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日蓮大聖人・池田大作

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現世無間御書 
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現世無間御書

或はくびをきり或はながさればととかれて此の法門を涅槃経守護経等の法華経の流通の御経にときをかせ給いて候は此の国をば梵王帝釈に仏をほせつけてよりせめさせ給うべしととかれて候されば此の国は法華経の大怨敵なれば現世に無間地獄の大苦すこし心みさせ給うか教主釈尊の日蓮がかたうどをしてつみしらせ給うにやよもさるならば天照太神正八幡等は此の国のかたうどにはなり給はじ日蓮房のかたきなりすずにてなをわかし候はんとぞはやり候らむいのらばいよいよあしかりなんあしかりなん、恐恐謹言。

  二月十三日                     日蓮在御判

   御返事

衣食御書

尼御前へ参る

鵞目一貫・給い畢んぬ、それじきはいろをまし・ちからをつけ・いのちをのぶ、ころもは・さむさをふせぎあつさをさえ・はぢをかくす、人にものをせする人は人のいろをまし・ちからをそえ・いのちをつぐなり。


釈迦如来御書

釈迦如来は正しく法華経に「悪世末法の時能く是の経を持つ者」等云云、善導云く千中無一等云云、いづれを信ずべしや、又云く日蓮がみる程の経論を善導・法然上人は御覧なかりけるかと申すか、若しこの難のごとくならば・昔の人の謬をば後の人のいかに・あらわすべからざるか。

破信堕悪御書

かたきはををく・かたきは・つよく、かたうどは・こわくして・しまけ候へば悪心ををこして・かへつて法華経の信心をも・やぶり悪道にをち候なり、あしきところをば・ついしさりてあるべし、釈迦仏は三十二相そなわつて身は金色・面は満月のごとし、しかれども或は悪人はすみとみる・或は悪人ははいとみる・或は悪人はかたきとみる。


阿仏房御書

                    或文永九年三月十三日 五十一歳御作

                    与 阿仏房

御文委く披見いたし候い了んぬ、抑宝塔の御供養の物・銭一貫文・白米・しなじなをくり物たしかに・うけとり候い了んぬ、此の趣御本尊・法華経にも・ねんごろに申し上げ候・御心やすくおぼしめし候へ。

一御文に云く多宝如来・涌現の宝塔・何事を表し給うやと云云、此の法門ゆゆしき大事なり宝塔を・ことわるに天台大師文句の八に釈し給いし時・証前起後の二重の宝塔あり、証前は迹門・起後は本門なり或は又閉塔は迹門・開塔は本門・是れ即ち境智の二法なりしげきゆへに・これををく、所詮・三周の声聞・法華経に来て己心の宝塔を見ると云う事なり、今日蓮が弟子檀那又又かくのごとし、末法に入つて法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり、妙法蓮華経より外に宝塔なきなり、法華経の題目・宝塔なり宝塔又南無妙法蓮華経なり。

今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり、此の五大は題目の五字なり、然れば阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房・此れより外の才覚無益なり、聞・信・戒・定・進・捨・慚の七宝を以てかざりたる宝塔なり、多宝如来の宝塔を供養し給うかとおもへば・さにては候はず我が身を供養し給う我が身又三身即一の本覚の如来なり、かく信じ給いて南無妙法蓮華経と唱え給へ、ここさながら宝塔の住処なり、経に云く「法華経を説くこと有らん処は我が此の宝塔其の前に涌現す」とはこれなり、あまりに・ありがたく候へば宝塔をかきあらはし・まいらせ候ぞ、子にあらずんば・ゆづる事なかれ信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ、出世の本懐とはこれなり。

阿仏房しかしながら北国の導師とも申しつべし、浄行菩薩うまれかわり給いてや・日蓮を御とふらい給うか不