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日蓮大聖人・池田大作

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諫暁八幡抄  (7/13) 此の五眼は法華経より出生せさせ給う
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神は平家の氏神なり平家ををごらせし失に伊勢太神宮・八幡等に神うちに打ち失われて其の後平家ほどなく・ほろび候いぬ此れも又かくのごとし。

法華経の第四に云く「仏滅度の後能く其の義を解せんは是れ諸の天人世間の眼なり」等云云、日蓮が法華経の肝心たる題目を日本国に弘通し候は諸天・世間の眼にあらずや、眼には五あり所謂・肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼なり、此の五眼は法華経より出生せさせ給う故に普賢経に云く「此の方等経は是れ諸仏の眼なり諸仏是れに因て五眼を具する事を得給う」等云云、此の方等経と申すは法華経を申すなり、又此の経に云く「人天の福田・応供の中の最なり」等云云、此等の経文のごとくば妙法蓮華経は人天の眼・二乗・菩薩の眼・諸仏の御眼なり、而るに法華経の行者を怨む人は人天の眼をくじる者なり、其の人を罰せざる守護神は一切の人天の眼をくじる者を結構し給う神なり、而るに弘法・慈覚・智証等は正しく書を作りて法華経を無明の辺域にして明の分位に非ず後に望れば戯論と作る力者に及ばず履者とりにたらずと・かきつけて四百余年、日本国の上・一人より下・万民にいたるまで法華経をあなづらせ一切衆生の眼をくじる者を守護し給うはあに八幡大菩薩の結構にあらずや、去ぬる弘長と又去ぬる文永八年九月の十二日に日蓮一分の失なくして南無妙法蓮華経と申す大科に国主のはからいとして八幡大菩薩の御前にひきはらせて一国の謗法の者どもに・わらわせ給いしは・あに八幡大菩薩の大科にあらずや、其のいましめとをぼしきは・ただどしうちばかりなり、日本国の賢王たりし上・第一第二の御神なれば八幡に勝れたる神はよもをはせじ、又偏頗はよも有らじとは・をもへども一切経並に法華経のをきてのごときんば・この神は大科の神なり、日本六十六箇国二つの島一万一千三十七の寺寺の仏は皆或は画像或は木像或は真言已前の寺もあり或は已後の寺もあり、此等の仏は皆法華経より出生せり、法華経をもつて眼とすべし、所謂「此の方等経は是れ諸仏の眼なり」等云云、妙楽云く「然も此の経は常住仏性を以て咽喉と為し一乗の妙行を以て眼目と為し再生敗種を以て


心腑と為し顕本遠寿を以て其の命と為す」等云云、而るを日本国の習い真言師にもかぎらず諸宗一同に仏眼の印をもつて開眼し大日の真言をもつて五智を具すと云云此等は法華経にして仏になれる衆生を真言の権経にて供養すれば還つて仏を死し眼をくじり寿命を断ち喉をさきなんどする人人なり、提婆が教主釈尊の身より血を出し阿闍世王の彼の人を師として現罰に値いしにいかでか・をとり候べき、八幡大菩薩は応神天皇・小国の王なり阿闍世王は摩竭大国の大王なり天と人と王と民との勝劣なり、而れども阿闍世王・猶釈迦仏に敵をなして悪瘡身に付き給いぬ、八幡大菩薩いかでか其の科を脱るべき、去ぬる文永十一年に大蒙古よりよせて日本国の兵を多くほろぼすのみならず八幡の宮殿すでにやかれぬ、其の時何ぞ彼の国の兵を罰し給はざるや、まさに知るべし彼の国の大王は此の国の神に勝れたる事あきらけし、襄王と申せし神は漢土の第一の神なれども沛公が利劒に切られ給いぬ。

此れをもつてをもうべし道鏡法師・称徳天皇の心よせと成りて国王と成らんとせし時清丸・八幡大菩薩に祈請せし時八幡の御託宣に云く「夫れ神に大小好悪有り乃至彼は衆く我は寡し邪は強く正は弱し乃ち当に仏力の加護を仰て為めに皇緒を紹隆すべし」等云云、当に知るべし八幡大菩薩は正法を力として王法を守護し給いけるなり、叡山・東寺等の真言の邪法をもつて権の大夫殿を調伏せし程に権の大夫殿はかたせ給い隠岐の法皇はまけさせ給いぬ還著於本人此れなり。

今又日本国・一万一千三十七の寺・並に三千一百三十二社の神は国家安穏のために・あがめられて候、而るに其の寺寺の別当等・其の社社の神主等はみなみな・あがむるところの本尊と神との御心に相違せり、彼れ彼れの仏と神とは其の身異体なれども其の心同心に法華経の守護神なり、別当と社主等は或は真言師或は念仏者或は禅僧或は律僧なり皆一同に八幡等の御かたきなり、謗法不孝の者を守護し給いて正法の者を或は流罪或は死罪等に行な


わするゆへに天のせめを被り給いぬるなり、我が弟子等の内・謗法の余慶有る者の思いていわく此の御房は八幡をかたきとすと云云、これいまだ道理有りて法の成就せぬには本尊をせむるという事を存知せざる者の思いなり付法蔵経と申す経に大迦葉尊者の因縁を説いて云く「時に摩竭国に婆羅門有り尼倶律陀と名づく過去の世に於て久しく勝業を修し、多く財宝に饒かにして巨富無量なり摩竭王に比するに千倍勝れりと為す、財宝饒かなりと雖も子息有る事無し自ら念わく老朽して死の時将に至らんとす庫蔵の諸物委付する所無し、其の舎の側に於て樹林神有り彼の婆羅門子を求むるが為の故に即ち往て祈請す年歳を経歴すれども微応無し、時に尼倶律陀大に瞋忿を生じて樹神に語て曰く、我汝に事てより来已に年歳を経れども都て一の福応を垂るるを見ず今当に七日至心に汝に事うべし、若し復験無ければ必ず相焼剪せん、樹神聞き已て甚だ愁怖を懐き四天王に向つて具さに斯の事を陳ぶ、是に於て四王往て帝釈に白す・帝釈閻浮提の内を観察するに・福徳の人の彼の子と為るに堪ゆる無し即ち梵王に詣で広く上の事を宣ぶ、爾の時に梵王天眼を以て観見するに梵天の当に命終に臨む有り而て之に告げて曰く汝若し神を降さば宜しく当に彼の閻浮提界の婆羅門の家に生ずべし、梵天対て曰く婆羅門の法悪邪見多し我今其子と為る事能ざるなり、梵王復言く彼の婆羅門大威徳有り閻浮提の人往て生ずるに堪ゆる莫し汝必ず彼に生ぜば吾れ相護りて終に汝をして邪見に入らしめざらん、梵天曰く諾・敬て聖教を承けん、是に於て帝釈即樹神に向つて斯の如き事を説く樹神歓喜して尋て其の家に詣で婆羅門に語らく汝今復恨を我れに起す事なかれ郤て後七日当に卿が願を満すべし、七日に至て已に婦身む事有るを覚え十月を満足して一男児を生めり乃至今の迦葉是なり」云云、「時に応じて尼倶律陀大に瞋忿を生ず」等云云、常のごときんば氏神に向いて大瞋恚を生ぜん者は今生には身をほろぼし後世には悪道に堕つべし然りと雖も尼倶律陀長者・氏神に向て大悪口大瞋恚を生じて大願を成就し賢子をまうけ給いぬ、当に知るべし瞋恚は善悪に通ずる者なり。