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日蓮大聖人・池田大作

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四条金吾釈迦仏供養事  (3/4) 当に知るべし日月天の四天下をめぐり給うは仏…
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云、最勝王経に云く「此の経王の力に由つて流暉四天下を遶る」等云云、当に知るべし日月天の四天下をめぐり給うは仏法の力なり・彼の金光明経・最勝王経は法華経の方便なり勝劣を論ずれば乳と醍醐と金と宝珠との如し、劣なる経を食しましまして尚四天下をめぐり給う、何に況や法華経の醍醐の甘味を甞させ給はんをや、故に法華経の序品には普香天子とつらなりまします、法師品には阿耨多羅三藐三菩提と記せられさせ給う火持如来是なり、其の上慈父よりあひつたはりて二代我が身となりて・としひさし争かすてさせたまひ候べき、其の上日蓮も又此の天を恃みたてまつり日本国にたてあひて数年なり、既に日蓮かちぬべき心地す利生のあらたなる事・外にもとむべきにあらず、是より外に御日記たうとさ申す計りなけれども紙上に尽し難し。

なによりも日蓮が心にたつとき事候、父母御孝養の事度度の御文に候上に今日の御文なんだ更にとどまらず、我が父母・地獄にや・おはすらんとなげかせ給う事のあわれさよ、仏の弟子の御中に目犍尊者と申しけるは父をばきつせん師子と申し母をば青提女と申しけるが餓鬼道におちさせ給いけるを凡夫にてをはしける時は、しらせ給わざりければ・なげきもなかりける程に、仏の御弟子とならせ給いて後・阿羅漢となりて天眼をもつて御らんありければ餓鬼道におはしけり、是を御らんありて飲食をまいらせしかば炎となりて・いよいよ苦をましさせまいらせ給いしかば、いそぎ・はしりかへり仏に此の由を申させ給いしぞかし、爾の時の御心をおもひやらせ給へ、今貴辺は凡夫なり肉眼なれば御らんなけれども・もしも・さもあらばと・なげかせ給う・こは孝養の一分なり・梵天・帝釈・日月・四天も定めてあはれとおぼさんか、華厳経に云く「恩を知らざる者は多く横死に遭う」等云云、観仏相海経に云く「是れ阿鼻の因なり」等云云、今既に孝養の志あつし定めて天も納受あらんか是二

御消息の中に申しあはさせ給う事くはしく事の心を案ずるに・あるべからぬ事なり、日蓮をば日本国の人あだむ是はひとへにさがみどの・のあだませ給うにて候ゆへなき御政りごとなれども・いまだ此の事にあはざりし時よ


り・かかる事あるべしと知りしかば・今更いかなる事ありとも人をあだむ心あるべからずと・をもひ候へば、此の心のいのりとなりて候やらん・そこばくのなんをのがれて候、いまは事なきやうになりて候、日蓮がさどの国にてもかつえしなず又これまで山中にして法華経をよみまいらせ候は・たれか・たすけん・ひとへにとのの御たすけなり・又殿の御たすけは・なにゆへぞと・たづぬれば入道殿の御故ぞかし、あらわには・しろしめさねども定めて御いのりともなるらん・かうあるならば・かへりて又とのの御いのりとなるべし父母の孝養も又彼の人の御恩ぞかし、かかる人の御内を如何なる事有ればとて・すてさせ給うべきや・かれより度度すてられんずらんは・いかがすべき・又いかなる命になる事なりとも・すてまいらせ給うべからず、上にひきぬる経文に不知恩の者は横死有と見えぬ・孝養の者は又横死有る可からず、鵜と申す鳥の食する鉄はとくれども腹の中の子はとけず、石を食する魚あり又腹の中の子はしなず、栴檀の木は火に焼けず浄居の火は水に消へず・仏の御身をば三十二人の力士・火をつけしかども・やけず、仏の御身よりいでし火は三界の竜神・雨をふらして消しかどもきえず、殿は日蓮が功徳をたすけたる人なり・悪人にやぶらるる事かたし、もしやの事あらば先生に法華経の行者を・あだみたりけるが今生にむくふなるべし、此の事は如何なる山の中・海の上にても・のがれがたし、不軽菩薩の杖木の責も目犍尊者の竹杖に殺されしも是なり、なにしにか歎かせ給うべき。

但し横難をば忍には・しかじと見へて候・此の文御覧ありて後は・けつして百日が間をぼろげならでは・どうれい並に他人と我が宅ならで夜中の御さかもりあるべからず・主の召さん時は昼ならば・いそぎ参らせ給うべし、夜ならば三度までは頓病の由を申させ給いて三度にすぎば下人又他人をかたらひてつじを見せなんどして御出仕あるべし、かうつつしませ給はんほどにむこの人もよせなんどし候はば人の心又さきにひきかへ候べし、かたきをうつ心とどまるべしと申させ給う事は御あやまち・ありとも左右なく御内を出でさせ給うべからず、まして・なから


んには・なにとも人申せ・くるしかるべからず、おもひのままに入道にもなりておはせば・さきさきならばくるしからず、又身にも心にもあはぬ事あまた出来せば・なかなか悪縁・度度・来るべし、このごろは女は尼になりて人をはかり男は入道になりて大悪をつくるなり、ゆめゆめ・あるべからぬ事なり、身に病なくとも・やいとを一二箇所やいて病の由あるべし、さわぐ事ありとも・しばらく人をもつて見せをほせさせ給へ。

事事くはしくは・かきつくしがたし、此の故に法門もかき候はず、御経の事はすずしくなり候いてかいてまいらせ候はん、恐恐謹言。

  建治二年丙子七月十五日               日蓮花押

   四条金吾殿御返事

四条金吾殿御返事

正法をひろむる事は必ず智人によるべし、故に釈尊は一切経を・とかせ給いて小乗経をば阿難・大乗経をば文殊師利・法華経の肝要をば一切の声聞・文殊等の一切の菩薩をきらひて上行菩薩をめして授けさせ給いき、設い正法を持てる智者ありとも檀那なくんば争か弘まるべき・然れば釈迦仏の檀那は梵王・帝釈の二人なりこれは二人ながら天の檀那なり、仏は六道の中には人天・人天の中には人に出でさせ給う・人には三千世界の中央・五天竺・五天竺の中には摩竭提国に出でさせ給いて候しに、彼の国の王を檀那とさだむべき処に彼の国の阿闍世王は悪人なり、聖人は悪王に生れあふ事第一の怨にて候しぞかし、阿闍世王は賢王なりし父をころす、又うちそふわざはひと提婆達多を師とせり、達多は三逆罪をつくる上・仏の御身より血を出だしたりし者ぞかし、不孝の悪王と謗法の師とよりあひて候しかば人間に二のわざはひにて候しなり、一年二年ならず数十年が間・仏にあだを・なしまいらせ