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日蓮大聖人・池田大作

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盂蘭盆御書  (1/4) 餓鬼道と申すところに我が母あり、のむ事なし…
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盂蘭盆御書

麞牙一俵・やいごめ・うり・なすび等仏前にささげ申し上候畢んぬ。

盂蘭盆と申し候事は仏の御弟子の中に目連尊者と申して、舎利弗にならびて智慧第一・神通第一と申して須弥山に日月のならび大王に左右の臣のごとくにをはせし人なり、此の人の父をば吉懺師子と申し母をば青提女と申す、其の母の慳貪の科によつて餓鬼道に堕ちて候しを目連尊者のすくい給うより事をこりて候、其の因縁は母は餓鬼道に堕ちてなげき候けれども・目連は凡夫なれば知ることなし、幼少にして外道の家に入り四ゐ陀・十八大経と申す外道の一切経をならいつくせども・いまだ其の母の生所をしらず、其の後十三のとし舎利弗とともに釈迦仏にまいりて御弟子となり、見惑をだんじて初果の聖人となり修惑を断じて阿羅漢となりて三明をそなへ六通をへ給へり、天眼をひらいて、三千大千世界を明鏡のかげのごとく御らむありしかば、大地をみとおし三悪道を見る事冰の下に候魚を朝日にむかいて我等がとをしみるがごとし、其の中に餓鬼道と申すところに我が母あり、のむ事なし食うことなし、皮はきんてうをむしれるがごとく骨はまろき石をならべたるがごとし、頭はまりのごとく頸はいとのごとし腹は大海のごとし、口をはり手を合せて物をこへる形は・うへたるひるの人のかをかげるがごとし、先生の子をみてなかんとするすがた・うへたるかたちたとへを・とるに及ばず、いかんがかなしかりけん。

法勝寺の修行舜観が・いわうの嶋にながされてはだかにてかみくびつきにうちをい・やせをとろへて海へんに・やすらいてもくづをとりてこしにまき魚を・一みつけて右の手にとり口にかみける時、本つかいしわらわのた


づねゆきて見し時と、目連尊者が母を見しといづれかをろかなるべきかれはいますこしかなしさわまさりけん。

目連尊者はあまりのかなしさに大神通をげんじ給ひ・はんをまいらせたりしかば、母よろこびて右の手にははんをにぎり左の手にては・はんをかくして口にをし入れ給いしかば、いかんが・したりけんはん変じて火となり・やがてもへあがり、とうしびをあつめて火をつけたるがごとくぱともへあがり、母の身のごこごことやけ候しを目連見給いて、あまりあわてさわぎ大神通を現じて大なる水をかけ候しかば、其の水たきぎとなりていよいよ母の身のやけ候し事こそあはれには候しが、其の時目連みづからの神通かなわざりしかば・はしりかへり須臾に仏にまいりてなげき申せしやうは、我が身は外道の家に生れて候しが仏の御弟子になりて阿羅漢の身をへて、三界の生をはなれ三明六通の羅漢とはなりて候へども、乳母の大苦をすくはんとし候に・かへりて大苦にあわせて候は、心うしとなげき候しかば、仏け説いて云く汝が母は・つみふかし・汝一人が力及ぶべからず、又何の人なりとも天神・地神・邪魔・外道・道士・四天王・帝釈・梵王の力も及ぶべからず、七月十五日に十方の聖僧をあつめて百味をんじきをととのへて母のくをはすくうべしと云云、目連・仏の仰せのごとく行いしかば其の母は餓鬼道一劫の苦を脱れ給いきと、盂蘭盆経と申す経にとかれて候、其によつて滅後末代の人人は七月十五日に此の法を行い候なり、此は常のごとし。

日蓮案じて云く目連尊者と申せし人は十界の中に声聞道の人・二百五十戒をかたく持つ事石のごとし、三千の威儀を備えてかけざる事は十五夜の月のごとし、智慧は日ににたり・神通は須弥山を十四さうまき大山をうごかせし人ぞかし、かかる聖人だにも重報の乳母の恩ほうじがたし、あまさへほうぜんとせしかば大苦をまし給いき、いまの僧等の二百五十戒は名計りにて事をかいによせて人をたぼらかし一分の神通もなし、大石の天にのぼらんと・せんがごとし、智慧は牛にるいし羊にことならず、設い千万人を・あつめたりとも父母の一苦すくうべし


や、せんするところは目連尊者が乳母の苦をすくわざりし事は、小乗の法を信じて二百五十戒と申す持斎にてありしゆへぞかし、されば浄名経と申す経には浄名居士と申す男目連房をせめて云く汝を供養する者は三悪道に堕つ云云、文の心は二百五十戒のたうとき目連尊者をくやうせん人は三悪道に堕つべしと云云、此又ただ目連一人がきくみみにはあらず、一切の声聞乃至末代の持斎等がきくみみなり、此の浄名経と申すは法華経の御ためには数十番の末への郎従にて候、詮するところは目連尊者が自身のいまだ仏にならざるゆへぞかし、自身仏にならずしては父母をだにもすくいがたし・いわうや他人をや。

しかるに目連尊者と申す人は法華経と申す経にて正直捨方便とて、小乗の二百五十戒立ちどころになげすてて南無妙法蓮華経と申せしかば、やがて仏になりて名号をば多摩羅跋栴檀香仏と申す、此の時こそ父母も仏になり給へ、故に法華経に云く我が願既に満ち衆の望も亦足る云云、目連が色身は・父母の遺体なり目連が色身仏になりしかば父母の身も又仏になりぬ。

例せば日本国八十一代の安徳天皇と申せし王の御宇に平氏の大将安芸の守清盛と申せし人をはしき、度度の合戦に国敵をほろぼして上太政大臣まで官位をきわめ当今はまごとなり、一門は雲客月卿につらなり、日本六十六国・島二を掌の内にかいにぎりて候いしが、人を順うこと大風の草木をなびかしたる・やうにて候しほどに、心をごり身あがり結句は神仏をあなづりて神人と諸僧を手に・にぎらむとせしほどに、山僧と七寺との諸僧のかたきとなりて、結句は去る治承四年十二月二十二日に七寺の内の東大寺・興福寺の両寺を焼きはらいてありしかば・其の大重罪・入道の身にかかりて・かへるとし養和元年潤二月四日身はすみのごとく面は火のごとくすみのをこれるがやうにて結句は炎身より出でてあつちじにに死ににき、其の大重罪をば二男宗盛にゆづりしかば西海に沈むとみへしかども東天に浮び出でて、右大将頼朝の御前に繩をつけて・ひきすへて候き、三男知盛は海に入りて魚の