり、譬えば義盛が方の者・軍をせし者はさて置きぬ・腹の内に有りし子も産を待たれず母の腹を裂かれしが如し、今日蓮が申す弘法・慈覚・智証の三大師の法華経を正しく無明の辺域・虚妄の法と書かれて候は若し法華経の文実ならば叡山・東寺・園城寺・七大寺・日本・一万一千三十七所の寺寺の僧は如何が候はんずらん、先例の如くならば無間大城疑無し、是れは謗家なり。

謗国と申すは謗法の者・其の国に住すれば其の一国皆無間大城になるなり、大海へは一切の水集り其の国は一


切の禍集まる、譬えば山に草木の滋きが如し、三災月月に重なり七難日日に来る、飢渇発れば其の国餓鬼道と変じ疫病重なれば其の国地獄道となる軍起れば其の国修羅道と変ず、父母・兄弟・姉妹をば簡ず妻とし夫と憑めば其の国畜生道となる、死して三悪道に堕つるにはあらず現身に其の国四悪道と変ずるなり、此れを謗国と申す。

例せば大荘厳仏の末法・師子音王仏の濁世の人人の如し、又報恩経に説かれて候が如くんば過去せる父母・兄弟姉妹・一切の人死せるを食し又生たるを食す、今日本国亦復是くの如し真言師・禅宗・持斎等・人を食する者・国中に充満せり、是偏に真言の邪法より事起れり、竜象房が人を食いしは万が一顕れたるなり、彼に習いて人の肉を或は猪鹿に交へ・或は魚鳥に切り雑へ・或はたたき加へ或はすしとして売る、食する者数を知らず皆天に捨てられ守護の善神に放されたるが故なり、結句は此の国他国より責められ自国どし打ちして此の国変じて無間地獄と成るべし、日蓮・此の大なる失を兼て見し故に与同罪の失を脱れんが為め仏の呵責を思う故に知恩・報恩の為め国の恩を報ぜんと思いて国主並に一切衆生に告げ知らしめしなり。

不殺生戒と申すは一切の諸戒の中の第一なり、五戒の初めにも不殺生戒・八戒・十戒・二百五十戒・五百戒・梵網の十重禁戒・華厳の十無尽戒・瓔珞経の十戒等の初めには皆不殺生戒なり、儒家の三千の禁の中にも大辟こそ第一にて候へ、其の故は「徧満三千界・無有直身命」と申して三千世界に満つる珍宝なれども命に替る事はなし、蟻子を殺す者・尚地獄に堕つ況や魚鳥等をや青草を切る者・猶地獄に堕つ況や死骸を切る者をや、是くの如き重戒なれども法華経の敵に成れば此れを害するは第一の功徳と説き給うなり、況や供養を展ぶ可けんや、故に仙予国王は五百人の法師を殺し・覚徳比丘は無量の謗法の者を殺し・阿育大王は十万八千の外道を殺し給いき、此等の国王・比丘等は閻浮第一の賢王・持戒第一の智者なり、仙予国王は釈迦仏・覚徳比丘は迦葉仏・阿育大王は得道の仁なり、今日本国も又是くの如し持戒・破戒・無戒・王臣・万民を論ぜず一同に法華経誹謗の国なり、設い身の皮を


はぎて法華経を書き奉り肉を積んで供養し給うとも必ず国も滅び身も地獄に堕ち給うべき大なる科あり、唯真言宗・念仏宗・禅宗・持斎等を禁めて身を法華経によせよ、天台の六十巻を空に浮べて国主等には智人と思われたる人人の或は智の及ばざるか、或は知れども世を恐るるかの故に或は真言宗をほめ或は念仏・禅・律等に同ずれば彼等が大科には百千超えて候、例せば成良・義村等が如し、慈恩大師は玄賛十巻を造りて法華経を讃めて地獄に堕つ、此の人は太宗皇帝の御師・玄奘三蔵の上足・十一面観音の後身と申すぞかし、音は法華経に似たれども心は爾前の経に同ずる故なり、嘉祥大師は法華玄十巻を造りて既に無間地獄に堕つべかりしが法華経を読む事を打ち捨てて天台大師に仕えしかば地獄の苦を脱れ給いき、今法華宗の人人も又是くの如し、比叡山は法華経の御住所・日本国は一乗の御所領なり、而るを慈覚大師は法華経の座主を奪い取りて真言の座主となし三千の大衆も又其の所従と成りぬ、弘法大師は法華宗の檀那にて御坐ます嵯峨の天皇を奪い取りて内裏を真言宗の寺と成せり、安徳天皇は明雲座主を師として頼朝の朝臣を調伏せさせ給いし程に、右大将殿に罰せらるるのみならず安徳は西海に沈み・明雲は義仲に殺され給いき、尊成王は天台座主・慈円僧正・東寺・御室並に四十一人の高僧等を請下し奉り内裏に大壇を立てて義時右京の権の大夫殿を調伏せし程に、七日と申せし六月十四日に洛陽破れて王は隠岐の国・或は佐渡の島に遷され座主・御室は或は責められ或は思い死に死に給いき、世間の人人・此の根源を知る事なし此れ偏に法華経・大日経の勝劣に迷える故なり、今も又日本国・大蒙古国の責を得て彼の不吉の法を以て御調伏を行わると承わる又日記分明なり、此の事を知らん人争か歎かざるべき。

悲いかな我等誹謗正法の国に生れて大苦に値はん事よ、設い謗身は脱ると云うとも謗家謗国の失・如何せん、謗家の失を脱れんと思はば父母・兄弟等に此の事を語り申せ、或は悪まるるか・或は信ぜさせまいらするか、謗国の失を脱れんと思はば国主を諫暁し奉りて死罪か流罪かに行わるべきなり、我不愛身命・但惜無上道と説かれ身