Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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呵責謗法滅罪抄  (6/7) 彼が為に悪を除く
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しと勘へたり、此には法華経の流布すべき瑞なりと申す先後の相違之有るか如何、答えて云く汝能く之を問えり、法華経の第四に云く「而も此の経は如来現在すら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」等云云、同第七に況滅度後を重ねて説いて云く「我が滅度の後・後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布せん」等云云、仏滅後の多怨は後五百歳に妙法蓮華経の流布せん時と見えて候、次ぎ下に又云く「悪魔・魔民・諸天竜・夜叉・鳩槃荼」等云云、行満座主伝教大師を見て云く「聖語朽ちず今此の人に遇えり我れ披閲する所の法門日本国の阿闍梨に授与す」等云云、今も又是くの如し末法の始に妙法蓮華経の五字を流布して日本国の一切衆生が仏の下種を懐妊すべき時なり、例せば下女が王種を懐妊すれば諸女瞋りをなすが如し、下賤の者に王頂の珠を授与せんに大難来らざるべしや、一切世間・多怨難信の経文是なり、涅槃経に云く「聖人に難を致せば他国より其の国を襲う」と云云、仁王経も亦復是くの如し取意、日蓮をせめて弥よ天地・四方より大災・雨の如くふり泉の如くわき浪の如く寄せ来るべし、国の大蝗虫たる諸僧等・近臣等が日蓮を讒訴する弥よ盛ならば大難倍来るべし、帝釈を射る修羅は箭還つて己が眼にたち阿那婆達多竜を犯さんとする金翅鳥は自ら火を出して自身をやく、法華経を持つ行者は帝釈・阿那婆達多竜に劣るべきや、章安大師の云く「仏法を壊乱するは仏法の中の怨なり慈無くして詐わり親むは即ち是れ彼が怨なり」等云云、又云く「彼が為に悪を除くは則ち是れ彼が親なり」等云云。

日本国の一切衆生は法然が捨閉閣抛と禅宗が教外別伝との誑言に誑かされて一人もなく無間大城に堕つべしと勘へて・国主万民を憚からず大音声を出して二十余年が間よばはりつるは竜逢と比干との直臣にも劣るべきや、大悲・千手観音の一時に無間地獄の衆生を取り出すに似たるか、火の中の数子を父母が一時に取り出さんと思ふに手少なければ慈悲前後有るに似たり、故に千手・万手・億手ある父母にて在すなり、爾前の経経は一手・二手等に似たり法華経は「一切衆生を化して皆仏道に入らしむ」と無数手の菩薩是なり、日蓮は法華経並びに章安の


釈の如くならば日本国の一切衆生の慈悲の父母なり、天高けれども耳とければ聞かせ給うらん地厚けれども眼早ければ御覧あるらん天地既に知し食しぬ、又一切衆生の父母を罵詈するなり父母を流罪するなり、此の国此の両三年が間の乱政は先代にもきかず法に過ぎてこそ候へ。

抑悲母の孝養の事・仰せ遣され候感涙押へ難し、昔元重等の五童は五郡の異性の他人なり兄弟の契りをなして互に相背かざりしかば財三千を重ねたり、我等親と云う者なしと歎きて途中に老女を儲けて母と崇めて一分も心に違はずして二十四年なり、母忽に病に沈んで物いはず、五子天に仰いで云く我等孝養の感無くして母もの云わざる病あり、願くは天・孝の心を受け給はば此の母に物いはせ給へと申す、其の時に母・五子に語つて云く我は本是れ大原の陽猛と云うものの女なり、同郡の張文堅に嫁す文堅死にき、我に一の児あり名をば烏遺と云いき彼が七歳の時・乱に値うて行く処をしらず、汝等五子に養はれて二十四年・此の事を語らず、我が子は胸に七星の文あり右の足の下に黒子ありと語り畢つて死す、五子葬をなす途中にして国令の行くにあひぬ、彼の人物記する嚢を落せり此の五童が取れるになして禁め置かれたり、令来つて問うて云く汝等は何くの者ぞ、五童答えて云く上に言えるが如し、爾の時に令上よりまろび下て天に仰ぎ地に泣く、五人の繩をゆるして我が座に引き上せて物語りして云く我は是れ烏遺なり、汝等は我が親を養いけるなり此の二十四年の間・多くの楽みに値へども非母の事をのみ思い出でて楽みも楽しみならず、乃至大王の見参に入れて五県の主と成せりき、他人集つて他の親を養ふに是くの如し、何に況や同父同母の舎弟妹女等が・いういうたるを顧みば天も争か御納受なからんや。

浄蔵・浄眼は法華経をもつて邪見の慈父を導びき、提婆達多は仏の御敵・四十余年の経経にて捨てられ臨終悪くして大地破れて無間地獄に行きしかども法華経にて召し還して天王如来と記せらる、阿闍世王は父を殺せども仏涅槃の時・法華経を聞いて阿鼻の大苦を免れき。


例せば此の佐渡の国は畜生の如くなり又法然が弟子充満せり、鎌倉に日蓮を悪みしより百千万億倍にて候、一日も寿あるべしとも見えねども各御志ある故に今まで寿を支へたり、是を以て計るに法華経をば釈迦・多宝・十方の諸仏・大菩薩・供養恭敬せさせ給へば此の仏・菩薩は各各の慈父慈母に日日・夜夜・十二時にこそ告げさせ給はめ、当時主の御おぼえの・いみじく・おはするも慈父・悲母の加護にや有るらん、兄弟も兄弟とおぼすべからず只子とおぼせ、子なりとも梟鳥と申す鳥は母を食ふ破鏡と申す獣の父を食わんと・うかがふ、わが子・四郎は父母を養ふ子なれども悪くばなにかせん、他人なれどもかたらひぬれば命にも替るぞかし、舎弟等を子とせられたらば今生の方人・人目申す計りなし、妹等を女と念はば・などか孝養せられざるべき、是へ流されしには一人も訪う人もあらじとこそ・おぼせしかども同行七八人よりは少からず、上下のくわても各の御計ひなくばいかがせん、是れ偏に法華経の文字の各の御身に入り替らせ給いて御助けあるとこそ覚ゆれ。

何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり、事繁ければ・とどめ候。

   四条金吾殿御返事                 日蓮花押

主君耳入此法門免与同罪事

                    文永十一年九月 五十三歳御作

                    与 四条金吾

  銭二貫文給び畢んぬ。

有情の第一の財は命にすぎず此れを奪う者は必ず三途に堕つ、然れば輪王は十善の始には不殺生・仏の小乗経の始には五戒・其の始には不殺生、大乗・梵網経の十重禁の始には不殺生、法華経の寿量品は釈迦如来の不殺生戒