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日蓮大聖人・池田大作

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妙法比丘尼御返事  (11/13) 譬えば女人物をねためば胸の内に大火もゆる故…
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無間地獄をまぬかれず、今又日蓮にあだをせさせ給う日本国の人人も此くの如し、此は彼には似るべくもなし彼は罵り打ちしかども国主の流罪はなし・杖木瓦石はありしかども疵をかほり頸までには及ばず、是は悪口杖木は二十余年が間・ひまなし疵をかほり流罪・頸に及ぶ、弟子等は或は所領を召され或はろうに入れ或は遠流し或は其の内を出だし或は田畠を奪ひなんどする事・夜打・強盗・海賊・山賊・謀叛等の者よりもはげしく行はる、此れ又偏に真言・念仏者・禅宗等の大僧等の訴なり、されば彼の人人の御失は大地よりも厚ければ此の大地は大風に大海に船を浮べるが如く動転す、天は八万四千の星・瞋をなし昼夜に天変ひまなし、其の上日月・大に変多し仏滅後既に二千二百二十七年になり候に・大族王が五天の寺をやき十六の大国の僧の頸を切り・武宗皇帝の漢土の寺を失ひ仏像をくだき、日本国の守屋が釈迦仏の金銅の像を炭火を以てやき・僧尼を打ちせめては還俗せさせし時も是れ程の彗星大地震はいまだなし、彼には百千万倍過ぎて候大悪にてこそ候いぬれ、彼は王一人の悪心大臣以下は心より起る事なし、又権仏と権経との敵なり僧も法華経の行者にはあらず、是は一向に法華経の敵・王・一人のみならず一国の智人並びに万民等の心より起れる大悪心なり、譬えば女人物をねためば胸の内に大火もゆる故に、身変じて赤く身の毛さかさまにたち・五体ふるひ・面に炎あがりかほは朱をさしたるが如し眼まろになりてねこの眼のねづみをみるが如し、手わななきてかしわの葉を風の吹くに似たりかたはらの人是を見れば大鬼神に異ならず

日本国の国主諸僧比丘比丘尼等も又是くの如し、たのむところの弥陀念仏をば日蓮が無間地獄の業と云うを聞き真言は亡国の法と云うを聞き持斎は天魔の所為と云うを聞いて念珠をくりながら歯をくひちがへ鈴をふるにくびをどりたり戒を持ちながら悪心をいだく極楽寺の生仏の良観聖人折紙をささげて上へ訴へ建長寺の道隆聖人は輿に乗りて奉行人にひざまづく諸の五百戒の尼御前等ははくをつかひてでんそうをなす、是れ偏に法華経を読みてよまず聞いてきかず善導法然が千中無一と弘法慈覚達磨等の皆是戯論教外別伝のあまきふる酒にえはせ給い


てさかぐるひにておはするなり、法華最第一の経文を見ながら大日経は法華経に勝れたり禅宗は最上の法なり律宗こそ貴けれ念仏こそ我等が分にはかなひたれと申すは酒に酔える人にあらずや星を見て月にすぐれたり石を見て金にまされり東を見て西と云い天を地と申す物ぐるひを本として月と金は星と石とには勝れたり東は東天は天なんど有りのままに申す者をばあだませ給はば勢の多きに付くべきか只物ぐるひの多く集まれるなり、されば此等を本とせし云うにかひなき男女の皆地獄に堕ちん事こそあはれに候へ涅槃経には仏説き給はく末法に入つて法華経を謗じて地獄に堕つる者は大地微塵よりも多く信じて仏になる者は爪の上の土よりも少しと説かれたり此れを以つて計らせ給うべし日本国の諸人は爪の上の土日蓮一人は十方の微塵にて候べきか、然るに何なる宿習にてをはすれば御衣をば送らせ給うぞ爪の上の土の数に入らんとおぼすか又涅槃経に云く「大地の上に針を立てて大風の吹かん時大梵天より糸を下さんに糸のはしすぐに下りて針の穴に入る事はありとも、末代に法華経の行者にはあひがたし」法華経に云く「大海の底に亀あり三千年に一度海上にあがる栴檀の浮木の穴にゆきあひてやすむべし而るに此の亀一目なるが而も僻目にて西の物を東と見東の物を西と見るなり」末代悪世に生れて法華経並びに南無妙法蓮華経の穴に身を入るる男女にたとへ給へり何なる過去の縁にてをはすれば此の人をとふらんと思食す御心はつかせ給いけるやらん、法華経を見まいらせ候へば釈迦仏の其の人の御身に入らせ給いてかかる心はつくべしと説かれて候譬へばなにとも思はぬ人の酒をのみてえいぬればあらぬ心出来り人に物をとらせばや・なんど思う心出来る、此れは一生慳貪にして餓鬼に堕つべきを其の人の酒の縁に菩薩の入りかはらせ給うなり、濁水に珠を入れぬれば水すみ月に向いまいらせぬれば人の心あこがる、画にかける鬼には心なけれどもおそろし、とわりを画にかけば我が夫をば・とらねども・そねまし、錦のしとねに蛇をおれるは服せんとも思はず、身のあつきにあたたかなる風いとはし、人の心も此くの如し、法華経の方へ御心をよせさせ給うは女人の御身なれども竜


女が御身に入らせ給うか。

さては又尾張の次郎兵衛尉殿の御事・見参に入りて候いし人なり、日蓮は此の法門を申し候へば他人にはにず多くの人に見て候へども・いとをしと申す人は千人に一人もありがたし、彼の人はよも心よせには思はれたらじなれども、自体人がらにくげなるふりなく・よろづの人に・なさけあらんと思いし人なれば、心の中は・うけずこそ・をぼしつらめども、見参の時はいつはりをろかにて有りし人なり、又女房の信じたるよしありしかば実とは思い候はざりしかども、又いたう法華経に背く事はよもをはせじなればたのもしきへんも候、されども法華経を失ふ念仏並びに念仏者を信じ我が身も多分は念仏者にて・をはせしかば後生はいかがと・をぼつかなし、譬えば国主はみやづかへのねんごろなるには恩のあるもあり又なきもあり、少しもをろかなる事候へば・とがになる事疑なし、法華経も又此くの如し、いかに信ずるやうなれども法華経の御かたきにも知れ知らざれ、まじはりぬれば無間地獄は疑なし。

是はさてをき候ぬ、彼の女房の御歎いかがと・をしはかるに・あはれなり、たとへば・ふじのはなのさかんなるが松にかかりて思う事もなきに松のにはかにたふれ、つたのかきにかかれるが・かきの破れたるが如くに・をぼすらん、内へ入れば主なし・やぶれたる家の柱なきが如し、客人来れども外に出でて・あひしらうべき人もなし、夜のくらきには・ねやすさまじく・はかをみれば・しるしはあれども声もきこへず、又思いやる死出の山・三途の河をば誰とか越え給うらん只独り歎き給うらん、とどめをきし御前たち・いかに我をば・ひとりやるらん、さはちぎらざりとや歎かせ給うらん、かたがた秋の夜の・ふけゆくままに冬の嵐の・をとづるる声につけても弥弥御歎き重り候らん、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。

  弘安元年戊寅九月六日                日蓮花押

    妙法尼御前 御かたへ