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日蓮大聖人・池田大作

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上野殿御返事 
1561

かれは人の上とこそ・みしかども今は我等がみにかかれり、願くは我が弟子等・大願ををこせ、去年去去年のやくびやうに死にし人人の・かずにも入らず、又当時・蒙古のせめに・まぬかるべしともみへず、とにかくに死は一定なり、其の時のなげきは・たうじのごとし、をなじくは・かりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへ・ちりを大地にうづむとをもへ、法華経の第三に云く「願くは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」云云、恐恐謹言。

  十一月六日                     日蓮花押

   上野賢人殿御返事

  此れはあつわらの事の・ありがたさに申す御返事なり。

上野殿御返事

白米一だをくり給び了んぬ。

一切の事は時による事に候か、春は花・秋は月と申す事も時なり、仏も世にいでさせ給いし事は法華経のためにて候いしかども・四十余年はとかせ給はず、其の故を経文にとかれて候には説時未至故等と云云、なつあつわたのこそで・冬かたびらをたびて候は・うれしき事なれども・ふゆのこそで・なつのかたびらには・すぎず・うへて候時のこがね・かつせる時のごれうは・うれしき事なれども・はんと水とにはすぎず、仏に土をまいらせて候人・仏となり・玉をまいらせて地獄へゆくと申すこと・これか。

日蓮は日本国に生れてわわくせず・ぬすみせず・かたがたのとがなし、末代の法師には・とがうすき身なれども・


文をこのむ王に武のすてられ・いろをこのむ人に正直物のにくまるるがごとく・念仏と禅と真言と律とを信ずる代に値うて法華経を・ひろむれば王臣・万民ににくまれて・結句は山中に候へば天いかんが計らわせ給うらむ、五尺のゆきふりて本よりも・かよわぬ山道ふさがり・といくる人もなし、衣もうすくて・かんふせぎがたし・食たへて命すでに・をはりなんとす、かかるきざみに・いのちさまたげの御とぶらひ・かつはよろこび・かつはなけかし、一度にをもひ切つて・うへしなんと・あんじ切つて候いつるに・わづかの・ともしびに・あぶらを入そへられたるがごとし、あわれあわれたうとく・めでたき御心かな、釈迦仏・法華経定めて御計らい給はんか、恐恐謹言。

  弘安二年十二月廿七日                日蓮花押

   上野殿御返事

上野殿御返事

十字六十枚・清酒一筒・薯蕷五十本・柑子二十・串柿一連・送り給び候い畢んぬ、法華経の御宝前にかざり進らせ候、春の始め三日種種の物・法華経の御宝前に捧げ候い畢んぬ。

花は開いて果となり・月は出でて必ずみち・燈は油をさせば光を増し・草木は雨ふればさかう・人は善根をなせば必ずさかう、其の上元三の御志元一にも超へ、十字の餅・満月の如し、事事又又申すべく候。

  弘安三年庚辰正月十一日               日蓮花押

   上野殿


上野殿御返事

故上野殿・御忌日の僧膳料米一たはら・たしかに給び候い畢んぬ、御仏に供しまいらせて自我偈一巻よみまいらせ候べし。

孝養と申すは・まづ不孝を知りて孝をしるべし、不孝と申すは酉夢と云う者・父を打ちしかば天雷身をさく・班婦と申せし者・母をのりしかば毒蛇来りてのみき、阿闍世王・父をころせしかば白癩病の人となりにき、波瑠璃王は親をころせしかば河上に火出でて現身に無間にをちにき、他人をころしたるには・いまだかくの如くの例なし。

不孝をもつて思ふに孝養の功徳のおほきなる事も・しられたり、外典三千余巻は他事なし・ただ父母の孝養ばかりなり、しかれども現世をやしなひて後生をたすけず、父母の恩のおもき事は大海のごとし・現世をやしなひ後生をたすけざれば・一渧のごとし、内典五千余巻又他事なし・ただ孝養の功徳をとけるなり、しかれども如来四十余年の説教は孝養ににたれども・その説いまだあらはれず・孝が中の不孝なるべし、目連尊者の母の餓鬼道の苦をすくひしは・わづかに人天の苦をすくひて・いまだ成仏のみちにはいれず、釈迦如来は御年三十の時・父浄飯王に法を説いて第四果をえせしめ給へり、母の摩耶夫人をば御年三十八の時・阿羅漢果をえせしめ給へり、此等は孝養ににたれども還つて仏に不孝のとがあり、わづかに六道をば・はなれしめたれども父母をば永不成仏の道に入れ給へり、譬へば太子を凡下の者となし王女を匹夫に・あはせたるが如し、されば仏説いて云く「我則ち慳貪に堕せん此の事は為て不可なり」云云、仏は父母に甘露をおしみて麦飯を与へたる人・清酒をおしみて濁酒をのま