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日蓮大聖人・池田大作

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治病大小権実違目  (4/4) 結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難か…
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奏問せしかば僧尼等をはじに及ぼすのみならず金銅の釈迦仏をすみををこして焼き奉る寺又同じ、爾の時に大連やみ死ぬ王も隠れさせ給い仏をあがめし蘇我の宿禰もやみぬ、大連が子・守屋の大臣云く此の仏をあがむる故に三代の国主すでに・やみかくれさせ給う我が父もやみ死ぬ、まさに知るべし仏をあがむる聖徳太子・馬子等はをやのかたき公の御かたきなりと申せしかば穴部の王子・宅部の王子等・並びに諸臣已下数千人一同によりきして仏と堂等をやきはらうのみならず、合戦すでに起りぬ結句は守屋討たれ了んぬ、仏法渡りて三十五年が間・年年に三災・七難・疫病起りしが守屋・馬子に討たるるのみならず神もすでに仏にまけしかば災難忽に止み了んぬ、其の後の代代の三災・七難等は大体は仏法の内の乱れより起るなり、而れども或は一人・二人或は一国・二国或は一類・二類或は一処・二処の事なれば神のたたりも有り謗法の故もあり民のなげきよりも起る。

而るに此の三十余年の三災・七難等は一向に他事を雑えず日本・一同に日蓮をあだみて国国・郡郡・郷郷・村村・人ごとに上一人より下万民にいたるまで前代未聞の大瞋恚を起せり、見思未断の凡夫の元品の無明を起す事此れ始めなり、神と仏と法華経にいのり奉らばいよいよ増長すべし、但し法華経の本門をば法華経の行者につけて除き奉る結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし、止観の十境・十乗の観法は天台大師説き給いて後・行ずる人無し、妙楽・伝教の御時少し行ずといへども敵人ゆわきゆへにさてすぎぬ、止観に三障・四魔と申すは権経を行ずる行人の障りにはあらず今日蓮が時具さに起れり、又天台・伝教等の時の三障・四魔よりもいまひとしをまさりたり。一念三千の観法に二つあり一には理・二には事なり天台・伝教等の御時には理なり今は事なり観念すでに勝る故に大難又色まさる、彼は迹門の一念三千・此れは本門の一念三千なり天地はるかに殊なりことなりと御臨終の御時は御心へ有るべく候、恐恐謹言。

  六月二十六日                    日蓮花押


金吾殿御返事

                    文永七年十一月 四十九歳御作

                    与 大田金吾

 止観の五・正月一日よりよみ候いて現世安穏後生善処と祈請仕り候、便宜に給わり候本・末は失て候いしかどもこれにすりさせて候多く本入るべきに申し候。

大師講に鵝目五連給候い了んぬ、此の大師講・三四年に始めて候が今年は第一にて候いつるに候。

抑此の法門の事・勘文の有無に依つて弘まるべきか弘まらざるか・去年方方に申して候いしかども・いなせの返事候はず候、今年十一月の比方方へ申して候へば少少返事あるかたも候、をほかた人の心もやわらぎて・さもやとをぼしたりげに候、又上のけさんにも入りて候やらむ、これほどの僻事申して候へば流・死の二罪の内は一定と存ぜしが・いままでなにと申す事も候はぬは不思議とをぼへ候、いたれる道理にて候やらむ、又自界叛逆難の経文も値べきにて候やらむ、山門なんども・いにしへにも百千万億倍すぎて動揺とうけ給わり候、それならず子細ども候やらん震旦・高麗すでに禅門・念仏になりて守護の善神の去るかの間・彼の蒙古に聳い候いぬ、我が朝も又此の邪法弘まりて天台法華宗を忽諸のゆへに山門安穏ならず師檀違叛の国と成り候いぬれば十が八・九はいかんがと・みへ候、人身すでに・うけぬ邪師又まぬがれぬ、法華経のゆへに流罪に及びぬ、今死罪に行われぬこそ本意ならず候へ、あわれ・さる事の出来し候へかしと・こそはげみ候いて方方に強言をかきて挙げをき候なり、すでに年五十に及びぬ余命いくばくならず、いたづらに曠野にすてん身を同じくは一乗法華のかたになげて雪山童子・


薬王菩薩の跡をおひ仙予・有徳の名を後代に留めて法華・涅槃経に説き入れられまいらせんと願うところなり、南無妙法蓮華経。

  十一月二十八日                   日蓮花押

   御返事

転重軽受法門

                    文永八年十月 五十歳御作

                    与 大田左衛門・曾谷入道・金原法橋

修利槃特と申すは兄弟二人なり、一人もありしかば・すりはんどくと申すなり、各各三人は又かくのごとし一人も来らせ給へば三人と存じ候なり。

涅槃経に転重軽受と申す法門あり、先業の重き今生につきずして未来に地獄の苦を受くべきが今生にかかる重苦に値い候へば地獄の苦みぱつときへて死に候へば人天・三乗・一乗の益をうる事の候、不軽菩薩の悪口罵詈せられ杖木瓦礫をかほるもゆへなきにはあらず・過去の誹謗正法のゆへかと・みへて其罪畢已と説れて候は不軽菩薩の難に値うゆへに過去の罪の滅するかとみへはんべり是一、又付法蔵の二十五人は仏をのぞきたてまつりては皆仏のかねて記しをき給える権者なり、其の中に第十四の提婆菩薩は外道にころされ第二十五師子尊者は檀弥栗王に頸を刎られ其の外仏陀密多竜樹菩薩なんども多くの難にあへり、又難なくして王法に御帰依いみじくて法をひろめたる人も候、これは世に悪国善国有り法に摂受折伏あるゆへかとみへはんべる、正像猶かくのごとし中国又しかなり、これは辺土なり末法の始なり、かかる事あるべしとは先にをもひさだめぬ期をこそまち候いつれ是二、この上の法門はいにしえ申しをき候いきめづらしからず円教の六即の位に観行即と申すは所行如所言・所言如所行と